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岩間山人と寅吉

 二十一 みね手火てび

 明治めいじ太正たいしょう時代じだいのみひとくちがうるさいのかとおもえばけっしてそうばかりではないとえまして、平田ひらたおう寅吉とらきちとにかんする風説ふうせつ当時とうじ江戸えど市中しちゅう沸騰ふっとうせしめました。一たび寅吉とらきち直接ちょくせつ面会めんかいしてその言説げんせついたひとだれ感心かんしんし、その奇抜きばつ幽界ゆうかい実見じっけんだんしたくのでありましたが、そうでないものは兎角とかくよからぬ風評うわさばかりてました。

寅吉とらきちは一しゅ精神せいしん病者びょうしゃか、さもなくば妖神ようしん手先てさきで、平田ひらたおうを一ぱいくわせるのだ。』

というのがあれば、

『イヤ平田ひらた自家じか広告こうこくめに寅吉とらきち看板かんばん使つかうのだ。』

ともいいました。就中なかんずく自己じこ職業しょうばいがたきとして平田ひらたそし神職しんしょくれんなどは

寅吉とらきちはとうとう捕縛ほばくされ、平田ひらた江戸えどばらいになった。』

などと、まことしやかにらすのでありました。

 これには平田ひらたこまいて、

自分じぶん邦家ほうかめをはかればこそ古道こどう唱導しょうどうするのであるのに、なにゆえ世間せけんからくも誤解ごかいされるのであろう。さてさてひとくちほどおそろしいものはない!』

歎息たんそくするのでした。

 しかしかかる世間せけん誤解ごかいなかにも間断かんだんなく熱心ねっしんなる研究者けんきゅうしゃあらわれるのは平田ひらたりてなによりの慰藉いしゃでした。十二がつには伊勢いせ内宮ないぐう祠官しかん荒木田あらきだ末壽すえひさというひとが、寅吉とらきち評判ひょうばんをきいて、はるばる平田ひらたかた訪問ほうもんしましたが、このひと本居もとおり宣長のりなが弟子でしで、平田ひらたとは以前いぜんから相識そうしき間柄あいだがらでした。

 寅吉とらきち言動げんどうたり、またそのいたものんだりしてうちかれ大変たいへん感動かんどうされてしまいました。

『この童子どうじつかえて山人さんじんというのはたしかにただしき神仙しんせん相違そういあるまい』とかれはその所見しょけんべるのでした。『山人さんじん国所くにところによりて兎角とかく荒々あらあらしく、ひとおびやかすことをこのむものであるが、岩間山いわまやま山人さんじんにはそれがない。諸事しょじいとおだやかにきかれる。駿遠すんえんあたりで天狗てんぐしょうせられてたぐいとは雲泥うんでい相違そういじゃ。』

 そうってかれ自己じこ体験たいけんだとって物語ものがたりをしました。――

『それは文化ぶんかねんなつのことでした。自分じぶん公用こうようありてぼく二人ふたりれて夜間やかん秋葉山あきばさん通行つうこうしたのでありましたが、よくあるように、やま天狗てんぐどもがみねよりみね手火てびともしたのです。それがいま遠山えんざんえたかとすれば忽然こつぜんとして眼前がんぜんあらわれ、同時どうじ山鳴やまなりがし、時々ときどき大木たいぼくたおすような大音響だいおんきょういたします。従僕じゅうぼくどもはこれてすっかりちぢあがってしまい、最早もはやや一すすまなくなりましたので、自分じぶんはさみばここしけ、大音だいおんにて(コラコラ天狗てんぐどもよっくけ! われだれかとおもうか。伊勢いせ大神だいじん内人うちびとにて、神用しんようにて此処こことおるとはらざるか!。)――

――かくばわりますと、手火てびたちまちバッとせ、林木りんぼく鳴動めいどう同時どうじにピタリとんでしまいました。』


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