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岩間山人と寅吉

 四 ワイワイ天王てんのう

 やがてつぼからされてると、寅吉とらきちらぬ深山みやまいただきることにがつきました。

 のちいたりてそのやまぞく天狗てんぐ行場ぎょうばわれて常陸ひたち南台丈山なんたいじょうさんであることわかりましたが、当時とうじ寅吉とらきちはただただ無我むが夢中むちゅうでした。ひるあいだは、それでも幾分いくぶんまぎらされてましたが、よるになると流石さすが自家うちことおもわれて、とうとうシクシクとしてしまいました。老人ろうじんもこれにはあましたものとえまして

『そうくなら、仕方しかたがないおれうちまでおくってやるよ。ただうちもどってもこのことけっしてひとかたるではないぞ。毎日まいにちじょう天神てんじんまえさえすれば、おれおくむかえをして、そのあいだ卜筮うらないことおしえてやるよ。』

 とふくめました。そして

『さァじて、しッかりおれ脊中せなかにつかまれ!』

というのです。

 はるるままに寅吉とらきち老人ろうじん脊中せなかつかまったとおももなく、たちま虚空こくうのぼり、かぜがビュービュー! とみみかすめてひびきます。

 が、それもホンの少時しばしで、いつしかったのは下谷したや軒町けんちょうなる我家わがやまえでした。老人ろうじんここでもまたかえかえこのことひとかたるな、かたるとめにくないなぞとふくめ、そのままブイと姿すがたしました。

 子供心こどもごころにも寅吉とらきちかた老人ろうじんおしえまもり、おや兄弟きょうだいにもこのことかたらず、くる午過ひるすぎにまた単身たんしんじょう天神てんじんまえってますと、其所そこには老人ろうじんってまして、早速さっそく寅吉とらきち背負せおってれいとおりの空中くうちゅう飛行ひこう

 んな日課にっか毎日まいにち毎日まいにちかえされました。寅吉とらきちやまかれ、やまからやまへとやまなかばかり引廻ひきまわされ、そのあいだはなったり、とりったり、また谷川たにかわうおったり、そして暮方くれがたになると江戸えど我家わがやもどされました。しかし肝腎かんじん卜筮うらないことなどはさっぱりおしえてれませんでした。

 うして毎日まいにち山遊やまあそびをしてうちに、段々だんだんやまれてて、我家わがやこいしさのねん次第しだいうすらいでまいりました。

 寅吉とらきちいえ其日そのひらしの貧乏びんぼう世帯じょたいで、子供こども世話せわ出来できねるところから、寅吉とらきち毎日まいにちうち暮方くれがたもどるのを結句けっく僥倖さいわいおもい、べつ何所どこったと詰問きっもんするようなこともありませんでした。

 寅吉とらきちが七軒町けんちょう街頭おうらいあそんでますと、そのころ流行りゅうこうの『ワイワイ天王てんのう

というのがとおりかかりました。これは一人ひとりおとこあか鼻高はなたかめんをかぶり、みじかいはかま穿き、太刀たちし、『天王てんのう』という二いた赤色あかいろ小札こふだ蒔散まきちらして小児こどもあつめる仕事しごとなのです。そのはやしの文句もんくうです。

天王様てんのうさまはやすがおき、はやせや子供こどもワイワイ! とはやせ! 天王様てんのうさま喧嘩けんかきらい、喧嘩けんかをするな! なかよくあそべ!』

 寅吉とらきち面白おもしろくてたまりません。自分じぶん多数おおぜい子供こどもれんまじって、共々ともどもはやながら、とうとう本郷ほんごう妙義坂みょうぎざか附近ふきんまでってしまいました。

 れたので、いてった子供こどもれんも、一人ひとりり、二人ふたりり、寅吉とらきち帰途きときました。するとの『天王てんのん』が路傍ろぼうって天狗てんぐ仮面めんるのをると、意外いがいにもそれは日頃ひごろ懇意こんい老人ろうじんでした。

『これからきさまうちまでれてってやるよ。』

 で、二人ふたりって茅町かやちょう榊原さかきばらこう表門おもてもんまえ来掛きかかりますと、ひょっこり寅吉とらきち父親ちちおや出遇であいました。

『これはところでおかかりました。それではたしかにおさんをお引渡ひきわたいたします。』

親切しんせつにどうも……。難有ありがとござりました。』

 ちちよろこんであつれいべ、先方せんぽう名前なまえたずねますと、老人ろうじんはヌカラヌかおで、

わし神田かんだ紺屋町こんやちょうひころうというもので……。』

出鱈目でたらめってわかれました。


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