心霊図書館 > 「心霊研究とその帰趨(神霊主義)」

心霊研究とその帰趨

八、霊視現象

 霊視とは西洋の所謂いわゆるクレエアヴォヤンスで、純乎じゅんこたる主観性の心霊現象である。この種の霊媒は全然無意識の入神状態に入ることが絶対にない。全然無意識であれば折角観てもその記憶が後に残らない。それでは霊視家とは言われない。で、一ばん普通なのが半意識の入神状態である。そのめに実験後まで相当はっきりした記憶が残る。

 霊視能力の種類はこれを四種類に分けることができる。即ち――

 (一)距離を超越する能力(所謂いわゆる千里眼)

 (二)遮蔽物を観破かんぱする能力(所謂いわゆる透視)

 (三)超現象界を視る能力(一の幽明交通法)

 (四)時を超越する能力(主として予知能力)

 である。幸い現在の日本にはそれぞれ、此等これらの実験にゆる能力者が輩出してるので、その点ははなはだ心強いが、今から二三十年前には随分苦くるしんだものである。欧米にも現在相当優れた霊視能力者がる。従って近頃はこの能力の有無に関して、ただ無茶に疑惑を挿むような者はようやすくなくなったようである。何と言っても人間には実験実証が肝腎である。理窟りくつなどは大概後からつけられるもので、いかに巧妙な理論も、活きた事実の前には直ちに土崩どほう瓦解がかいするのを常とする。

 右のような次第で霊視の実例は無数にあるが、私はそれ等の中から最も代表的なものを類別的に挙げることにしよう。

 距離を超越する霊視――ず第一の距離を超越する霊視の実例としては、少々ふるくさいが、あまりに歴史的に有名なので近代心霊研究の先駆者のスウェデンボルグに起った一実例でもげずばなるまい。一七五九年九月某日(土曜日)の午後四時頃スウェデンボルグは英国からゴッテンパークに来着して一友人の家に招かれたが、しばらくして彼は同市から約五十マイルの距離にあるストックホルム市に火災が起り、目下さかんに燃え拡がってると言い出した。彼は一々延焼中の町名を指摘し、同市に在る自分の家もあぶないと心配していたが、午後八時になると、火災は彼の住宅から二軒目で消えたと言ってやっと安心した。この霊的警報は勿論むろん全市内に多大の衝動を惹き起し、くる日曜の午前には、わざわざ知事からばれて火災の状況を質問され、彼はあたかも目撃者であったかの如く、いとも詳細にその状況を物語った。月曜日の晩に及びて、ストックホルム市の通商局から派遣された使者がようやく到着して出火の大体を物語り、更にその翌朝、御用飛脚が知事官庁に到着して、逐一火災の状況を報告したが、延焼区域といい、又その時間といい、すっかりスウェデンボルグの霊的調査に一致していたというのである。これで見るとスウェデンボルグの霊視能力は相当優秀なものであったらしい。が、現在世界の心霊界はこの程度の能力者に決して不足は告げないのである。現にわが中尾良知氏でも、北村榮延氏でも、遠距離の偵察をばほとんどこれを実用化してる。無論霊媒は肉体を有った、生きた人間であるから、ある程度その日の気分又は生理状態等のめに左右されることは余儀なき次第で、従ってその成績には多少のムラがある。精巧な器械のようにいつも百発百中とは決して行かない。が、る重大問題等につきて、念入りに調査を行えば、しばしば驚くべき好成績を拳げ、すくなくとも参考資料としての価値は十二分に具えている。

 物体の透視――ぎに第二に挙げた遮蔽物を透視する能力も前者に劣らず実用価値に富んでる。近来エックス線の応用も相当広範囲にわたって来たが、その威力はすこぶ遺憾いかんな点がある。これを霊媒の発揮する優れたる透視能力に比すれば到底問題とするに足りない。エックス線で行ける限りは勿論むろんそれで行くがよい。が、それで不充分な点、又それで不可能の点は、透視能力をもってこれを補充するに何の不可かこれあらんやである。

 透視の実験は極めて簡単正確に行い得るので、その実例はほとんど無数に存在する。現にわれわれはほとんどいつも、月に一度や二度、この種の実験を行わぬことはない。実験の結果からすれば、地質のらいものほど透視が容易である。即ちある文字を紙製封筒に入れて透視するなどは比較的容易である。これにいでは木理きめの粗末な桐の箱の透視がり易い。ブリキのカンの透視となると、モー余程の難事で、練磨を重ねた霊媒でないとその試験にえないようである。これから考えても霊的能力に幾多の階段があることは明瞭で、霊といえば直ちに無差別平等である、と言ったような粗大な考え方は、一時も早く切り棄てねばならない。無差別平等は理想の極致、思索想像の終点であって、その手前のものは神でも、天使でも、他の何物でも、ことごとく差別的であり、階段的である。

 幾多の実験の結果から見て、現在の日本で第一の透視能力者は矢張り北村霊媒を推さねばならぬ様である。中尾氏、龜井氏その他相当優れた能力者はすくなくないが、迅速で、正確であることにかけて北村氏は確かに一頭地を抜いている。一例として昭和八年四月二十日に行われた東京心霊科学協会の第八回研究会の報告(心霊と人生誌昭和八年六月号所載岩田宗一郎氏報告)の一部を抽出しよう。

『次に北村氏の透視実験を行ったが、いつもとは趣をかえ、出題者の書いた質問に対して、開封せずに答を出すという実験であるが、素晴らしい成功であった。出題者の竹内まき子壌は心霊実験会へは初めての参加であったが、実験物作製の役を担当し、別室で質問事項を書きてこれをハトロン紙の卦筒に入れたものを持って席に戻り、自分の懐中に仕舞い込んだ。北村氏は約一間の距離の地点に、小机を前に席を占め、例によりて統一に入るや、振動する手に鉛筆を握って、自動書記式で紙面へたたきつけるようにして二寸角大の文字を書いて行く。用紙は便箋であるから五六字も書けばすぐ一ぱいになる。三人掛りで紙をめくり、筆記を助けたが、文字が重なったり、乱れたりしていて充分に判読できない。再度書き直して貰ってからようやく判った。それはぎの通り。――

 (昭和九年四月二十日頃、あなたは家の内部で友達と議論をしています。)

 念のめに右の封書を覚醒のままで透視して見ようと言って、つづいて北村氏は目をしばたたきながら、少時封筒を見つめていたが、どうもよく判らん、ただこれ丈見えると言って、ぎのように書かれた。――

 (来年の今……イルカ)

 初めと終りとの文字は右の通りである。中間にも文字はあるが、どうもよく判らぬと北村氏は言われる。そこでいよいよ問題の封を切って折たたんである便箋を開いて見ると、それにはぎの文句が書かれてあった。

 (来年ノ今頃私ハ何所ニイルカ)

 文字は三分角大で一行に書かれてあり、紙を四折して封筒に入れてあった……。お北村氏の回答は右の質問に対して一種の預言となっているが、これが当るか当らぬかは別問題で、他人の懐中に忍ばせた未知の手紙に対して、ぴったりした返事ができるその実験に大成功を収めたことを大に喜んだのである。所要時間は約十分間であった……。』

 超現象界の探検――第三に挙げた超現象世界を視る能力は古来最も有りふれた霊的現象で、ことに信仰団体の間にはこれに関する幾多の伝説がしきりに喧伝けんでんされてる。曰く地獄極楽見物、曰く見神、曰く見仏、曰く何々……。就中なかんずくカトリック教徒の間には、聖母マリアの姿を拝んだというような話が今日でも頻々ひんぴんとして報道されつつある。

 が、この種の現象に、はたして学術上どれだけの価値があるかはすこぶる疑問で、本人の主観の上にはよしそれが厳然たる事実であろうとも、客観的には熱烈なる宗教的空想が生める、一の幻錯覚的産物と見做されても仕方がなかりそうなものばかりである。そこで心霊研究者としては、是非とも事実の正否を確かめたいばかりに、種々の実験方法を講ずる訳であるが、それ等の中で何より確証的と思わるるのは、近年死んだ人の姿を霊視的に目撃する事である。古代人の姿では、これを厳格につきとめる方法はないが、近代人ならばその人の写真も残ってるので、霊眼に映ったものが正しいか、正しくないかが、すぐ証拠立てられる。心霊学界にはんな風にして突きとめられた、もろもろの証拠がすでに山積してり、その結果必然的に超現象世界の存在、および死後個性の存続を認めねばならなくなった次第で、これに関する実例は私の手元にも沢山ある。ここに一例として昭和六年七月二十六日、私達夫妻と北米の閨秀けいしゅう心霊家ハック夫人との間に起った実験の記録(心霊と人生誌、昭和六年九月号)の一部を抄出する。

『ハック夫人の横浜に着いたと知った時に私は早速亡児新樹を彼の母の躯にかからせて、ハック夫人の背後に控えている司配霊しはいれい達との交渉を起させました。夫人の守護霊は女丈夫式のきりッとした一女性で、これなら立派な働きができそうだと感ぜられた。お右の守護霊の外に蔭から夫人を守っているのは亡夫のハック博士で、この人は六十歳未満の、むしろズッシリと肥太った丸顔で愛嬌のある紳士でした。しきりに何や彼やと亡児に話しかけた。最初はちょっときき取りにくいと言って亡児はこぼしてたが、二三度試みている中に、すっかり相互の意思が通ずるようになった。亡児の眼に映ずる所、心に感ずる所は、勿論むろんそっくりその霊媒たる彼の母に通じ、彼女の眼には極めて明瞭に六年前に死んだ故ハック博士の姿が印象されたのでした。

『が、彼女の霊眼に映じたハック博士の姿がはたして実物に相違ないか? はたして幻錯覚の産物ではなかったか?――霊媒能力の試験としては誠に絶好の機会と思われましたので、私は七月二十六日少し早目に妻を同伴してハック夫人を横浜のホテルに訪問し、早速二階の一室をしめ切り、妻とハック夫人とを同時に統一状態に導きました。妻の霊眼にはハック博士が眼前に現われ通しであり、そして博士が亡児に向ってのべる言葉は、妻の口を通じて日本語で現われる。同時に亡児が博士に向って述べる言葉はハック夫人の手を通じて自動書記で英語で現われる。従ってもちろん意味だけしか通じないが、内容の点につきては少しも申分はないのでした。が、霊眼の正確味は一層顕著に証明されました……。統一状態から覚めた夫人はその所持せる十数葉の写真をゴチャゴチャと卓上に並べ、この中に亡夫の写真が一枚混まじっているから、それを選り出せと私の妻に請求しました。妻は眼底に刻まれたる記憶をたよりに、ハック博士の写真と見受けらるるものをたちどころに指摘し、これとそっくりですが、ただ霊眼でお目にかかったお姿の方がずっと老けて見えますと、言った。するとハック夫人は笑い出し、それはそうでございましょう。この写真は私達の結婚後間もない時分の写真で、良人はその時三十台でございました。歿なくなったのは五十三の時でございますから……。』

 これは霊視能力をもって帰幽後の人の姿をのぞいた一例であるが、おこの能力を活用すれば、人間以外のものが超現象世界に充満してることを発見する。就中なかんずく顕著なるは私の所謂いわゆる自然霊――つまり、天狗、妖精、龍神等と言ったような特殊の存在で、これ等のものはただの一度も物質的肉体をちて地上に現われたことはないと信ぜられる。従って研究題目として何よりの難物であるが、しかし東西両洋の優れたる霊視者達の多くがはっきりとこれを認め、そしてその描写に顕著なる一致点を見出す以上、恐らくこれを事実として肯定せねばなるまいと思う。いわんや自然霊中の下級なもの、例えば妖精の如きはすでにその姿をしばしば写真の乾板にも収めさせ、又その物質化した姿をわれわれに見せてもるのであるから、その存在は学術的に正確であると謂わねばなるまい。

 英国のトウィーデル夫人は斯界しかいに有名な霊視能力者であるが、この人も妖精目撃者の一人である。左にその談話の一節(コナン・ドイル著『妖精来』より)を紹介する――

『丁度五年程以前の事、私は妖精というものの存在を証明し得る面白い経験を得ました。ある夏の日の午後デヴォンシアのラブトン・ハウスに近い小路を単身で散歩したことがありました……ふと気がつくと眼前五六尺を離れた所で、野生の菖蒲しょうぶの長く尖った葉が、一本はげしく揺れているのです。ただゆらゆらと、動くだけでなく、なり力強く、折れそうになるほど曲げられています。そして他の葉は全く静止状態なのでした。多分野鼠の悪戯いたずら位に考えて足音を殺してそばえよって見ました。ところが、思いがけない、小さな緑色の人がるのです。この小人は薬に抱きついて揺っているのでした。小さい緑色の足に矢振りこれも緑色の長靴を穿いていましたが、この足と頭の上に伸ばした両手で葉にからみついていたのです。その愉快そうな小さな顔と、頭の上にあった、帽子の恰好かつこうをした赤いものはいまだによく覚えています。ジッと見ていると、丁度ちようど一分間ほど同じ状態をつづけていましたが、急に消えてしまいました……、

 以上は数ある実例中のホンの一片鱗に過ぎないが、これを観ても霊視能力が超現象世界の探究たんきゅうに向っていかに重要な役割を演ずるものであるかが明白であろう。因みに私は自然霊の中に天狗龍神等を数えたが、うした名称は実はドーでもよい。民族の相違でその名称はいろいろに変る。菩薩、天使、神仙、妖魅、外道、悪魔、などと呼ばるるものの中には私の所謂いわゆる龍神もあれば、天狗もるようである。われわれの関心する所は名称の詮議立てよりは、むしう言った幽的存在物の実体の穿鑿せんさくである。それが充分でき上る時が、取りも直さず科学と宗教との全く一致する時であろう。現在はまだこの事業がようやくその緒に就いたところに過ぎない。

 未来の透視――最後に時を超越する霊視能力につきてのべる。これはあらゆる心霊能力中最も驚歎きょうたんすべき性質のものであり、従って現在の科学の知織をもってしてはこれを合理的に解釈することがほとんど不可能に近い。勿論むろんそこにはすでに幾つかの仮説が提唱されてる。例えばかの第四次元論などがその中の最も有力なものの一つである。『時』なるものは第四元的要素で、われわれは全然その『時』の流れの中に浸ってる。われわれ三次元的物質界の居住者にとりて過去、現在、未来が別々に存在するかの如く見ゆるのは、単にこの『時』と三次元の世界との接触いかんに依る。すなわち現在というのはこの二つの無辺際むへんざいなるものの間に出来た剃刀かみそりの刃の如きものと考えられるのである。普通人にはその剃刀の刃の個所だけしか見えない。が、人間の変り種、第六感の所有者にはる程度まで『時』の流れそのものを視ることができる。それが取りも直さず時間を超越する霊視能力となりてあらわれる……。

 この説明がはたしてどの程度まで現代人を首肯しゅこうせしむるかは不明であるが、理論は別として、兎に角この種の心霊事実がげんとして存在すること丈は確実である。例えば中尾良知氏の霊視実験において、氏はしばしば入学試験の及落に関して的確なる予告を与える。全部が全部とも的中とは行かぬらしいが、しかし到底偶然の暗合では一蹴し得ない高比率を有っている。私が氏に向って、いかなる方式でそれが判るのかと訊ねて見ると、氏は笑って答えるのであった。『私が瞑目して霊示を仰いでると、及第の場合には、志望した学校の制服制帽をかぶって、本人が得意そうにしている姿が眼に映ります。落第の場合にはあたまを掻いて萎れているのが見えます。私は、ただ見えたままをお取次とりつぎする丈で。』

 北村霊媒にもこの種の能力がすこぶる顕著に発達している。私はその力量を実験したいばかりに、同氏を二回ほど目黒の競馬に連れ出した。彼は勝負に先立つ二三十分の頃番附を見て軽く瞑目統一する。すると二三十分後に起るべき決勝線の光景が歴々と心眼に映じ、第一着、第二着等の馬の番号が強く印象に残る。時としては失敗もある。例えば数字の8と3、6と9を見誤ったりするの類である。ことに見にくがるのは第一着と第二着との差が極めてすくない時で、わずかに鼻端丈の差をもって決勝線に飛び込む場合などには、普通人が肉眼で見判みわけにくいのと等しく、霊眼でも見判みわけにくいようである。が、総計三十四回の予測中、第一着の馬に対する的中率は優に八割以上、ほとんど九割に近いのであった。

 仏のリシエ教授が欧州大戦直前に直接タルジュー博士からきいた事実は、予言的霊視現象の一適例たるを失わない。タルジュー博士はく語るのであった。――

『私は一八六八年学校を卒業して医師の卵となった。その頃余の親友にソンレルという男がいたが、彼は数学者としても、又物理学者としても非凡の才能を有していた。同年七月某日午後五時頃、自分達二人はルクセンブルグ公園を散歩していた。と、ソンレルは急に恍惚状態に入り、足を停めて喋り出した。(これは不思議だ! 君は軍服を着ているぞ。フム陸軍帽を手に持って、その帽子の中で銭勘定をしている。場所は汽車の内部だ! ハテ君は一体何所へ行くのだろう……。イルソンかしら……セダンかしら……。イヤ大変だ大変だ! 国難だ! 僕も矢張り軍服をつけてるぞ! なかなか僕の地位は高い……そんな事がはたして起るか知ら……。オヤオヤ僕は重い病気に罹っている……。三日間わずらって死ぬ……。しかし君は僕が死ぬ前に駈けつけてくれる……。) 言い終ってソンレルはケロリと覚醒して何事も知らざるものの如くであった。所が、この驚くべき霊視的予言は二年の後にその通り実現した。一八七〇年に普仏戦争が起り、その年の末に私は某野戦病院附を命ぜられ、実際に軍服を着くる身となった。そして赴任の途中傷病者慰問のめに寄附金を集め、それを実際に軍帽の中で勘定した。ソンレルもまた同年の九月にはすでに陸軍工兵隊部長に任ぜられてたが、不幸にも彼は出血性の天然痘に罹った。私は辛うじて彼の臨終に間に合った。彼は病床でしきりに私の来着を待ち、かく言いつづけたそうである――(タルジューが来る……。来るのが見える……。) 兎に角ソンレルがわれら等二人の身の上に関してのべた予言は一から十までことごとく実現した……。』

 右はる程度まで霊言現象が手伝ってり、純の純なる霊視現象とも言われぬが、兎に角驚くべき一実例たるを失わない。

 霊視現象の内面装置――実例の紹介は以上をもって打切り、霊視の内面装置につきて、現在において判った丈のところを述べてこの章をおわろう。内的に考察すれば霊視能力の発生にはあきらかに三つの場合があると思う。第一は自力的要素が勝っている場合である。即ちその人が心身浄化の妙境に到達した結果発揮する所の霊視能力で、古来唱え来れる心眼を開くとか、無声に聴き無形に視るとか、又は観自在とか、いうのは恐らくうした理想の境涯を指していうのであろう。そんな人物はこれを霊媒と称するのはいささか勿体ない。むしこれを覚者とでも呼ぶべきであろう。が、実際問題とすれば、この種の能力者は極めて稀有……恐らく絶無と言ってよかろうと思う。すでにその人が鈍重な肉体をって地上生活を営んでる以上、その心身の浄化には限度がある。釈迦だって基督キリストだって断じてその選にるる筈がない。要はただ常人に比して比較的に浄化しているか、いないかの問題である。ところが肉体を棄てて幽界に入ったものは、普通人でもる程度時空を超越せる能力を所有している。他にあらず、それは彼等が偉いからというよりも、むしろ彼等の境涯が自然にしからしむるからである。地上の人間ができる丈精進努力することはもとより大切であるが、しかし人の人たる本分を越えて、いたずらにバラモン式の難行苦行に耽るなどは決して感服できない。何となれば、それは自然法則に逆行した行為で、労したほどの効果が到底収められないからである。

 第二は病的変態的の場合で、これはその人の複体又は幽体が不自然的に肉体から離脱する結果おのづと発揮される霊視能力である。る程度練習によりてこの能力を獲得することもできるが、多くは本人の病的先天性から来るものが多いらしい。科学的実験資料とするにはこの種のものも価値がないではないが、しかし強いて求めてこれを誘導すべき性質のものではあるまい。又幸いこの種の能力は余り沢山はない。

 第三は他力的要素が勝っている場合で、ほとんど全部の霊視能力者はこの部類に編入してよかりそうである。私の所謂いわゆる他力とは、霊媒の背後に控えて、ひそかにその仕事を援助する所の、守護霊又は司配霊しはいれいのことである。外面から観れば霊視能力はあたかも霊媒自身に備わる、固有の働きのように見えるが、詳しく裏面からしらべると決してそうではない。すくなくとも最近八十余年間に出現せる東西の霊視能力者の場合においては、その背後にことごとく守護霊司配霊しはいれいの援助がある。即ちる程度時空を超越するかに見ゆるこの不可思議な能力の所有者は、実は背後の守護霊司配霊しはいれいなのであって、霊媒は単にこれを取次ぐ役目をするにとどまる。勿論むろんこの取次とりつぎの役目ははなはだ大切で決して何人にもできる芸当ではないが、しかし余りにこれを過大視することは禁物である。霊媒中の或者あるものは、単に低級な動物霊と感応しているという丈で、往々る程度の霊視能力を発揮する。この種の人物は概して品性が下劣で、人間としては何等取るに足りないのが多い。この点霊媒を取扱わねばならぬ心霊研究者にとりて大なる悩みである。われわれはくれぐれも、霊視能力の所有者であるからと言って、矢鱈にその人物を買い被ってはならない。そしてろうことなら、能力と人格とがうまく一致した霊媒を選ぶことにするのが安全である。苦い経験の結果近頃私は特に痛切にこれを感ずる。


(参考書)

Clairvoyance and Materialization. By Dr. Geley.

 霊視に関する有益な実例と理論がのせてある。

The Projection of the Astral Body. By Mulden and Carrington.

 病的変態的の霊視の実験記事である。

Seeing the Invisible. By I. Coates.

The Great Problem. By G. L. Johnson.

 本書は特に霊視現象を取扱った書物でないが、適切な実例が沢山載せてある。

Clairvoyance. By C. W. Leadbeater.

 霊視の通俗的解説。

Ghosts I Have Seen. Phantoms of the Dawn. By Mrs. Tweedale.

 霊視能力者の体験録。

『透視と其実例』    中尾良知著

『千里眼問題の真相』  高橋宮二著

 以上の二書は霊視現象に関する日本の代表的著述。

以上の外霊視現象に関する記事は『死後の世界』その他既掲の諸心霊参考書の中に見出される。又『心霊と人生』誌にもこれに関する記事が沢山のせてある。



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