欧米心霊行脚録

第 一 信

東京から神戸ヘ

 かねて出発の日ときめてあった七月十日も、とうとう到来した。朝六時頃眼をさました時に『いよいよ今日だナ』という考えが、先きに私の頭脳にひらめいた。

 旅行の準備は、半歳も前からポツポツ施してあったので、今日となりて、格別の用件もなかったが、ただ今度の旅行で、一ばんの番狂わせは、七日の夜半から胃腸を損じたことであった。自分では、相当警戒はしてたつもりであったが、月の初から送別の御馳走がつづく間に、ツイうっかり飲み過ぎと、食い過ぎをしたものと見え、胃袋の方からお謝りが出た。医者の方では、胃酸過多症というものであろうが、主観的には『この上飲食無用』の警報であると受取られた。

 で、私は大急ぎで下剤を服み、その上八日、九日の両日を絶食で過ごした。そのお蔭で、胃の輸出入の平均が初めて取れ、気分は迅速に回復したが、ただ九日の午前中、ペコペコの腹をかかえてポーランド、ロシア、イギリスの三領事館をおとない、旅行免状の査証を受けて歩るいたのは、少々楽でもなかった。一たい旅行券だの、査証だのと、まるで封建制度の遺物見たいなものをかつぎまわることは、どなたにも厄介千万な仕事に相違ないと思われるが、この日の私には、特にそれが荷厄介に考えられてならなかった。

『世界の人類も、所々にお関所を設けて、狭く暮してるようなことではまだ駄目だ。いつになったら、もっとさっぱりした、真の文化の世の中になることやら……。』

 そんな愚痴が私の胸の底の方にわだかまるのであった。

 が、これ等の雑務もドウやら滞りなく済み、同時に体力が回復するに連れて、出発当日の私は、すっかり上元気になってしまった。おまけに連日の陰影な天気が、ドウやらカラリと晴れかかったのであるから一層うれしく、シベリア鉄道位、何の事があるものかという勢になって来た。

 酷暑の見送りは、かねて平におことわりしたのであったが、それでも、会員諸氏をはじめ、友人親戚の方々が五六十名も、東京停車場にお見送りしてくだすったのは、恐縮の至りであった。『是非ともこリア心霊土産を、どっさり持参して帰らねば、皆さんに申訳がない。しっかりやって来よう……。』――皆さんに送られて、プラットホームに出た時に、私は堅く堅くそう覚悟をきめたのであった。

 午後八時四十五分、汽車は見送りの人々を後にして、停車場を出発した。車窓から首を突き出して見れば、最初数秒の間は、皆さんの顔の輪廓がはっきりしてたが、間もなく、夜陰のうちにすべてが朦朧もうろうと融け合ってしまい、次の瞬間には、それも薄墨で一と刷毛さっと塗り消されてしまった。止むなく自分は室へ入って、しばしはそのまま黙座をつづけた。

 翌れば十一日の朝まだき、汽車はすでに伊吹山麓を走りつつあった。一昨年来、私は毎月一度づつこの東海道を往復してたが、今度は少々長い心霊行脚の旅立だと思うと、見慣れた景色も、何やら平生とは別な意味で、見送ってくれているようにも感ぜられた。

 大阪にはホンの数分の停車であったが、そこにも数人の知人達から見送りを受けた。かくて午前九時四十分、三ノ宮に着くと、ここには京阪神間の会員諸氏が数十人待ち構えていてくれた。挨拶もそこそこに、荷物を受取り、早速自動車で桟橋横附のバイカル丸に乗込んだ。五千四百トンの相当な巨船、設備万端案外に気持ちの善いのは、むしろ意外であった。

 見送りの人達と、サルーンに集まりて、別れの杯を挙げつつ、四方やまの歓談に時余を費した。私の心霊研究会は、関東の大地震が取りもつ縁で、自然東京と大阪とを、二大中心として発育を遂げることになり、どちらにも同様に力瘤を入れてくれる、強固なる擁護団がある。昨夕東京停車場で袂を分った人々も、今朝神戸の船上で再会を約する人達も、顔ぶれはちがうが、情においては皆甲乙のなき人ばかり、まるきり利害得失の打算を外れて、一団となって斯学しがくの為めに真心を尽してくださるのである。思えば私のような、つまらない人間が音頭取りをして、よくもここまで純真なる思想団体を組織することができたものだと、自分ながら不思議に思えてならない。頭数からいえば、会員の数は勿諭まだ言うに足りない。しかしながら、己が心霊科学研究会に限りて、そこに人を釣り寄せる為めの餌もなければ、又人気を煽る為めのお御輿みこしもない。求むる所はただ宇宙の真理、仰ぐところはただ天地の大道、莫迦ばか正直といえば、恐らくこれ以上の莫迦ばか正直はなく、融通がきかぬといえば、恐らくこれ以上融通のきかない仕事はないであろう。兎に角うした団体が相集まり、五年経っても、十年経っても、一貫して少しも変りがないというのは、正に現代の一大奇蹟で、けだし天未だ日本国を見棄てざることの、最も有力なる証拠ではないかと思う。

『全く難有ありがたい話だ。自分はよっぽどしっかりせんと可かんな。』

 私はサルーンに集まれる親しき人達の顔を見まわしつつも、いつしかそう心に誓わざるを得なかった。

 やがて時刻が移りて十一時四十分ともなったので、見送りの人達は別れをつげて、ゾロゾロ下船したが、埠頭に於ける例の劇的光景は尚おつづいた。甲板から私が投げた数十本の五色のテープは、それぞれ陸上の人達の手につながれて、時ならぬ虹霓こうげいの観を呈したが、やがて正午を過ぐる十五分、バイカル丸の巨体が進行を始むると同時に、継がれたテープはプツリプツリと切断し、いつしか船と陸とは遠ざかりて、互に打ち振る手巾はんかちも綱具に隠れ、マストに遮られて、終には黒白を弁じ難くなってしまった。『いよいよ旅に出たな!』

 そうした感じが強く私の胸を打った。  


出発前記

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第一信: 門司まで


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