欧米心霊行脚録

第 七 信

ロンドン雑記

三、『ライト誌』社を訪う

。 私がシベリア旅行の疲れからすっかり回復し、又幾分ロンドンの地理にも通じかけて来たのは、八月十日過ぎでした。

『これからボツボツ小手調べに、心霊学界の人達に逢って見ようかしら………。それには何人だれたずねたら良いかな?』

 御承知の通り、八月という月は、ロンドンでは、面会にもっとも不向きの時期で、少し気のきいた連中は、大抵何所かの海岸などに転地し、市内に残るものはありません。ロンドン着早々、私が会おうとしてた二三の人達なども、いざ問合はして見るとことごとく不在でした。そんな次第で、私は成るべく無駄足を踏まぬ用心をして、二三の心当りの人々に手紙を出して、在不在を問い合せして見ることにしました。すると『ライト』誌の主筆ガウ氏の息子むすこさんから、八月十三日の日附で真先きに通信が来て、『父は本日事務所に出勤しません。又明日は雑誌の締切で多忙の為め、お目にかかれませんが、十五日の午後三時頃にお出でくださらば、歓んで御面会をいたします。』との挨拶でした。

 十五日は幸い天気も良かったので、私は青柳君を連れて、朝の十時頃から宿を出で、行きがけの駄賃に、ハイド・パーク並にケンシントン・ガーデンをぶらつきました。ロンドンの真中にありながら、思い切ってだだつ広く、池あり、森あり、草地あり、充分極東の赤毛布を、あつと言わせる丈の価値があるのでした。

うして見ると、日比谷公園はちと狭過ぎるナ』

 すぐにお国を引合いに文句を並べたがる所が、赤毛布の赤毛布たる所以ゆえんでしょう。さんざん歩るきまはった挙句に、とあるレストラントで昼飯を食べると、モウお約束の午後三時近くなりましたので、直ちにサウス・ケンシントンの『ライト』誌事務所をおとづれました。

 案内されて幾つかの階段を上って応接室に入って見ると、卓子やら、書冊やら、写真やら、ゴチャゴチャになってるところ、矢張り雑誌の発行所だなという感を与えました。真先きに会ったのはガウ氏の令息ニイルさんで、年輩は三十余歳の元気者、編輯へんしゅう事務は、この人が主として受持ってるらしいのでした。間もなく入って来たのは、イギリス人にしては並外れて小柄の老人、紹介されるまでもない、それはかねて写真で見覚えの主事デビッド・ガウ氏でした。

『初めてお目にかかります。よくお出でくださいました、アサノさん。』

 ガウ氏特有の落付いた、しかし情味の籠った態度でそう言って私を迎えました。

『お忙しいところを飛んだお邪魔を致します。』と、私もヘタな英語で挨拶をしました。『マンチェスタアのオーテンさんから、是非あなたにお目にかかれとのお手紙でしたので、真先きに貴下をお訪ねすることにしました。これがロンドンへ着いてから、私のする第一回の訪問です……。』

『そうでしたか、まあゆっくりしなさい。いろいろ貴下に紹介したい人もあります。』

 私達は椅子を近づけて、いろいろ話し込みました。私は問わるるままに、日本に於ける心霊研究、並にスピリチュアリズムの状況を物語り、又携帯した拙著『心霊講座』を取出し、わざと日本字で署名してガウ氏に贈呈しました。

『これがあなたの御著述ですか。フム、左から左へと縦に読んで行く……。残念ながらさっぱり読めません。ニイル、お前も拝見せんか、アサノさんの御本を……。』

 ニイルさんは、手に持つペンを投げ棄てて飛んで来ました。附近に居合はした二三の人達も、ワイワイ言って書物を引ったくり返して見物しました。

『日本のお方は全く偉いです。私達は一字も日本文が読めないのに、あなたは日本文、支那の文字とを御存じの上に、完全に英語をお使いなさる……。』

 しきりに私に向って、お世辞を言う者もありました。私は苦笑しながら、

『イヤ完全に英語を使えるといいですが、とても駄目です。外国語では、思ってる事の十分の一も言い表わせません。その点に於いて、極東の心霊家は、常に大きなハンディキャップを仕負って居ますよ……。実をいうと、日本にもあなた方に御紹介したい心霊材料は沢山ありますが……。』

「そうでしょうそうでしょう!」

とガウ氏は大きく肯きました。

 やがて私はガウ氏に案内されて、階上階下の室々を巡覧しましたが、図書室、心霊実験室、客室、編輯室等、なかなか立派な設備が施されて居ました。尚お建物の最上階で、『米国心霊研究協会』の在外審査部長ハ−リィ・プライス氏に面会したのは、実に意外でした。だんだんきいて見ると、同協会のロンドン本部はここに設置されてるので、かのフランスの名霊媒ステラ・シイ嬢に関する実験なども、皆この室で施行されたのでした。

『あの霊媒は驚くべく正確です。今年の九月か十月かには、又ロンドンへ来る筈です。』

『その節は、私にも立会わせていただきたいですが……。』

『成るべく都合をつけましょう。』

 私達は固く握手してわかれました。

 そうする中に、ガウ氏からの電話で、五十余歳の元気な婦人が、大急ぎで応接室に現われました。

『バッガレーさん、この方は』と、ガウ氏はパイブを口から放しながら私を紹介して『日本の心霊家のアサノさんです。あなたは日本に住んでた人だから、きっと話が合うでしょう。』

 バッガレー夫人は、直ちに私の手を取りて固く握りました。

『初めてお目にかかります。ずっと以前、私は三年間ほど神戸に住んでたことがあります。又私の長男は、それは日本で生れたのですが、外交官として、二年前まで東京の英国大使館に勤務して居ました。只今はこちらに帰ってります。日本の方と承ると、私は懐かしくてたまりません。是非宅へお出でください。エーと明後日の午後二時、宅で昼飯を差上げたいですが、お差支はないでしょうネ。せがれにも御紹介します。ガウさんも、プライスさんも、御一緒に願います……。』

 夫人は独りでまくし立てますので、私達はいささか烟にまかれた気味で、否応なしに御馳走になることにきまってしまいました。そうするうちに、夫人は他に用事があると言って、さっさと帰ってしまいました。きけば夫人の生国はアメリカだそうで、その姉さんが神戸に来てた関係から、同地を訪問中、英国の貿易商バッガレー氏と結婚したのだそうです。同夫人に取りて、日本が深き思い出の種子となるのも、けだし無理のない話でしょう。

 私達が『ライト』社を辞したのは午後五時半頃でした。英国に於ける第一回の訪問として、これは私に取りてはなはだ意義深いものであったのみならず、ガウ氏の情味ある態度と、公明透徹せる持論とは、無上の好感を私に与えました。その後私は、同氏の著述にかかる『神霊主義の主張と理想』とを繙読はんどくするに及びて、ますます敬服の念にへず、英国がかかる高邁達識の士を有することを祝福せずにはられませんでした。

 八月十七日午後二時には、私は約束に従い、単身でペルラム・プレエスのバッガレー夫人を訪れました。家庭訪問としては、それがロンドンでの皮切りなので、赤毛布さんいささか戸惑の気味でしたが、ずどうかなるだろうと腹をきめて、宛名と番地をつきとめて、案内を乞いました。場所はサウス・ケンシントン停車場から遠からぬ困難な所で、四辺あたりにはほとんど通行人の影も見かけない位でした。

 早速案内されて、二階の応接室に通りましたが、廊下には廣重の版画が幾枚も掛けてあり、又室内の装飾も、蒔絵の重箱をはじめ、日本品が沢山並べてあり、さすがに日本贔屓ひいきの外人の家庭だと肯かれました。

 真先きにひよつくり現われたのは、二十歳前後の令嬢で、愛想よく私を迎えました。

『ようこそ……。あなたの事は母から承りました。――どうぞ御取りください』と言って、早速シガレットをすすめてくれました。

『あなたも日本でお生れですか。』

『いいえ私はこちらで生れました。私は残念ながら、まだ日本を存じません。そのうち是非お国へ参りたいと思ってります。』

 んな話をしてうちに、バッガレー夫人がかわる、プライス氏が来る、ガウ父子が来る、又外交官の息子むすこさんが来る。なかなか賑かな一座になりました。息子むすこさんというのは、三十二三の風釆のすぐれた紳士で、誰が見ても、成るほど外交官だと肯かれる物ごしでしたが、われわれ日本人から見て、何やら日本くさい匂い、何やら日本式の風韻、と言ったようなものが具はってるのは不思議でした。

『矢張り人間は、生れた国土の感化から全然逃れることができぬものと見えますね。あなたはどこやら純英国人とは違いますヨ。』

 私がそういうと、当人も『そんな所があるかも知れませんネ』と言って、母親と顔を見合わせて、意味深い微笑を浮べました。

 やがて昼餐の準備が整うたというので、私を中心として、一同階下の食堂に集まり、芳醇な葡萄酒の杯を挙げながら、はなはだ結構な饗応に与かりましたが、極東の赤毛布には、座談に伴なって、適宜な受け答をするべく努めることが、それ丈が相当大なる負担で、気の置けぬ日本人同志が、神楽坂裏の飯屋へでも行って、勝手な熱を吐きつつ、徳利を倒すような訳には行きませんでした。『少々コリア肩が凝るナ!』私ははらの中でそう感ぜざるを得ませんでした。

 が、この種の経験の初陣としては、案外これはというほどのボロも出さず、どうやらお茶を濁して席を終えたのは、自分ながら大出来の感がありました。帰途には又ガウ氏と連れ立ちて、ライト社に立寄り、一時間許話し込んでわかれを告げました。

 宿へ戻った時には、ヤレヤレと軽き溜息を一つ吐いたことでした。

(三・八・二八  ハムステツド寓居にて)


第六信: ロンドン雑記
二、本屋あさり

目  次

第七信: ロンドン雑記
四、クルユー団を訪う


心霊図書館: 連絡先