欧米心霊行脚録

第 六 信

ロンドン雑記 

一、ロンドンの宿

 私が七月三十日の午後、イギリスのドーヴァーに近づきつつあったことは、前便で申上げましたが、それからいろいろの事件が身辺に蝟集いしゅうして、落ついて筆を執るいとまがなく、心ならずも二週間許報告を怠りました。今日は天気も曇り、おとない来る人もないので、ポツリポツリ思い出のまま、なぐり書きをすることにしましょう。

 着英ず驚いたのは、気候のイヤに薄寒かったことで、道行く人々は厚い外套を着、毛皮の襟巻をまきつけてるものが、なかなか多いのでした。ことに、暑い極東から急にんな西の国にまぐれ込んだ疲れた旅人には、気候の急変は少々難儀な話で、私はとうとう感冒を引き込み、一週間ばかりはクシャミの連発をやりました。私がすっかり旅の疲れと感冒とから回復し、土地慣れがして来たのは、八月七八日頃でもありましたろう。うして見ると、シベリヤ経由も、一度は面白い経験ですが、二度りたいとは思いません。少々面倒くさくても、矢張り船の旅の方が身体には楽なようです。

 ドーヴァーでは税関の検査をおえると同時に、私はすぐ汽車に乗り込んで、ロンドンに向いました。予ねてきいては居ましたが、汽車の沿道、何所どこへ行っても、生籬いけがき縁取へりどられた草原のような森ばかり多いのが、ず眼につきました。右を見ても、左を見ても、丁度奈良の公園見たいなところばかりで、耕された畑地とては極めて少ない。もちろん鹿は居ませんが、その代りに羊だの、牛だの、馬だのがのそのそしてります。成程、英国が強大な海軍力と、植民地経営と、商工業とに全力を挙げている筈だとうなづかれました。

 間もなく汽車の沿道には、無数の赤煉瓦造りの家屋が、ゴチャゴチャ見え出しました。その構造は大てい似たり寄ったり、三階か四階の二棟つづき、四棟つづき等で、裏にはきまり切って細長い芝生の内庭がついてります。小ざっぱりしてはいるが、いささか型にはまって、窮屈の感がないではありません。関西の御影辺、関東の大森辺の住宅の各個運動式とは、大分勝手がちがいます。その後ロンドン附近の近在を、ちょいちょい歩るいて見ましたが、どこへ行っても、大抵同様の感を与えます。別に悪るいとは思いませんが、日本でその真似をしたいとも感じられませんでした。

 私達の乗った汽車は、間もなく郊外の住宅地を突きぬけて、石と煉瓦、自動車、電車と、人間とで埋まった大都市に入り、とある大きな停車場に着きました。車掌からこれはヴィクトリア停車場で、終点だと注意され、極東の赤毛布は、兎も角も赤帽を呼び、兎も角もタクシーに乗っかりましたが、ここは大陸とは違って、言葉が楽に通じ、又広告だの看板だのが読めるので、ホッと安心の胸を撫でおろしたのでした。

 少し勝手が判るまで、一時日本旅館に腰を落ちつける覚悟で、私は自動車をデンマアク街の『ときは』に着けましたが、生憎満員だというので、『ときは』の紹介で、パッディングトン街の『東洋館』というのに行って鞄をおろしました。あまり景気のよい宿ではありませんでしたが、主人も番頭も日本人で、日本人のお客さんが、五六人も泊ってるのを見た時は、ちょっとなつかしい気がしました。その晩は早速風呂に入ったり、サシミで一杯傾けたり、どの日本旅客も歓んでりそうなことを、私もってよろこびました。

 翌朝は、早速海軍監督官事務所に電話をかけて、機関中佐のWさんと、Aさんとに来てもらい取りあえず日本大使館に連れて行って貰ったり、附近を案内してもらったり、宿所の件を相談したりしましたが、少々悪寒さむけがするので、その日は早く宿屋に引上げました。

 翌くれば八月一日、昨日出したロンドン着の端書を早くも見たと言って、満鉄の青柳さんが飛んで来てくれました。ここで急転直下的に私の宿所がきまり、午後には早速東洋館を引きあげて、ハムステッドの素人屋に引き移りました。

 ハムステッドは、ロンドンの北の末端はづれで、東京ならず飛鳥山という所です。すぐ背後うしろ所謂いわゆる『ハムステッドの草原ヒイス』で、高低起伏せる三十丁四方位の空地になってり、大人おとな閑人ひまじん連が、しきりに紙鳶たこを揚げて遊んでります。ヒイスは朝夕の散歩には、実に誂い向きの場所で、最高の地点は海抜約五百フィート許、空気はロンドンで一番上等だと称せられます。私の宿のすぐ附近なども、樹木が密生してり、其所そこに詩人キイツの家があります。今こそこの辺はロンドンの場末になっていますが、二三十年前までは、純然たる村落だったということです。

 私の宿そのものが、日本人とはなかなか深い縁故のあるということも、また棄て難い点で、十数年来ここに宿泊した日本人は、けだし数十人にのぼりましょう。主婦は今年四十三歳の快活で親切な人で、よく食事の後などに、元下宿してた人達の風評うわさをしますが、感心に他に迷惑を及ぼすような話は一切口にしません。

『あなたのおへやは、神戸高商の校長をしてられたWさんが草分けです。私のとこでは、あの室が取って置きの一番上等な室で……。』主婦は得意になって語り出します。『それからWさんの少し後には、K男爵が長い間あそこにられました。もっともあの方は始終宅に住んでられたのではありません。平生はケンブリッジ大学にお住いになり、土曜、日曜とか、冬休みとかいう時に、私のところを御自分のホームにしてられたのです……。』

『あの方の夫人は有名な美人であり、又才媛でありましたが、惜しいことに今年の春歿なられました。』

『その事は私も人から聞かされました。ほんとにお気の毒なことでした……。』

 私達の会話は、大抵この程度のもので、一向突込んだものではありません。従って毒にもならないが、又薬にもなりません。

 私の室の因縁来歴は兎まれ角まれ、室そのものは、二階正面の二十畳敷位の広さのもので、日当り、風通し等少しも申分なく、家具什器等も、素人下宿としては、恐らく最上等に属し、極東の心霊行脚家が、ロンドン並にイギリスを窺く為めの仮根拠地としては、誠に申分のないところであります。

 私はこの室に腰をおろした瞬間に、初めて、幾分旅心地がせて、ここなら落付いて仕事ができそうだ、というような感が起りました。

 私のところには青柳さんをはじめ、他にも日本人が二三名、西洋人が一二名りますが、ちょいちょい移動があるので、朝夕の食堂の顔触れが、必ずしも一定はしてりません。ここで一ばんの古顔はC夫人と称する三十余歳の英国婦人で、どこかに毎日通勤しています。その人がるばかりに、われわれは食卓で強いて英語を使用しますが、いずれも多少難色があるようで、『英語を喋りながら飯を食うのは、何だかうまくない……。』などとこぼす人もあります。

 他人に取りては、さほど興味のありそうもない、宿のことを少々長たらしく書いた事は、はなはだ恐縮ですが、兎も角も、私がここをロンドンの根拠地として、朝夕を送り、そして市内に用事ができると、ハムステッドの終点から円太郎に乗ったり、又はベルサイズの停車場から、地下鉄に乗ったりして、人並みに出入往来してるものと、想像して頂きたいのであります。

(三・八・二三)


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