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岩間山人と寅吉

 八 空気銃くうきじゅう大文字だいもんじ

 十がつの十一にちには、かねて約束やくそくとお山崎やまざき美成よしなり寅吉とらきちれて篤胤あつたねもとました。同日どうじつ主人しゅじんほか佐藤さとう信淵しんえんだの、國友くにとも能當よしまさだのという、当時とうじ知名ちめい学者達がくしゃたちあつまって、評判ひょうばんの『天狗てんぐのお弟子でし』の来着らいちゃくってました。

 今日こんにちなら『霊能れいのう実験会じっけんかい』とでもいうところでしょう。寅吉とらきち立会人達たちあいにんたち請求せいきゅうおうじて、得意とくいになって種々いろいろ説明せつめいやら、霊術れいじゅつやらをおこないました。にしろ主客しゅかくともに見当けんとうれぬ無経験むけいけん仕事しごとでありますから、なかには随分ずいぶんくだらぬものもまじってりますが、さりとてまた傾聴けいちょうすべきてんすくなくないのであります。われわれは平田翁ひらたおう記録きろくむにつけても、『当時とうじ心霊しんれい科学かがく研究会けんきゅうかい成立せいりつしてたらば……』のうらみがないでもありませぬ、ドーも時々ときどき迫窮ついきゅうすべき肝腎かんじんてん追窮ついきゅうせずにいたり、あらずもがなの説明せつめい感服かんぷくぎたりするおもむきえるのであります。が、今更いまさらそれを愚痴ぐちったとて取返とりかえしのつくことではありませぬ。いたずらに空論くうろん空理くうり跋扈ばっこした徳川とくがわ時代じだいとしては、よくもこれだけまとめたものだとむし感謝かんしゃすベきでありましょう。

 篤胤あつたね最初さいしょしたのは日頃ひごろ愛用あいようの一石笛せきてきでした。石笛せきてき神笛しんてきまた天然てんねんぶえなどともしょうせられ、天然石てんねんせき自然しぜんあないたもので、鎮魂ちんこんときらしきわめて原始的げんしてき楽器がっきでありますが、寅吉とらきち大変たいへんそれがりました。かれ暫時しばしそれをくちびるてて有頂天うちょうてんになってらしました。

 それからかれ各人かくじんいにおうじて、種々いろいろ説明せつめいこころみ、くちいてその該博がいはくなる智識ちしき満座まざ人々ひとびとをアッと感心かんしんさせました。就中なかんずく寅吉とらきち空気銃くうきじゅう構造こうぞう説明せつめいしたのにはだれおどろいたそうです。かれところによれば各種かくしゅ発明はつめい幽界ゆうかいおこなわれ、それが余程よほどおくれて人間界にんげんかいつたわるのだそうで、みぎ空気銃くうきじゅう……寅吉とらきち口吻こうふんりてえば『空気くうき風砲ふうほう』なども、あるいそのしき後年こうねん人間界にんげんかいつたわったのかもれません。にしろ徳川とくがわ末期まっき空気銃くうきじゅう説明せつめいふるってります。

 それからそのばん人々ひとびと感歎かんたんせしめたのは、寅吉とらきち非凡ひぼん運筆うんぴつで、美事みごと大字だいじいたことでした。かれ碌々ろくろく手習てならいなどをしたことのない子供こどもで、以前いぜんきわめてヘタクソな小文字こもじいたことがあるのみでした。段々だんだんきいてると寅吉とらきちやま手習てならいをしたのだそうで、その方法ほうほうなるものがまたすこぶ面白おもしろいものでした。

やま手習てならいはすなでやるのです。すなつまんでならはじめるので字型じがたおおきい。わし細字さいじはまだならわない……。』

 その翌日よくじつまたまねかれてきました。そして人々ひとびとうがままに、石剣せきけんこと根石ねいしこといし膠接つぐこと、つきおおきなあながあること、人魂ひとだま鳥獣ちょうじゅう行方ゆくえことなどをいて不相変あいかわらず博識はくしきりを発揮はっきしました。

 が、なんっても寅吉とらきち真価しんかやま師匠ししょう直伝じきでん霊術れいじゅつ霊覚れいかくとにったことはもうすまでもありません。ところ談話だんわちゅう偶然ぐうぜんにも寅吉とらきちその手腕てなみせることになりました。


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