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岩間山人と寅吉

 十 天狗てんぐさんに手紙てがみ

 最初さいしょだれしも寅吉とらきち誤魔化ごまかものであろうとうたがいのけましたが、ぎからぎへとその霊能れいのう発揮はっきし、その博識はくしき吐露とろしてくのでしまいには大抵たいていかぶとぐのでした。ある篤胤あつたねところで、二十人許にんばかり有志ゆうししゃまえやま神楽かぐらを七八ばん自身じしんってせたお手際てぎわなども、なかなかあなどるべからざるものでありました。

岩間山いわまやま山人さんじんは』と寅吉とらきち歌舞かぶきて講釈こうしゃくするのでした。『神祇しんぎなぐさむるめに、山中さんちゅうまた海面かいめんにて時々ときどき韶舞しょうまいという歌舞かぶります。舞人まいては五十めい奏楽者そうがくしゃは二十四めい合計ごうけい七十四めいであります。その歌詞かしはこれこれ、その所作しょさごとはしかじかであります。』

 かれ非常ひじょう所作事しょさごとおおその舞踊ぶようさまを一節毎ふしごと説明せつめいし、また舞人まいてれつぱんごとにつきて各々おのおの精密せいみつなる講釈こうしゃくこころみ、おリンとなつくること、五人掛にんがかりでく四十八こう長笛ちょうてき、さては石笛いしぶえ短笛たんてき羽扇はおうぎ浮鉦ふしょうなどの形状けいじょうを一々精細せいさい図説ずせつしたうえ雌竹めだけもとめて自身じしんながさ一じょうと九しゃくとの二かん長笛ちょうてきたくみに製作せいさくしました。

 そうしたうえみずからあがりて実地じっちってせたのですから人々ひとびと驚歎きょうたんしたのも無理むりはありません。坐客ざきゃくなかには乱舞らんぶ音曲おんぎょく熟知じゅくちせる神道家しんどうかが四五にんりましたが、それひとけびっくりしました。そして

『こりャまったみょうじゃ。かかる古雅こが神楽かぐらまいはとても凡人ぼんじん出来できわざである。』

めそやしました。

 ンな具合ぐあいで、寅吉とらきちたいする学者達がくしゃたち好奇こうきねつ研究けんきゅうねついて旺盛おうせいりつつありましたが、十がつ下旬げじゅん寅吉とらきちは一たん江戸えど引上ひきあげて岩間山いわまやまかねばならぬことになってました。

 現在げんざい寅吉とらきち美成よしなりたく食客しょくきゃくとしてべつ不自由ふじゆうにはいませぬが、ただおまえ仏法ぶっぽうことくわしいから、そうれと美成よしなりすすめるのには閉口へいこうしました。かれ時々ときどき屋上おくじょう火見櫓ひのみやぐらのぼり、岩間山いわまやまほうのぞんで、ふか感慨かんがいしずみ、自分じぶん到底とうていなか不向ふむきの人間にんげんであると嘆息たんそくするのでした。

 するとある外面おもてから、

平馬へいま平馬へいま!』

と、自分じぶん名前なまえぶものがあるので、そとると、それは岩間山いわまやま兄弟子あにでし左司馬さしまでした。

今日きょう師匠ししょうからの使者つかいとしてた』とかれいました『そなた近頃ちかごろしきりに物思ものおもいをしてるが、ちかうちそなたたよりとなるひとあらわれるから心配しんぱいすなとの師匠ししょう伝言ことづてじゃ。そして十がつ末迄すえまでには一登山とざんをせよ。ただ師匠ししょう讃岐さぬきやまめぐばんあたられ、そのうち不在るすになるから、今歳ことし寒行かんぎょうやすみになるはずじゃ。さすればそなたそのときまたさとることになる。』

 これだけいて左司馬さしまはプイとかえってしまいました。そうするうちにいよいよ約束やくそくの十がつなかばをしましたので、寅吉とらきちはそれとなく出発しゅっぱつ準備よういりかかりました。

 かくと篤胤あつたねひとりうなづきました。

おれ意見いけん充分じゅうぶん批判ひはんるものはこの人間界にんげんかいには一人ひとりない。一つ山人さんじん杉山すぎやま組正そしょう手紙てがみおくっておれいた書物しょもつ批評ひひょううてやろう。』

 かくてかれは一つう手紙てがみとも自著じちょたま真柱まはしら』を寅吉とらきちたくしたのでした。


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