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三尺坊と才一郎

 一 はしがき

 仙界せんかい真語しんご尾張おわり藩医はんいたりし柳田やなぎだ泰治たいじもうひと記録きろくにかかります。同家どうけ邸宅ていたく今以いまもっ名古屋市なごやし宮町みやまち丁目ちょうめにありますが、中々なかなかひろやしきで、その東北隅とうほくぐう秋葉山あきばさん大権現だいごんげん奉祀ほうししてあります。みぎ社殿しゃでん奉祀ほうし関係かんけいしてここ人間にんげんかいまれる一だい奇蹟きせきおこってる。ほかでもない同氏どうし門人もんじん澤井さわい才一郎さいいちろうなるものが慶応けいおうねんがつ以来いらい霊界れいかいとの交通こうつうひらき、しばしば現幽げんゆうきょう突破とっぱして往来おうらいかさね、やがてくるとし明治めいじ元年がんねん)十二がつ十三にちあかつき尸解仙去しかいせんきょしたことであります。本書ほんしょみぎ顛末てんまつ記述きじゅつしたもので、最近さいきんまで門外もんがい不出ふしゅつ重宝書じゅうほうしょとしてみだりに他見たけんゆるさなかったのでありますが、大正たいしょう十三ねんがつ名古屋市なごやし熱心ねっしんなる心霊しんれい研究者けんきゅうしゃにして本会ほんかい会員かいいんたる河目かわめ妻蔵つまぞうは、かねて泰治たいじの二なん卓齋たくさい親交しんこうありし関係かんけいから、柳田やなぎだきて同書どうしょ披見ひけんゆるされ、同時どうじ長男ちょうなん太郎馬たろうま未亡人みぼうじんよりみぎかんするさまざまの逸話いつわとうをききりました。

 原本げんぼん漢字かんじまじりの文章体ぶんしょうたいで、けっしてみにくいほどのものではありませんが、このさいひろ大方おおかた繙読はんどくねがいたいとぞんじ、これ平易へいいなる口語体こうごたいなおし、同時どうじ家人かじん実話じつわによりてできだけ補充ほじゅうして紹介しょうかいすることにしました。このしゅ記録きろくとしてはめずらしく要領ようりょうり、心霊しんれい材料ざいりょうとしてたしかに世界せかい有数ゆうすうのものたるをうしなわぬとしんじます。これ平田ひらた篤胤あったねおう仙境せんきょう異聞いぶん寅吉とらきち物語ものがたりするに、記事きじくわしさにおいて一ゆずところがありますが、真面目まじめ材料ざいりょう取扱とりあつかい、当時とうじ往復おうふく文書ぶんしょまでも挿入そうにゅうして一ゆるがせにせざるてんおいてはかえって一にちちょうみとるようかんじられます。

 ちなみに本書ほんしょ筆録者ひつろくしゃ柳田やなぎだ泰治たいじ維新後いしんごながらく存命ぞんめいし、明治めいじ二十四ねんもっ宮町みやまち自邸じてい易簀えきさくされたそうであります。本書中ほんしょちゅうにもしばしば長男ちょうなん太郎馬たろうまのち政寛まさひろ改名かいめい漢洋かんよう医学いがく兼修けんしゅうして父業ふぎょうぎ、東京とうきょう開業かいぎょうしたこともあり、いて郷里きょうりかえり、大正たいしょうねんがつ宮町みやまち自宅じたくにて病歿びょうぼつされたそうですが、その未亡人みぼうじんいま健在けんざいで、自宅じたくられます。次男じなん卓齋たくさいというひと幼名ようめい次郎馬じろうまび、のち内蔵三くらぞう改名かいめいし、でて笠寺村かさでらむら眞野まのぎ、大正たいしょう十三ねんがつ岐阜ぎふにて長逝ちょうせい、三なんの三ろう陸軍りくぐん々医ぐんいとして三とう軍医正ぐんいせいまですすみ、このひと大正たいしょう十三ねんがつ名古屋なごや宮町みやまち分家ぶんけ病死びょうししたそうであります。


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