心霊図書館 > 「心霊研究とその帰趨(神霊主義)」

心霊研究とその帰趨

七、自動書記現象

 自動書記もまた前章に述べた霊言と同様に、主として主観性の心霊現象である。筆やぺンを執りて文字を書くというのみでは、外面的にはそこに何等の異常性もない。ただその内容を検討した時に、われわれは初めてそれがしばしば、容易ならざる霊的産物であることを発見するのである。言うまでもなく自動書記という名称は西洋式のもので、所謂いわゆるオートマティック・ライティングの訳語である。日本では古来この種のものをお筆先などと呼んでいた。

 二様の形式――自動書記の形式は大別して左の二種類に分れる。即ち――

(甲)補助的器械を使用する自動書記。

 最も広く用いられているのはブランセットで、これは日本にも相当普及してる。お西洋ではウイジャ盤というのが近年大に流行っている。盤上にABCの二十六文字及び数字等が貼附されてり、これに三脚の指示器をのせ、霊媒がこの指示器に手をかけると、それが盤上を滑走して所要の文字を指示する装置である。近来は他にも『コムミュニケータア』『ファイノ』『アッデイタア』等と称せらるる器械がある。支那の所謂いわゆる『 乩字』もその一変形である。二尺許の丁字形の棒の両端を二人で握り、下の砂盤に文字を書く装置である。

(乙)霊媒自身の手を用うる自動書記

 霊媒はこの際通例無意識の入神状態には入らず、ただ自分自身を受身の状態に置いて筆を執るのである。すると自己の意識、小すくなくとも自分の顕在意識とは、全然別個の意識がくわわりて手を動かすのである。熟達した霊媒は往々暗黒裡でも平気で文字を書き、又他人と談話を交えたり、読書をしたりしながらこれを行うのである。

 外面的に観察すれば自動書記の装置はかくの如く簡単であるが、その裏面の装置は他の諸心霊現象と同様に複雑微妙を極める。大概の自動書記が、本人の顕在意識と無関係であることは明瞭であるが、顕在意識と無関係であるからと言って、直ちにこれを交霊作用であるとすることは早計である。われわれは自動書記現象の裏面には、常に左の二種類の意識が、単独的又は合併的に働いているものと期待すべきである。即ち――

 (イ)本人の潜在意識。

 (ロ)外来の意識。

 右の外来の意識という中には、勿論むろん生者の意識も又死者の意識も含まれている訳で、単に二つの中の一方のみを認めることは非科学的である。何かる一つのイズムを樹立しようとあせる人達は兎角自家に好都合の方面のみを認め、自家の立場に不利益な方面はこれを軽視し、はなはだしきはこれを黙殺せんとするが、これははなはだ感服できない。フロイド一流の精神分析論者、又は唯物観に立脚せる医学者などにその傾向が特に強烈である。心霊論者は断じてそのひそみならってはならない。常に純白紙の態度をもってすべてに臨む用意が肝要である。

 モーゼスの自動書記――理論的方面はしばらく後廻あとまわしとして、不取敢とりあえず事実の詮鑿せんさくを試みるが、自動書記の霊媒として人格力量共に嶄然ざんぜん群を抜いているのはけだしスティントン・モーゼス(一八三九―一九二年)であろう。彼は牛津オックスフォード大学出身の牧師であったが、後ロンドンに出でて教師となり、又今もお刊行をつづけつつある心霊雑誌『ライト』の最初の主筆でもあった。彼が霊媒能力を発揮するに至ったのは実にその三十三歳の時からで、爾来じらい 八年にわたりて随分豊富な現象が彼を通じて起った。彼は相当有力な物理的現象(卓子浮揚、物品引寄、敲音たくおん発生、光球出現、直接談話、等々)の霊媒でもあったが、しかし彼を不朽ならしむるは実にその自動書記の産物で、それは現に『スピリット・ティチングス』並にその続篇として刊行されている。

 モーゼスの背後に働いている多くの司配霊しはいれい中で最も重要なのはイムベレエタアと名告なのる古代の霊魂で、それが総支配人格である。その他レクタア、ドクタア、プルュデンス、メンデルゾーン、ベートーベン、フランクリン等沢山の数にのぼる。その自動書記の産物は全部で二十四冊のノートに収められてり、習字の手本としても良い位に、細字でキチンと極めて見事に書かれている。現在出版されているのは右のノートの中のホンの一部分に過ぎない。

 さすがに教養に富める霊媒丈ありて、その苦心談中には非常に有益な教訓を蔵している。その一節――

『私が通信を受ける時の状態は決して一様でない。通例私はただ一人で特定の一室に籠り、そして、できる丈自身の精神を受身にする……。うして現われた通信中に私自身の思想観念が混入しているか、いないかははなはだ重大な問題である。私としては無論その混入を防ぐべく絶大の努力を払った。最初不慣ふなれであった時代には、字くばりを見つめていることが必要であったが、そうした場合にも、たしかに私の思想はまじっていなかった。間もなく私の平生の思想とは全然正反対の思想が現われるようになった。それでも私はまだ安心ができず、自動書記をりつつある間に、全然他の問題に精神を屈托くったくせる方法を講じ、通例私は難解の書物をひもといて耽読たんどくした。それにも拘らず通信はいささか渋滞じゅうたいなしに依然進行をつづけ、往々そうした場合に却って光焔万丈、行文の妙を発揮するのであった……。此等これらの通信に対して私には何等の命令権がなく、普通私の求めない時にそれが現われた。発作的の衝動――それはどうして来るのか判らないが、兎に角それが来た時に、私はいつも席に着いて筆記の用意をした……。』

 もってその慎重なる態度を察すべきである。

 彼の自動書記は問答体になってる。といは常にモーゼス自身のもの、答は所謂いわゆるイムベレエタア団に属する霊達である。標本として左にその一節を抄出する――。

問『悪霊とは何ぞ』

答『所謂いわゆる悪霊と称するものは、邪悪な人物の霊魂に外ならぬ。霊魂はすべて生前そのままの性質を帯びて他界の生活に移る。その趣味、その習慣、その愛情等依然として元のままである。変る所はただ肉体の有無いかんに過ぎぬ。人格と霊性との切り離し得ざるは、あたかも織物とその繊維との切り離し得ないのと何の相違もない。繊維を離れて織物はない。就中なかんづく恐るべきは生前の習慣である。個性の枢要部を構成するものは実にこの習慣である。霊性にして一度肉体の慾望に服従せんか、遂にその奴隷とならずんば止まぬ。彼等は帰幽後においてもひたすら酒色の巷にあこがれ、淫楽の満足を求める。そうした霊魂がつまりは神の敵であり、同時に又人類の敵でもある所の悪霊である。彼等は極悪無道の大邪悪霊を首領と仰ぎ、われ等の神聖なる任務を妨害すべく日夜肝臓を砕いている。人間界の悪意の発動、忿怒の勃発等はことごとく内面の世界に於ける彼等の策動の結果であって、心の卑しき人間は、皆彼等の捕虜となることを免れない。ただし霊界には、かの神学者の造り上げた悪魔の如きものはどこにもない。善霊も悪霊も皆すべてを司配しはいする宇宙神の司配しはい下にある。』

 紙数に制限があるから抄録はこれ丈にとどめて置くが、これを観てもモーゼスの自動書記の産物が、いかに重厚にして荘重、又いかに相当の深味と教訓とを包蔵しているかが判ると思う。

 ジュリアの通信――モーゼスにぎては是非共ダブルユー・ティ・ステッドを挙げねばならない。彼は人も知る如く生前英国操觚界そうこかいの第一人者として雷名を馳せた人で、その創立にかかる雑誌『評論の評論』は今もお言論界に重きを為している。同時に彼は近代心霊研究史上に見逃すべからざる大功労者で、あれほど多忙の身でありながら自身プランセットを用いてさかんに自動書記を試み、『死後』アフタア・デスその他の好著を遺してる。該書は一般に『ジューリアの通信』として知られてる。つまりその生時において彼と親交のあったジューリア・エームスと呼ぶ一女性からの死後の通信なので、心霊研究者にとりて実に必読の良書であると称して良い。標本として左にその一節を紹介しよう。

 死の前後の実感にきてジューリアはく語る。――

『私が幽界に目ざめた場合には、何の苦痛も衝動もなく、ただただ熟睡から覚めた感じであった。これが最も普通の現象なのであるが、しかし全部が全部皆そうとは限らない。くわしくぶれば勿論むろん他にもいろいろの場合がある。しかし大部分は苦痛なき覚醒――これが常態で、幽界に於ける第一印象は安息であり、平和であり、休養である。不慮の死に遭遇した人達はいつそんな境遇の大変化が自分自身を襲ったかを知らない。肉体の苦痛などは、生前身に纏える衣服と同じく皆しりへにかなぐり棄ててある。万事はただ一場の悪夢から覚めた形である。ただ夢から覚めた場合に、自分自身を見出すのが思いも寄らぬ別世界であるというのが普通の夢と相違してるだけで……。で、多くのものは最初自分が死んだことを信じようとせぬ。むろん又本当に死というもののないことも事実である。肉体はせても彼等はその一切の能力を具えて生きている。彼等は見、聞き又あちこちに動く、万事は今まで通りである。彼は依然として彼であり、彼女は依然として彼女である。小児は小児として目覚め、老人は老人として目覚める……。』

 他界の指導者達につきてジューリアはく通信する。――

『肉体を棄てた霊魂が幽界に入った当座は、往々途方に暮れるものである。彼が接触する風物は何所となく不思議で、ちょっと外国へでも渡航した感じがする。が、幽界には幽界の政庁がありて不断の活動をつづけてるので、すぐに何人が孤独に悩んでいるかを見つけてくれる。最初私を見舞ってくれた天使も要するにこの政庁の一役員であった。いかなる帰幽者も自己に割り当てられたる、る一定の孤独の期間を過ごさねばならぬものであるが、それが済むと、迎えの天使が近づいて言葉をかけてくれる。天使には翼を附けた姿もあるが、又附けない姿もある。要するに帰幽者の観念に応じてどんな姿でも現わしてくれるのである……。その生時において死後の存続を信じなかった人達は、新世界の新生活に対してしばしば大なる反感を懐き、天使達のいかなる注意にも、又いかなる指導にも、応じまいとする。仕方がないので、それ等の人達は活きた体験によりて自己の非を悟る時まで打ち棄てて置かれる……。』

 幽界の政庁とは日本の所謂いわゆる産土うぶすな制度で、天使とは産土うぶすな系の神々のことであろう。この天使達が国民性の如何に応じて適宜の姿を執るということは、実に名言で、幼稚な霊界通信の到底企及し難き点である。

 再生問題にきてジューリアはく語る。――

『再生の事実はこれを認めるが、しかし実は部分的再生である。自我の全部が再び物質界に降りて生れ出るという事は絶対にない。自我のホンの一小部分のみの再生である。自我は出生以前にも立派に存在し、又死後にも依然として存在する。試みに多くのやぼねを有する一個の車輛を想像するがよい。再生とは右の多くのやぼねの一本が物質界に降ることで、自我の枢要部は常に超物質界に留まるのである。換言すれば車輛は永遠に霊界に置かれ、ただ一本のやぼねだけが時々物質界に籍を移すのである。再生とは取りも直さずわれ等をして漸次ぜんじ自我の完成を遂げしむる神慮の現われである。従ってその仕事は勢い長年月にわたらざるを得ない。われ等はやぼねの一本づつを仕上げて行き、最後に完全なる一の車輌に纏められる。時とすればただ一本のやぼねでも何回かの再生を遂ぐるかも知れぬ。が、時とすればそれはただ一回に限られることもあるであろう。時とすれば又自我の本体はすでに天国に在りながら、そのやぼねの一本丈は地獄に墜ちていないとは限らない。更に又、同じ車輌に属する多くのやぼねが、同時に地上に降っている場合も想像し得ないではない。それ等の手続きはただ神のみの知る所で、われわれ霊界の居住者や地上の人間の関知する限りではない。ただわれ等の自我が窮極きゅうきょくおいて到底不可分の、たった一つの存在であること丈は確実である……。』

 再生問題は実に思想上、又は信仰上の重要事項の一つであるので、私ははんいとわずこれに関するジューリアの通信を紹介した。私自身の研究の結果から言っても、ここに引用した部分的再生説は到底動かすことのできない真理であると思う。

 ウイングフィールド嬢――私はぎに最もつつましやかな斯界しかいの一存在、ウイングフィールド嬢の自動書記の産物『他界からの示教』ガイダンス・フロム・ビヨンドきて一瞥したい。彼女の背後に控えたる司配霊しはいれい達はいずれも人格の高い、つ敬虔の念の厚き人達で、極めて簡素な文字の中に、しばしば千万無量の寓意と教訓とを蔵している。たしかに熟読玩味すべき名品である。標本として『銀の紐』と題せる一章を訳して見よう。――

『人は三筋の撚糸、この三筋をただ一筋の紐にまとめる時、世のいかなる大業とて打ち克てぬということあらん。これに反して、しもその三筋をばただ一筋づつに引き離す時、その力は著しく弱められ、順次にプツリプツリと切断ちぎれ去りて物の用には立つべくるなかるべし。

『三筋とはボディソールスピリットとのなり。人しこの世にありて、一面において神の光栄のめに生きると共に、他面において現世の業務にいそしみ励まば、その人こそ三筋の生活を営むものぞ。彼にとりて何の困難、何の不可能かあらん。これ結合は力なればなり。これに反して彼し三筋のよりを戻し、現世の業務にのみひたり切りて神の道を忘れ去ることあらば、そは必らず破滅の道とならん。これと同じく身を現界に置きながらいたずら天国にのみあこがるることあらば、そもまた必らず失脚の基となるべし。いずれも索の結合をゆるめたる、愚かなる仕業にして、切断の虞あればなり。

『人は折ふし入神の機会を恵まるるものぞ。その時霊は高く地上を離れて、光りまばゆき黄金の神域に進み入り、思うまま浩然こうぜんの気を養いて、しかして又肉体に戻る。ここにおいて肉体は再びその元気を盛りかえし、よく彼をして地上生活の浄化と完成とに貢献することを得せしむ。』

 訳文では余り面白くないから、熱心家は原著にきて一読して貰いたい。到る所良い暗示と教訓とに接し得るであろう。ついでにここで一言のべて置きたいのは、右の引用文中に説かれた体、魂、霊の三要素の結合説である。これはプラトン以来のふるい観念で、通俗的には今尚いまなお広く引用されてる。体は勿論むろん普通の肉体、魂は個々のエーテル体、霊は普遍的実在の意味で、大ざっぱにいえば人間はそんな風に出来上ってると見られないでもない。この考は決して私が平生唱道しつつある肉体、幽体、霊体、本体の四重説と本質的に相違してる訳ではない。相違点はただ通俗的分類法と学術的分類法との差異に過ぎない。初学者の誤解せぬよう念のめに一言附記する次第である。

 その他の自動書記霊媒――以上の外自動書記の分野には多士済々たしせいせいで、到底すべてを細叙さいじょすべき余白がない。私は単に代表的の霊媒の姓名を挙げ、その特色を一と通り紹介するにとどめる。

 幽界、霊界等の生活の描写では何と言ってもジェ・エス・エム・ワアド氏を拳げねばなるまい。私はロンドン滞在中両三度氏と会見したが、その学識といい、又その能力といい、たしかに嶄然ざんぜんとして水平線を抜いてる。その手を通じて現われた『死後の世界ゴーン ウェスト』『幽界行脚エ・サバルタアン・イン・スピリットランド』の二篇共に斯界しかいの逸品である。ぎに何と言っても斯界しかいに重きを為しているのはヴェール・オウエン師であろう。司配霊しはいれいはアーネルと称する人物を中心とせる一群の霊魂達である。オウエン師の出身が出身であるので、その産物はキリスト教的神学のくさみを全く脱し切れないが、しかし非常に純潔で、真面目で、る程度他界の組織その他の真相を伝えてる。又篇中の所々に挿入された寓話中には真率しんそつ雅醇がじゅんおおいに愛すべきものがある。トラヴァース・スミス夫人又一方の雄である。夫人はかの有名な沙翁シェークスピア学者ダウデン教授の娘で、従ってその交霊の区域が宗教畑と全く離れてるので面白い。一九二三年には文豪として、又遊蕩ほうとう児として有名なるオスカア・ワイルドの霊魂がかかり、生前のワイルド一流の名文を草して学界の耳目を聳動しょうどうした。又ヨハネスと称する古代の霊魂が寄越した通信にもなかなか卓逸している個所がある。北米ではジョン・エッチ・カアラン夫人がはなはだ有名である。彼女はセント・ルイスに住む、さして教養のない婦人で、最初はウイジャ盤を用いたが、後には脳裏に現わるる文字を口授し、他人がそれを書取ることになった。彼女を使って通信をするのは十七世紀頃地上に住んでいたと称する英国婦人ペーシェンス・ウォースというもので、一種独特の古雅な名文を草し、すでに沢山の書物ができている。ペーシェンス・ウォース自身の身の上噺もあれば、又小説も、詩も、戯曲も、譬喩譚ひゆたんも、論文もあって、その題目は驚くべく広い。しかも驚くべきは、夫人が徹頭徹尾普通の意識を失わず、坐客と談笑自在、少しも霊媒臭くない点である。たしかに近代心霊界の驚異たるを失わない。最近にはロンドンで有名な閨秀けいしゅう作家ドーソン・スコット女史がすぐれた自動書記能力を発揮し、ステッドだの、ウイルソンだのと名告なのる近代人の霊魂からさかんに通信を受けてる。ジェラルディン・カムミンス嬢が又近来嶄然ざんぜん頭角を現わし、ことにその手に成れるマイヤースの通信『永遠の大道ロードツーイムモタリティ』は斯界しかいの逸品である。

 内面装置――自動書記霊媒の紹介はしばらく以上で打切り、最初に約束した通り、これからその内面装置にきて検討を試みることにする。私は自動書記現象の裏面には、本人の潜在意識外来と意識との二要素が働く可能性を有っているとのべたが、厳密にのぶれば右の潜在意識はドーあっても全部これを除き去ることは到底できないのである。独り自動書記にらず一切の心霊現象は畢竟ひっきょう意念のエーテル波動の感応作用であると解釈されるのである。従ってその際し本人の鋭敏なる潜在意識が全く働かなかったとしたら、霊媒はいかにして外来の意識を受信することができよう。で、潜在意識は霊媒にとりて常に不可欠の要具なのである。

 ただし右の潜在意識はあくまで受身の状態に抑えつけて置かねばならない。換言すれば単におとなしく外来の意識を伝達する役目をつとむるにとどまり、積極的に何等かの自主的行動に出でてはならない。しからずんば出来上った産物が畢竟ひっきょう霊媒自身の意識の変態的表現となり、幽明交通の機関としての価値はほとんど絶無となってしまう。われわれがこの種の現象に対して極度に警戒の眼を光らせねばならぬ所以ゆえんである。

 更に又外来の意識の中には、生者の意識と、死者の意識とが、含まれる可能性があるから、仕事は一層複雑化して来る。生者の意識が混入する虞あることは思想伝達の実験が有力にこれを証明する。で、自動書記を行うに当り、周囲の人達は霊媒に向って何等かの観念、何等かの示唆をも注入せぬよう極力警戒せねばならぬ。さもなければ折角の自動書記も畢竟ひっきょう何人かの暗示で作り上げた、一の下らない作文になってしまう。

 何より理想的の自動書記は極度に受身に保てる霊媒の潜在意識と、る一人の他界の居住者から放送される外来意識との合作――これであらねばならぬ。うして出来上った自動書記の産物は概して内容価値に富み、その文体も、又その筆蹟も、死者生前のものと全然一致する。トラヴァース・スミス夫人を通じて出来上ったオスカア・ワイルドの自動書記の産物などがその好適例である。

 くれぐれもぎに列挙するような不純性の自動書記の産物は極度にこれを排斥せねばならない。よしこれを一の参考品として採用するにしても、常に大々的の疑問符を附することを忘れてはならない。即ち――

(一)ほとんど本人の滞在意識のみで出来上った自動書記。

(二)本人の潜在意識と生者の暗示で出来上った自動書記。

 所謂いわゆるお筆先、神歌、経文というようなものにも、これがあるから油断はできない。

 仏のアラン・カルデックの書いた『霊媒のしおり』の中に自動書記につきてすこぶる適切な説明があるからその要点を左に抄録する。――

『霊魂は決して霊媒の頭脳からその思想を借りはせぬが、ただ自己の思想を表現するに必要なる材料を借りることは事実である。従って、霊媒の提供する材料が豊富であればあるほど通信が容易である。し霊魂が霊媒の知らない国語を使おうとすれば、その際利用し得るのはABCの二十六文字のみであるから、丁度書取でもするように一字一字綴方をせねばならぬ。し又霊媒が一丁字も知らぬ無学着であれば、利用すべき文字さえもないから、その際には就学児童に手習をさせるように、霊媒の手首全体を使用する必要が起る。それは実に至難の業であるが、しかし不可能でもない……。』

 ウイングフィールド女史の自動書記中には、この仕事につきてんな説明を下している。――

『自動書記現象に接した時、手が外来の力によりて物理的に動かさるると思うのは事実でない。肝要なのは手に作用する物理的の力でなく、脳に作用する精神的の力である……。いよいよ霊界の居住者が自動書記に着手しようと思えば、彼等は内面的に霊媒の頭脳を占領して、人知れずこれに自己の思想を伝達する。すると右の頭格は自力をもって運動を手に伝える。故に自動書記は言わば頭脳技術者の仕事で、彼はいずれの点に力を加え、何物を抑えつけ、又何事を印象すべきかを心得ねばならぬ。』


(参考書)

After Death. By W.T.Stea.

Spirit Teachings. By W. Stainton Moses.

Guidance From Beyond. By K. Wingfield.

Gone West. A Subaltern in Spiritland. By J, S. M. Ward.

From Four Who are Dead. Is This Wilson? By C. Dawson Scott.

Lowlands of Heaven. Highland of Heaven. The Ministry of Heaven. The Battalions of Heaven. By Rev. G. Vale Owen.

Towards the Stars. By H. Denis Bradley.

The Sorry Tale. Hope True-Blood. The Pot Upon the Wheel. By Mrs. I. H. Curran.

Psychic Message from Oscar Wilde. Voices from the Void. By H. T. Smith.

The Road to Immortalitv. By G. Cummins.

 以上の諸書は、自動書記の作品としていずれも代表的なものである。何人も是非これ位は読破すべきであろう。

『死後の世界』   浅野和三郎訳

『幽界行脚』  浅野、粕川共訳

 これはワアド氏の前掲の二著の翻訳である。

ステッドの通信』 (心霊文庫)浅野和三郎訳、

 これはスコット女史の『四人の死者より』の一部の抄訳である。

以上の外『心霊と人生』昭和五年二月号以下十月号迄には粕川章子氏によりて訳されたる『他界の一角から』をはじめ、その他長短いろいろ掲載されている。



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