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岩間山人と寅吉
一 はしがき
平田篤胤全集の中にも収められて居りますから、既にこの不思議な物語を御読みの方が千人に一人や、万人に一人はお在りでしょうが、今日『心霊参考書』を刊行するにつきましては、日本種では先ず指を此物語に屈するより外に致し方がありますまい。純科学的に材料を取扱ったとは申されぬかも知れませぬが、徳川時代の国学者又神道家の中で、平田翁ほど真剣味を以て活きた材料、活きた事実に喰って掛った人はありませぬ。良くても悪くても、日本では心霊問題の研究者に対して、この「一篇の物語」を参考資料として第一番に提供するのが蓋し正当でありましょう。
平田篤胤翁の事蹟は爰に紹介するには余りに知れ過ぎて居ります。翁が幕末期の江戸を飾った国学並に神道の大家であった事、極めて負けぬ気の人で鉅万の資産を其著述の出版に蕩尽した事、一時は本居宣長に師事した事、又本邦の神祗に精しかりしは固より、一般に鬼神、霊魂、妖魅等に関する該博なる知識を有して居た事等は、今更物珍らしげに書き立てる必要はありますまい。又翁の孫に当る平田盛胤氏が現在神田明神の社司を勤められて居る事も、恐らく御存じの方が多いでしょう。今回本会が、日本の心霊事実を蒐聚出版しますのに就きましても、先ず盛胤氏に御相談して、其快諾を得て居る次第であります。
著者の平田先生よりは、寧ろ当物語の主人公たる寅吉君に就きて一言述べて置く事が、初めて本書を繙かるる人々に便利であるかと考えられます。寅吉というのは決して架空の人物ではありませぬ。江戸下谷区七軒町の莨商越中屋與總次郎という人の次男でありましたが、七歳の時、一個の怪人物に誘われて常陸国西茨城郡岩間村の愛宕山という深山に行ったのであります。誘われたと申して、近頃流行の拐誘などとは大分訳が違います。拐誘した上に高い値で売り飛ばすなどというような、そンな娑婆臭い話でなく、寅吉は愛宕山で仙人の弟子となり、九年間仙人修行をしたのであります。『何に! 仙人修行! 仙人が居たなどというのは人智未だ開けざる野蛮時代の囈語、二十世紀の世界に誰がそンな莫迦な話を……』などと、憤慨さるる方があるかも知れませぬが、その憤慨はしばらくお預りを願います。仙人だの、天狗だのというものの存在を突きとめた方も無いでしょうが、此等のものの絶無である事実を証明し得た人も亦ききませぬ。結局これは未解決の問題なのですから、肯定もせぬ代りに又否定もせず、寅吉の仙境異聞を一応聴いて御覧になるのが可いかと考えられます。案外真面目なる心霊研究者の好参考資料たる価値が充分あるのであります。
兎に角寅吉は愛宕山の異人の許に到り、仙人修行をする事前後九年、文政二年の秋、暫時の休暇をお師匠様から貰って江戸の親の家へ帰ったのであります。そして其間修得せるいろいろの事柄、並に愛宕山の異人仲間のことなどを喋り散らしたのですから、江戸市中の評判となったことは申すまでもありませぬ。とうとう篤胤翁の耳にも入り、斯ンな事柄にかけては目のない人ですから、早速寅吉を自分の家に引ッ張り込み、同志の人々と共に、日夜質問連発、一々之を筆録しました。『寅吉物語』は即ち其産物であります。
昔も今も同じこと、かかる奇怪な事柄をそのまま信用する人ばかりはありません。寅吉という奴は狡猾な一悪童で、よい加減な駄法螺を吹いて、馬鹿正直な篤胤翁を騙すのであるという者も相当に沢山ありました。しかし乍ら篤胤翁及び其高弟達が神祗並に祭式に関する諸般の典礼などを寅吉に尋ねて見るに、其返答はいかにも精細綿密、且つ条理井然として居り、学者達の夢想だもせざりし神祇上の種々の秘伝事等をも続々と物語るものですから、一慨に之を貶して了う訳にも参らぬ点が確かにあるのでした。で、寅吉は矢張り、山中の霊域に於て異人の薫陶を受けたものではあるまいかという説が、一方に於て中々有力であったのも、決して無理のない事柄でありました。
又右の岩間村の愛宕山というのが、古来から天狗の棲む所だと見倣されて居るのでした。厳密にいえば、その者は天狗よりは一段上位にある山人というもので、仙人とも別種だということですが、仙人同様神通力があり、大抵の場合には俗人の眼にはかからず、日夕神道の修行をなし、ホンの時稀姿を人に見せる丈であるということです。其山人の頭領の名は杉山組正、弟子には高山左司馬、古呂明其他沢山あり、数百歳の齢を重ねて飛行自在を極めたといいますが、無論その素性も本名も判りはしませぬ。何れにしても不可思議きわまる連中で、事実とするには手懸りが薄きに過ぎ、さればと言って、架空譚とするには内容が豊富に過ぎ、又正確に過ぎます。虚実の境、真偽の八衢――読者諸君は間断なく批判の眼を光らして、此物語をお読みになるようお願い致して置きます。
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