心霊図書館 > 「心霊研究とその帰趨(神霊主義)」

心霊研究とその帰趨

六、霊言現象

 霊言現象の長所と短所――霊言現象というと、あるいは耳新らしく響くかも知れぬが、実はこの現象ほどその起源が古く、かつ月並的なものは少ない。日本の所謂いわゆる口寄せ、神降ろし、天言通等皆この部類に編入すべきである。つまり霊媒が入神状態において人格転換を遂げると同時に、その発声機関が右の別人格によりて占領される現象である。欧米の心霊家は普通この種の霊媒を入神霊媒トランスミィデアムと呼んでいる。つまり私が先に霊媒の分類を試むるに当り、第一に拳げた没我式の巫女型霊媒というのが、主としてこれに当てはまるものと思えばよい。数ある心霊現象の中でこれが最も無理がすくなく、従ってその用途も非常に多いが、何分にも古来似而非えせひ宗教者流、又は霊術者流によりて散々濫用されて来たので、近代の心霊研究者達は、一般の誤解を避けるべく、ろうことなら他の新奇な形式、例えば直接談話とか自動書記とか言ったものをえらぼうとする傾向がある。これは決して霊言現象が悪いめではない。これを濫用した者が悪いめである。

 入神状態に於ける人格転換において看過すべからざるは、左の二種の表現形式である。即ち――

(甲)霊媒固有の守護霊又は司配霊しはいれいが表面に現われる場合。

(乙)霊媒固有の守護霊、司配霊しはいれいは全然裏面に隠れ、直接他の人格が霊媒の口を使う場合。

 守護霊又は司配霊しはいれい等にきては、後章において重ねて詳説するが、ここではしばらく、霊媒と何等かの因縁関係を有する他界の居住者であると心得て貰えばよい。従ってそれ等と霊媒とは通例調子が非常によく取れてり、あたかも他界の居住者が臨時に物質界に再出現したと思われるほど円転自在えんてんじざいを極めるのがすくなくない。学術的又実用的に真に価値があるのは多くはそうした場合に見出される。現在霊言現象の名霊媒として心霊学者間に喧伝けんでんさるるレナルド夫人にしても、主として出現するのはその司配霊しはいれいのフイダと称する女性の霊魂で、他の霊界居住者達より送らるる通信は、このフイダが中間に立ちて取次いで呉れるのである。小林霊媒の場合には数年前に帰幽したその愛児の和彦少年が司配霊しはいれいとして専ら斡旋の労を執り、北村霊媒の場合にはその守護霊の安藤帶刀、その司配霊しはいれいの僧月真その他が主として活動してくれる。

 が、普通の巫女、口寄せ等にありては、多くはこの取次とりつぎ式の形式にでないで、千差万別の霊魂が直接霊媒の躯を占領して言葉を発するのが多い。一方からいえば非常に重宝なようであるが、兎角憑依霊と霊媒との調子がピタリと合致せぬ場合が多く、従って通信内容がすこぶる貧弱で、当人の性格、当人の思想の一割も現われないといううらみがある。

 この霊言現象は、一と口に言ってしまえば一の人格転換現象に相違ないが、その内面装置は案外に複雑であるらしい。霊界居住者間にありて使用さるる通信法は主として思想と思想との交換であって、空気を媒体とする音韻ではない。しかるに人間同志の通信法は主として音韻である。で、霊言現象なるものは、畢竟ひっきょう霊界居住者の思想を、人間界の音声に翻訳する仕事なのである。そしてこれは主として霊媒の背後に控えている守護霊又は司配霊しはいれい達の受持にかかるから、従って霊界通信の巧拙長短はもっぱらそれ等裏面の擁護者達の器量次第できまる訳である。いかに霊界の通信者が立派な思想人格の所有者であろうとも、これを伝達翻訳すべき適当な守護霊、司配霊しはいれいがなかったら、到底それが首尾よく人間の世界に届く見込はないのである。

 すでにく霊界通信が思想の伝達である以上、特に困難を感ずるのは固有名詞の放送であらねばならぬ。何となれば固有名詞は通例無意味に近い一種の符徴ふちょうであって、その中にほとんど何の纏まった思想をも含んでいないからである。例えば浅野という固有名詞を伝達する必要に迫られたと仮定する。仕方がないから守護霊達はず『浅』という文字の意味を霊媒の頭脳に印象するであろう。これは英語の所謂いわゆるシアロウ、深い、浅いの浅である。幸い日本語にはこの意味の文字が沢山ないから、その放送には成功するかも知れない。が、『野』には大分困ると思う。それがはたして野なのか、それとも原なのか、何人も迷わざるを得ない。その結果『浅野』と伝える代りに『浅原』と伝えて、飛んだ失敗を招くことになるかも知れない。かの心 霊実験に経験のない人達が『本人の姓名さえ伝え得ぬ霊媒はインチキだ』などとけなすのは少々見当違いである。固有名詞の伝達こそ実に霊界通信の最大苦手なのである。

 お又霊界通信にありて免れ難き欠点は、肝腎な当事者以外の思想がややもすればゴッチャになりて感応することである。就中なかんづく最も多く混入し易いのは、霊媒自身の潜在意識で、それがしばしばさも当事者らしい仮面をかぶり、ひょろひょろにじり出て困るのである。職業的霊媒においことにその傾向が多い。同時に困るのは霊界通信中のる部分が、何等かの障害のめに途中で断絶することで、その点、遥かに電信電話の故障以上である。モ一つ霊界通信の最大弱点は、霊界居住者それ自身が、物質界との接触の結果、しばしば思想の不透明を来すことである。彼等はよくんな愚痴をこぼす、『われわれが霊界にる間は記憶も確かであり、又思慮判断も鋭いが、いざ通信となりて、鈍重な物質界の雰囲気内に入りて調子を低めるが最後、あだかも麻薬にでもかかった時のように精神状態が急に朦朧もうろうとなり、つまらぬ事柄でも想い出せないで困る。もっとも幾度も幾度も練習を重ねてる中に、次第にそれに打勝って行くことはできるが…。』

 以上で霊言現象をはじめ、あらゆる霊界通信に伴う長所と同時に、その短所がほぼ判ったことと思う。全然これを無視することは勿論むろん不都合である。何となれば縦令たとえ不充分ながらも、それは現在において超現象の世界と物質的現世との間に開かれたる唯一の交通路であるから……。が、霊媒を通じて現わるる通信の全部をそのまま鵜呑みにするに至りては、それこそ飛んでもない危険性を有っている。何となればそれには不純な夾雑物があり、又大切な脱漏があるかも知れぬから……。

 入神講演――さて霊言現象の中で最も華美はでで宣伝用として最大の威力を発揮するのはいわゆる入神講演である。これは霊媒が入神状態において別人格の機関となり、大衆を向うにまわして講演を行うもので、そうした現象は欧米にはなかなか多い。入神講演の鼻祖はけだし北米ボストンのコナント夫人であろう。本人はいかにも蒲柳ほりゅうの質でつ人並外れて内気の性質であったが、一たん入神すると同時に、演壇に立ち上り、堂々長広舌を振うのであった。その司配霊しはいれいはフイッシャー博士と名告なのるもので、ボストンの老医だったということである。

 最近には英国のモリス夫人が特に有名である。二三年前からごく最近まで、ロンドンのフォルチューン劇場に立て籠り、毎週一回づつ懸河の雄弁を振って全英国人士の耳目を聳動しょうどうせしめた。司配霊しはいれいはパワーと名告なのる男性の古代霊である。その講演の内容はすこぶる実質に富み、時として大いに傾聴に値するものがある。

 パイパア夫人――普通の座談式の霊言霊媒としては北米のパイパア夫人が非常に有名である。彼女の能力は一八八五年(明治十八年)から始まり、ごく最近に及んでるが、その間においてジェームス、ホジソン、ヒスロップ、ロッジ、マイヤース等学界第一流の学者達が彼女を研究材料に供したので、一世の耳目を惹くことになった。最初はすこぶる不純性を帯びていたらしいが、後フィニット、ペルラム等と名告なの司配霊しはいれい達が彼女の肉体を占領するに及びて大々的に進境を認めるようになった。就中なかんづく興味あるのはペルラムであった。彼は一八九二年二月落馬のめに惨死せるごくごくの近代人で、その生前においてはる程度心霊問題に興味をっていた。従って彼は霊界通信において証拠物件を挙ぐることに全力を尽し、その点においてたしかに破天荒の好成績を収めた。る時の実験会には百五十人の列席者があった。そのうちペルラムが、生時において知己であったものが三十人。しかるにペルラムはパイパア夫人の口を借りて右の三十人をいとも鮮かに指摘したのみならず、その挨拶ぶりは親疎に応じて軽重宜しきを得、まるで生前そっくりの面影を帯びていたそうである。そうした実例は他にも沢山ある。兎に角パイパア夫人は死後個性の存続を証明するめに誠に誂向きの好霊媒と称してよいようである。

 レナルド夫人――現在世界に於ける霊言霊媒の筆頭としては、前にものべた通り、何と言ってもずレナルド夫人を挙げねばなるまい。私は昭和三年の秋彼女の実験に臨んだが、たしかにその名声に背かぬものがあることを認めた。

 夫人自身の最初の希望は霊視能力者になることであったが、その司配霊しはいれいのフイダは、彼女の意思に反して、到頭彼女を入神霊媒に仕上げてしまった。彼女の自叙伝(現幽両棲物語)にはその消息をうのべてある。――

『……このフイダがその時語ったことは、彼女が私の生れた時から私の守護をしてり、私の霊力が生長して役立つようになるのを期待しつつ、早晩私を入神状態に導き、躯を利用して現界に働きかける目的であるとの事でした。この無意識状態に入るということは、私にはあまり愉快なことには思われなかった。私は普通の霊視能力を発揮し、そして彼岸に住む人々の姿を見たり、声をきいたりしたいのが、実に年来の切なる念願であった。意識を失って、その間第三者に使われる、即ち司配コントロールされるということ、それが私には厭なのでした。ですからフイダの希望をきいた時、私はどうか他の方法で、即ち意識を失わぬ方法で、進めぬものかと熱心に依頼したのでありました……。』

 これを見ても本人の意識とその守護霊の意識とが全然別個の存在であることが容認されると思う。

 それは兎に角、爾来じらいレナルド夫人はすっかりフイダの意思通り入神霊媒にされてしまった。ロンドンの神霊家トマス師は非常に熱心なレナルド夫人研究者で、連続的に十有余年をその実験に捧げ、同師の父、妹のエッタ等が代るがわる現われて、しきりに通信を寄越している。前年私をレナルド夫人に案内紹介してくれたのも実はこのトマス師で、その時師の父親が現われ、約二時間にわたりて諄々じゅんじゅんと生けるが如く物語った。『私の父は生前全くあんな男でしたよ』とトマス師がその時小声で私に囁いたのを記憶している。此等これらの通信は忠実に筆記され、その一部分はすでに一冊の書物となりて刊行されているが、私はその中から読者に取りて良い参考になると思わるる個所を紹介することにする。(問はトマス師、答はその父親又は司配霊しはいれいのフイダである)――

問 『何故霊界通信は困難なのか?』

父 『私が通信を送る時に、フイダはしばしば私の言わんとする所を、迅速正確に把み得ない場合がある。そんな時に、私はる実体を示し……つまり何等かの具象的方法で私の意味を伝達するが、それでもお全部先方に通ずるという訳には行かないことがある。この仕事に従事してる間フイダの意識は霊媒の内部に置かれてり、従って霊媒の頭脳を通じて働くので、その感応に限度がある。時とすればまるきりこちらの意念、感情等のる部分が消えてしまう……。』

問 『フイダが取次とりつぎをする時、通信者は実際フイダの前にるか、それとも単に思念の放送をやるのか?』

父 『それはどちらの場合もある。フイダの眼にこちらの姿が見えている場合もあれば、又フイダが単にこちらの思想のみを把む場合もある、いつでも見たり、聴いたりするという訳ではない。概してフイダとわれわれとの連絡は確実であるが、人間界との連絡はそれほどうまく行かない。』

問 『あなたがフイダに話しかける時、彼女の聴くものは何か?』

父 『それは私の言葉……イヤむしろ私の言葉の含んでいる思想の波を捕えるのである。地上の人と人との間にありても思想伝達は可能である。われわれ霊界居住者にありては思想伝達が生命である。それは言葉以上に正確である。言葉そのものを送ることも不可能ではないが、しかし思想を送るより遥かに困難である。』

問 『フイダはどんな具合に通信を受取るか?』

フイダ『通信者は私に感じさせたり、見せたり、聴かせたり、いろいろの事をします。私には感ずることが一番容易しい。先方で冷たいと感ずれば私にも冷たく感じ、熱いと感ずれば私にも熱く感ずる。つまり催眠術の暗示見たいなものです……。』

問 『象徴的シムボリカルの通信は正確に受取れるか?』

フイダ『時々判らないので大失錯をやります。例えば先方で十字架の形を示します。現在の私にはそれが苦難の象徴であることが判りますが、最初は何の事やら一向判らないで困りました。現在でも新規な霊達が勝手な形を見せることがあるので大へんにまごつきます。もっとも経験のある霊達からその意味を教えられて助かることもありますが、……』

問 『交霊中フイダの述べる言葉が霊界の通信者に通ずるか?』

父 『通ずる時と通ぜぬ時とある。自分は一心に何を述べるべきかを考え込んでいるので、フイダが何を物語っているか一向気にとめぬ場合がある。従って私の言わんとするところをばはたしてフイダが正確に伝えているか、いないか、往々不明である。一体交霊中は放送者自身も一種特殊な状態に入らねばならぬ。言わば自分の調子をげるのである。この仕事に従事している間、われわれは平生の自分自身よりもよほど鈍いものになっている。畢竟ひっきょうすべては波動の調整で、勝手に自分の最高の能力を発揮する訳には行かない。記憶も鈍れば、力も薄い。言わば何やら物に包まれた気分である。霊言現象において是非とも必要とするは、霊媒より発する一種の半物質的放射体であって、その渦中にれば、われわれ霊界の住人も、半分人間臭くなってしまうらしい。……』

問 『その時の気持をモ少し詳しく説明していただきたい。』

父 『あなた達もよくうつらうつらと半醒半夢の状態に陥っていることがあるであろう。つまり人の話声は何やら聞えるが、しかしはっきりその意味がきき取れない、と言った状態である。交霊中自分は丁度あんな状態に陥っている。気持は敢て悪くもない。が、自分の意識は朦朧もうろうとしている。そこを離れて自分達の常住の世界に戻れば、能力はすぐ回復する……。で、エッタなどは記憶を喚び起すべく、一たん霊媒の身辺から離れることもあるが、戻って来ると矢張り忘れてしまうので困ると言っている……。もっとも、次第に練習を加えれば通信能力の上達することは事実である。』

問 『何故に霊界通信は時として断片的になるか?』

フイダ『それは一部分しか私に受取れない場合があるからです。モ一度繰りかえしてくれと先方に請求もしますが、先方では通信中の何の部分が不明なのかが判らないで、飛んでもない別の個所を再放送したり何かするので、通信がゴチャゴチャになって困ります。ことる新規の題目に移る時に間違まちがいが起り易い。又他の霊魂が近傍に来てり、その思想が混入すると、これも通信をめちゃめちゃにします。』

問 『霊媒の頭脳に印象するにはいかなる方法を執るか?』

フイダ『例えば林檎を印象しようと思えば、私は強く林檎の念体を作り、それを霊媒の頭脳の適当な部分に印象する様にします。何所が適当の場所であるかを発見するのには、右の林檎の念体を霊媒の頭脳の上をあちこち持ち歩きます。すると、何処どこかしら、ひどく強く引きつける個所があります。いよいよここに相違ないと思った時に、手早くキュツと印象するのですが、これは勿論むろん私達がただそう心に思う丈で、別に林檎を手で持ち運ぶ訳ではありません。いよいよ頭脳が林檎の観念を吸い込んだと感じた時に、私達はぎの言葉の伝達に移ります。こんな風に説明すると大へん時間がかかるように見えますが、実際はよほど迅速に運ばれるのです。概して続きものの雑談は印象し易いが、ポッリと切り離された特殊の単語、例えば林檎とか、蜜柑とかを印象するのは骨が折れます。』

問 『霊界通信によりて本人の個性の全部が現われるか?』

父 『それは到底できない。われわれは自分の思想、自分の能力のる一部分のみを霊媒の心に印象するのである。すべていかなる人でも決して同時同刻に、自己の全精神をその頭脳に注入するものではない。順繰りにそのる一部分づつ、る一局面づつを切売きりうり式に送り込む仕掛にしている。従って人間には現在意識と潜在意識との両面が自然備わる理窟りくつである。私達が霊界通信を送る時にもそれと同様である。自分は霊媒の心に、自分の心の一小断片――言わば分霊を注入する丈で、他は潜在意識として霊媒の心の外に残してある。交霊中かく内と外とに分れている二つの意識は言わば別個の存在で、両者の連絡はほとんど不可能に近い。いかに練習を積んだところで、この差別的状態はる程度まで依然として残り、その結果自分で自分の姓名すら名告なのれぬというようなことも起る。……』

 以上私はいささか全体の釣合をしっしはせぬかと危ぶむ程度まで紹介を試みたが、しかし交霊現象の内面装置の研究に興味をもつ人達は、恐らくこの抜萃ばっすいに対してあまり不平を唱えられもせぬだろうと思う。私は決してこの霊界通信に盲従を強ゆるつもりはないが、しかし私の年来の実験と照し合わして見た時に、大体においほとんどその全部を承認してよいかと信ずるものである。


(参考書)

The Life Beyond Death with Evidence. By the Rev. C. D. Thomas.

The Mental Phenomena of Spiritualism. By the same.

 前者はレナルド夫人にきて十一年間実験した、貴重な記録である。後者は一般に主観的心霊現象の解説を試みたものであるが、その枢要部は矢張りレナルド夫人の霊言現象の記述である。

The Life and Work of Mrs. Piper. By A. L. Piper.

 パイパア夫人の娘の手に成れる伝記。

新樹の通信』 (心霊文庫第七篇)

 亡児新樹がその母の口を通じて送れる通信。

『心霊と人生』誌

 昭和七年一月号、同十月号等にモリス夫人の司配霊しはいれいパワーの講演を紹介してある。



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