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岩間山人と寅吉

 十一 再度さいど帰来きらい

 こここまったことは従来じゅうらい幾度いくたびとなく江戸えど岩間山いわまやまとのあいだ往来おうらいしたものの何時いつみな空中くうちゅう飛行ひこうなので、寅吉とらきち歩行かち登山とざんすべきみちらないことでありました。平田ひらたじゅくでは

『こいつァドーもよわった。古呂明ころめいさんか左司馬さしまさんかのうちむかえにれればたすかるが……』

『さてさて人間にんげんというものは不便ふべんなものでござる。常陸ひたちくにまではいかな牛若丸うしわかまるでもべますまいテ。』

 くだらぬ下馬評げばひょうをして最中さいちゅうあだかもよし平田ひらた門弟もんていで、下総しもうさ笹川ささがわから五十嵐いがらし對馬つしまという神官しんかん帰郷ききょう暇乞いとまごいにました。

丁度ちょうどよい都合つごうじゃ。そのほう一つこれなる寅吉とらきち常陸国ひたちのくにまでおくとどけてれまいか。』

 天狗てんぐさんへの使者ししゃというので、五十嵐いがらし少々しょうしょう二のあしみましたが、別人べつじんならぬ師匠ししょう篤胤あつたねこえがかりですからいなわけにもかず、寅吉とらきち同道どうどうして十がつ十七にち江戸えど発足ほっそくし、十九にち笹川ささがわきました。其所そこ寅吉とらきち呪術じゅじゅつ祈祷きとうことまた山中さんちゅう秘事ひやくなどを毎日まいにち五十嵐いがらし伝授でんじゅしてましたが、二十三にちなにものかが外面そとから

嘉津馬かづま嘉津馬かづま

寅吉とらきちびますので、寅吉とらきちき、暫時しばしにしてもどってました。そのときだまってましたが、翌日よくじつ寅吉とらきち五十嵐いがらしむかいまして、

昨夜ゆうべ師匠ししょうもとからむかいがたから今日きょうは一しょ登山とざんする……。』

 かくいすててフイとそとたきり、そのまま行方ゆくえうしなってしまいました。

 江戸えどでは平田ひらた屋代やしろ佐藤さとう山崎やまざきとう学者がくしゃ連中れんちゅう毎日まいにち寅吉とらきちうわさり、

んだ掘出ほりだものうしなってしまった。』

と、しきりに寅吉とらきちいっしたことをおしんでりますと、十一がつ突然とつぜんとう寅吉とらきち平田ひらたかたもどってました。これには平田ひらたもびっくりするやら、うれしがるやら、

『一たいおまえ何所どこ什麼どうるいてたのか?』

かおるよりはやたずねました。

わたしは一やまもどったのですが』と寅吉とらきちこたえました。『師匠ししょう今年ことし讃岐さぬきやまめぐりのくじあたり、当分とうぶん不在るすです。それで今年ことし寒行かんぎょう休業きゅうぎょうとなり、モ一人里さとよとの命令おうせで、古呂明ころめい左司馬さじま両人ふたりおくってもらって、かえってました。』

成程なるほどそうであったか。それはなにより結構けっこうじゃが、わしそなたたくした手紙てがみ書物しょもつはドーしてれたかナ?』

『イヤ師匠ししょううちから手紙てがみ文句もんくいてった模様もようで、ただしとって点頭うなずいただけでした。それから貴下あなたつくった書物しょもつひらいてて、くも編述へんじゅつしたものだが、しいことには三異体いたい脱漏だつろうしてるから、それをわすれず伝言でんごんせよとのことでした。』

 これにはひとばいはなたか篤胤あつたねも一かたならず感心かんしんしてしまいました。

 寅吉とらきち言葉ことばをつづけました。

先日せんじつわたしは七韶舞しょうまいのことを皆様みなさんおしえましたが、短笛たんてきちようのちがってるからくに訂正ていせいせよ、と師匠ししょうから叱言こごとわれました。まい足踏あしぶみもわたし右足みぎあしから踏出ふみだしたのは間違まちがいで、左足ひだりあしからすべきものだそうです。また師匠ししょうは、このまいあわせる臥龍笛がりゅうてき浮鉦ふしょうをもつたえてけとって、臥龍笛がりゅうてき内部ないぶ機関しかけをもせてくわしくおしえてれました……。』

 寅吉とらきちそのばん篤胤あつたねとらえて徹夜てつや細々こまごまといろいろのこと説明せつめいしたのでした。


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