心霊図書館 > 「心霊研究とその帰趨(神霊主義)」

心霊研究とその帰趨

五、敲音及び物質化現象

 客観、主観両様の心霊現象――さていよいよ近代心霊現象の講述をこころむる段取りとなったが、私は成るべく歴史的順序を守り、近代に入りて各種各様の現象が次第に発展して行った経路を辿って行こうかと思う。学術的見地からすれば、その性質によりて一切の心霊現象を客観的並に主観的の二種類に分割することがむしろ適当かとも思うが、それでは初心の人に取りて却って入りにくい点ができるかと思うので、しばらく前記の方式を採用する事にした。ただし読者はあらかじめ、心霊現象中には主として客観性のものと、又主として主観性のものと、二つの種類があることを充分銘記して置いて貰いたい。前者は客観性のものであるから五感の所有者には何人にも判る。従って啓蒙運動には何よりこれが必要である。その代表的なのは敲音たくおん現象、物質化現象、心霊写真現象、直接談話現象、卓子浮揚現象、物品移動現象等である。後者は主として霊媒の主観にのみ起る現象であるから、研究者は専らその内容又は実質の検討によりて価値を判断せねばならぬ。従って余り手取り早い仕事にはならぬが、しかし深みのあるものはことごとくこの種のものに見出される。その代表的なのは霊言現象、霊視現象、自動書記現象等である。

 敲音現象――さて近代心霊研究の起源は通例一八四八年(嘉永元年)ということになってるが、それはこの年の三月に北米ニューヨーク州のハイズビルという一寒村において、例のフォックス家の幽霊事件が突発したからである。そしてその時の主要なる異常現象は不思議なる敲音たくおんの連発に外ならなかったのである。

 当時のフォックス一家は夫婦の外に長女マーガレット(十二歳)、次女ケート(九歳)の二少女がた。それは後で判明したのだが、右の少女達こそ実に霊媒素質の所有者で、この二人のる場所に限りバタバタという出所不明の不思議な敲音たくおんが連続的に起るのであった。だんだんそれが問題となり、試みに右の敲音たくおん符牒ふちょうに使用して、イエス、ノーで問答を重ね、又それを使ってABCを綴らせて見ると、驚くべし、右の敲音たくおんの発信人は一人の死者の霊魂であることが判った。そして彼は頭字がC・Rという人で、五年前金銭奪取の目的をもってこの家で殺害され、その骨は地下室の一部に埋められてる、云々ということを通信したのであった。

 問題のきっかけというものは誠にちょっとしたところにあるもので、爾来じらい心霊熱は北米全土はもとより、遠く海を越えて英国にも波及し、大小種々の異常能力者が矢継早に随所に発生し、ここに近代心霊運動が猛然として一世を振撼しんかんするに至ったのである。それは丁度米国の一小艦隊がペリーに率いられて浦賀湾頭に現われたのに酷似してる。超物質界との交通と、海外諸国との通商とでは大分問題の性質は違うが、それが人類の生活史上の一つの大きな導火線になったこと丈は両者共通である。

 ところで右の敲音たくおんであるが、これは物理的心霊現象中極めて普通なもので、しばしば他の現象の附録として起る。ひくきは二本の指を弾く程度、たかきは大鉄鎚で床を叩く程度、あるいはそれ以上に達し、すでに蓄音機のレコードにもしばしば収められている。その最も顕著なる特色は、それが通例無意義の音声でなく、こちらの質問に応じて一々適当な返答用に使わるることである。敲音たくおん発生の実例はほとんど無数で枚挙にいとまがない。日本にも寺院又は教会のような場所にしきりと起るようである。龜井霊媒の実験会では、いつもこの敲音たくおんがつきもので、しばしばそれが彼我の通信に利用される。

 物質化現象――物質化現象とはつまり幽霊現象である。これは実に物理的心霊現象中の圧巻で、しかもその発生はすこぶる旧く、もって現在に及んでる。ただし一と口に物質化と言っても、その濃度又は性質は種々に分れる。

(一)気化体――これはいかにも幽霊らしい幽霊で、辛うじて肉眼にその形態が見える程度である。

(二)部分的物質化――これは手首とか、頭部とか、つまり身体の一部のみが物質化するにとどまるのである。ただしかく物質化した部分は相当に濃厚で、単に肉眼に映ずるばかりでなく、立派に握手したり、又物体を持ち上げたりする。

(三)全物質化――これになるとごうも幽霊らしい趣はなく、ほとんど人間そっくりの行動を執り、握手もすれば、抱擁もするし、又接吻さえもする。

 ケーティ・キング――全物質化霊媒の代表として最初にず英国のフロレンス・クック嬢を挙げねばならない。クック嬢自身が稀に見る大霊媒であったばかりでなく、彼女を通じて出現する幽霊はケーティ・キングと称する絶世の美人であった。おまけこれを捕えて徹底的に研究を遂げたのが、近代物理学界の泰斗たいとサー・ウイリアム・クルックスである。かく三拍子揃った事件がそう滅多に起るものでない。正に近代心霊学界の偉観と称してもよい。

 クック嬢が始めてこの異常能力を発揮したのは一八七二年(明治五年)で、当時嬢は十五歳の少女であった。爾来じらいその現象は回を重ねるに従って次第に完成の域に進み、かくて一八七四年に至り、いよいよクルックス卿の研究材料に供せらるるに至った。クルックス卿の実験は綿密周到を極め、一点間然する余地がなかった。その実験記録中から要点を列記すると――

(一)クルックス卿は実験室として自分の書斎を用い、霊媒は何等の道具をも持参して来なかった。

(二)霊媒は一週間もひきつづきてクルックス家に滞在し、その間いつもその家族と雑居し、絶対に詐術を施すべき余裕を与えられなかった。

(三)霊媒のクック嬢と、幽霊のケーティとが電灯の下に相並んでる所をしばしば目撃したばかりでなく、この実況を幾枚もの写真に収めた。両者はたしかに別個の独立的存在物であった。

(四)ケーティの脈搏は七十五で、強くっているのに、クック嬢の脈搏は九十で、遥かに微弱であった。

(五)クック嬢の頭髪はほとんど真黒で、絹糸のように柔かく、これに反してケーティのはらくて黄金色を呈してた。

(六)クック嬢は美貌の所有者でも何でもないが、ケーティは絶世の美人であった。

(七)ケーティの姿は赤灯下では立派に形態を保っているが、白灯をつけると見る見る熔解し始め、丁度熱火の前に蝋人形が熔けるのに似てった。この実験はしばしば行われた。

(八)霊媒のクック嬢の体量は普通の状態においては約八ストーンであったが、ケーティの物質化が完成した場合に衡器にかけて見ると、わずかにその半分の四ストーンしかなかった。

 ところで、このケーティ・キングと称する幽霊は一体何者か? 幽霊自身の告白する所によれば地上生活時代の彼女はアンニイ・オウエンス・モルガンと云い、ある冒険的海員の妻であったというのである。その真偽は不明であるが、彼女はその後もしばしば各地の霊媒を通じて出現し、最近には一九三○年(昭和五年)十一月十二日、北米カナダのウインニペッグ市に於ける心霊実験会に現われ、その美貌を写真に収めることを許した。ふっくりと丸味のついた両頬と顎、すんなりとした鼻、可愛い口元、つぶらな明眸めいぼう此等これらが相合して現世の実生活においても、又良工苦心の美術的作品中にも容易に見出されぬ気品の高い肉体美を完成してる。が、これが六十年前にクルックス卿によりて撮影されたケーティと同一存在であるか否かは、両方の写真を比較して見ても明確には判らない。無論其所そこにある程度の類似点はある。即ちどちらの顔もむしろ面長であること、どちらの眼も大きいこと、どちらの下顎もややはり気味であること、等は争われない点である。が、どーいうものか、今度のケーティの方がはるかに若々しい。で、当時の写真よりも、むしろ当時のクルックス卿の文筆の描写の方が、却って有力な手がかりである。『写真でも彼女の目鼻立は判る。が、彼女の顔色の光りかがやく純潔さ、又彼女の容貌に現わるる絶え間なき変化……例えば遠き過去の辛酸を語り出す時のうれいに充ちた面持おももち、身辺に私の子供達を集めてインドに於ける冒険的逸話に耽る時の無邪気な微笑、これ等はとても写真には写し出すべくもないのであった。』又同現象の実験者の一人であった閨秀けいしゅう作家のマリアット女史もまたぎのように描いている。『私は眼を転じて自分の抱えているケーティの顔を見ると、驚くべし、それはすてきな美人――つぶらな、灰色がかった緑色の眼、白晢いろじろの皮膚、丈なす黄金の頭髪、さながら太陽のように美しい……。』う言った描写の文句は、往年のケーティの写真よりも、むしろ今度のケーティの写真にそっくり当てはまるようである。

 エステルとフランクリン――このケーティ・キングの物質化現象ほど心霊学界に喧伝けんでんさるるには至らないが、しかしその実質においごうもこれに遜色を見ないのが他に一つある。それはエステル・リヴアモーアと称する女性の物質化で、これに使われた霊媒は、あのフォックス事件のケート・フォックスであった。年代からいえばこの方が大分古く、一八六一年(文久元年)から足掛五ヶ年にわたり、実験回数実に三百八十八回に上った。

 実験の動機はニューヨルク市の知名の銀行家チャールス・エフ・リヴアモーア氏がその愛妻エステルをうしなったことに始まる。最初はただ敲音たくおん等によりて亡妻と不完全な通信を行うにとどまったが、一八六一年四月十五日の実験をきっかけとして、ここに破天荒の物質化現象が連続的に起った。左にその要領を抄録する。――

(一)幽霊の容貌、態度、服装等は生前のエステルそっくりで、室内を自由に歩きまわったが、ただほとんど一度も言葉を発しなかった。通信はいつも物質化せる手に鉛筆を握り、すらすらと書くのであった。

(二)通信の文句はしばしば彼女が生前得意とせるフランス語で綴られていた。霊媒のケートは全然フランス語を知らなかった。

(三)暗室内には大小種々の光球が自然に出現するので、幽霊の姿をはじめ室内の器物をもあきらかに認め得た。る場合には幽霊の姿が鏡面に映じた。

(四)幽霊は人間味たっぷりで、その腕を良人の首に捲きつけたり、又接吻を行ったりした。そうした際には彼女の房々ふさふさした頭髪が良人の顔や胸に垂れかかった。

(五)実験中は大小種々の敲音たくおんが起り、しばしば通信用にも使用せられた。

(六)この現象の背後には沢山の擁護団があり、その中の主要人物はベンジャミン・フランクリンと名告なのるもので、しばしば完全に物質化せる姿を現わした。その姿は今日残っているフランクリンの容貌風采ふうさい寸毫すんごうの相違を認めなかった。

(七)此等これらの実験中霊媒はいつも通常意識のままで残り、立会人達と共に諸現象を見物してた。

 何しろ堅実なる常識家が念入りにやった実験丈ありて、これに対する用意は周到を極め、その記録の如きも徹頭徹尾真面目である。しかしフランクリンと亡妻とが同時に現われた時には、さすがによほど感激したらしい模様が見える。『光球はまともにフランクリン博士の顔に直射したが、それが本人に相違ないことにつきては何等疑惑を挿むの余地がなかった。私は彼の肖像の原図を熟知しているので、何所で見てもこれがフランクリンであると認識し得たに相違ない。が、特に顕著なのは彼の人格の急所がよく現われていることで、こればかりはいかなる肖像画にも描き現わせそうもない。彼は白の頸飾くびかざりと古風な樺色の上衣をつけてり、その頭部は非常に大きく、耳の背後に白髪が残っていた。満面に慈愛と智能と気品とが照り映えていた。妻の顔はと見れば、これは又天使のような美しさにかがやき、落付おちつきと幸福とに充ちたる気高さの結晶であった。フランクリンの顔は正に考熟円満の極致とでも言おうか、それにはいかにも威厳があり、又長者らしい親切さが具わり、何人もこれに対して信頼を感じ、愛着を感じない訳には行かないところがあった。彼はくりかえしくりかえし十二三度も現われ、一二度はまともに私と視線を合わせた。亡妻は三度ほど現われたが、いつも白衣を着て花に包まれてた。』

 その他の実例――全物質化の優れた霊媒は他にも沢山あり、一々ここに挙げることができない。海軍中将ウスボルン・ムーアという人は熱心な心霊研究者で、いかにも海軍将校式に細大の事物を記録にとどめてるが、彼が最も力瘤を入れて実験したのは北米トレード市の霊媒ティ・ビィ・ジョンソンであった。中将の父、母、親戚のアイオラと称する少女、妹のカサリィン等をはじめ、総計数十人に上る幽霊が現われ、中将はそれ等と肩を並べて室内を散歩し、亡妹の幽霊とは接吻まで行った。『われわれは相擁して唇に接吻した。彼女の唇は温かで湿気を帯びていた。』と中将は書いている。

 十九世紀の末葉から二十世紀の初頭にかけては物質化その他の霊媒としてデスペランス夫人がはなはだ有名である。夫人の場合にはその司配霊しはいれいであるヨランドというアラビヤ少女が完全に物質化して出現し、しばしば夫人と相並んで写真に撮られた。英のジョージ・スプリッグスが又なかなか有力な霊媒だった。彼を通じて起る現象は自動書記、直接談話、直接書記、物品移動さまざまであったが、就中なかんづく彼を通じて現わるる幽霊が非常に耐光性と移動性とに富んでるので有名だった。日中でも幽霊は平気で現われ、階段を上下したり、各室を歴訪したりする。夕刻であれば遺族と手を組んで庭を散歩したことさえあったとの事である。伊太利イタリアのユーサピア、フランスのエヴァ・シー、ポーランドのクルスキイ等又学界一流の名士の実験資料となり、はなはだ有名であった。

 現在では物質化現象にかけて桑港サンフランシスコのジェームス・ディクソンという牧師が特に優秀であるらしく、出現する幽霊は毎回三四十人乃至五十人位に達するとの事である。コナン・ドイルだの、ステッドだのの幽霊もここで現われ、一二分間立会人等と談話を交えたらしい。又英国のダンカン夫人が、いろいろ物議はあるものの、矢張りすぐれた物質化現象の名霊媒と言ってもよいようである。

 パラフィン手型と指紋――しかし近年に至りて全身の物質化現象は次第にその数を減じ、部分的の物質化によりて精緻なる学術研究が行わるる趨勢を生じたようである。物質化せる手の学術的研究として代表的なのはけだし幽霊のパラフィン手型並に幽霊の指紋作製であろう。パラフィン手型というのは、パラフィン溶液中に幽霊の物質化せる手首を突き込み、パラフィンがやがて薄い膜を作るのを待ち、幽霊はその手首を崩壊せしめるのである。そうすると後にパラフィンの型が残る。人間の手首は崩壊しないが、幽霊の手首は何の造作もなく崩壊するので、こんなことができるのである。物質化現象が幻錯覚の所産でないことを証明するには、何より有力なる証明法の一つである。その最も早かったのはけだし一八七六年英国の名霊媒エグリントンによって作製されたものであろう。近くは一九二〇年から二二年にかけて、仏国の諸学者ジェレー博士、リシエ博士等がポーランドの霊媒クルスキーによって作成したのが最も有名で、単に手首のみでなく、足だの顔だのまでできている。左右の両手を交叉して作った手型などは、とても人間業でできないことを一層有力に物語る。もっともパラフィン膜は薄くてひしゃげ易いから、通例その中に石膏粉をつめて凝結せしめて保存用に供する。

 ぎに幽霊の指紋はボストンの医師クランドン博士の夫人マアジャリイにより作成せられ、世界の心霊学界の大問題となった。マアジャリイの背後に控えて大活動をしている司配霊しはいれいは、その亡兄のウォルタアと名告なのるもので、同人は今から二十余年前汽車の衝突のめに、カナダで惨死を遂げた。同人は当時わずかに十七歳の青年であったが、元来科学的方面に趣味を有していた為か、その妹を霊媒として心霊現象の作成に当るに際しても、もっぱら正確なる実証を与うべく全力を挙げ、その結果種々有益なる物理現象の出現となり、就中なかんずく彼自身の指紋の作製が学界の視聴を集めた。これは手首丈の物質化を行い、歯科医の用ゆる蝋にその拇指の指紋を印象するやり方で、最初それが試みられたのは一九二六年の八月であった。現在までに作成された指紋はモー余ほどの数に上るであろう。私は昭和三年十一月ロンドンからの帰途クランドン邸の客となり、その際指紋三個をった。当時の記録の一部――

 十八日午後九時から指紋の実験が始まり、約十五分間で終った。立会人は私の外にブラウン博士ただ一人であった。私は印号を附けた蝋塊三個をポケットに収め、卓上には蝋をやわらげるめの熱湯並に後で蝋を固めるめの冷水を準備し、二個の丼を置いた。赤灯下で夫人が入神状態に陥ると同時にウォルタアの声が空中に起り、実験に関する注意を私に与えた。私はその注意通り、ポケットから蝋塊一個を出して熱湯の丼に入れた。一分間程で右の蝋が軟化するのを見計らい、ウォルタア自身、その物質化せる指先ゆびさきでこれを湯の中から卓上に引き上げ、ギューツと拇指を押しつけた。これが済むとウォルタアは又も自分の指を使って蝋塊を冷水の丼に入れた。やがて彼は、『モー大抵固まったようだ、』と独語しながら、自分で蝋塊を取り出して私に渡した。それ等の状況は赤灯の光で明瞭に認められた。物質化せる指は白かった。かくて同一作業を三回繰りかえしたが、最後の時には湯が少々冷め加減なので、蝋の軟化が充分でなかった。『こいつは少々固いから二つ押して置く、』――そう言って彼はグイグイと力を籠めて二度ほど拇指を押しつけた。万事が極めて事務的で、死者の霊魂の作業というよりか、むしろ一人の気さくな青年の作業と感じられた。この間私とブラウン博士とで霊媒の左右の手を固く把握してたことはいうまでもない……。

 ところでウォルタアの霊魂によりて作製されつつある此等これらの指紋が生前のウォルタアの指紋(それは不完全ながら彼が死の直前に使用せる剃刀の柄に残ってた)と一致してるというので、一層学界の注意を惹くことになった。兎に角この指紋作製が極めて有力なる証明法の一つであることに関しては何人も異存のない所である。

 日本には不幸にしてう言った種類の霊媒にははなはだとぼしいが、ただ一人龜井三郎氏は不思議にも多方面の能力者で、敲音たくおんはもとより、物質化現象にも相当の腕がある。普通起るのは気化体程度の稀薄な幽体の作製、並に司配霊しはいれいモゴールの手首の物質化で、その指紋はすでに二度ほど作製された。

 裏面の意義――不完全ながら事実の記録はこの辺で打切り、これから物質化現象の裏面の意義につきて、できる丈簡単にのべる。――

 この現象の発生中最も顕著なる事柄は、霊媒の体量の一時的減少である。従来の最高記録は体量の四分の三強を減じた場合で、それは一八七八年ロンドンで霊媒ウイリアムスにきて実験した時、百五十三ポンドであった霊媒の目方が、三十分間にわたり、たった三十三ポンドに減っていたのである。ここで問題が起るのである。即ちかく霊媒の肉体から抽出された物体は一体何所に行き、何の目的に使用されるか。

 近年仏のエヴァ・シー、ポーランドのクルスキイ等にきてフランス、ドイツの学者達が苦心精査の結果、右の疑問はようやく解決さるるに至った。即ち霊媒の肉体はこの際一つの原料品として使用され、そしてその原料は一種の流動性の半瓦斯ガス状態となりて体内から抽出されるのである。それは普通肉眼には見えないが、しかしあきらかに触覚に感じ、いかにも冷かでヌラヌラしてる。その名称は通例エクトプラズム(外原形質)と呼ばれるが、外にテレプラズム、イデオプラズム、サイコプラズム等の名称も用いられる。後年英のクローフォード博士が卓子浮揚現象を研究するに及び、このエクトプラズムの性質は一層明瞭になった。その次第は卓子浮揚現象を説く時に詳しく説明することとする。

 さてエクトプラズムの最も顕著なる特性の一つは、その自由自在なる変形性である。ドー見ても生きてて何者かの指揮命令で動いているとしか思われない。前の瞬間に単なる濃液に過ぎないものが、次の瞬間には膜又は布の形に拡がり、又一転瞬の間に集積して手となり、首となり、顔となり、ここに完全に独立せる一個の人体の現出ともなる。

 エクトプラズムは霊媒の指端ゆびさきからも出るが、ことに口腔、鼻腔、その他粘膜質の個所から多く出る。使用後は再び霊媒の体内に返還されるので、その体量が復旧する。エクトプラズムの成分は、シレンク・ノッツィング博士の分析の結果によると多量の白血球、上皮細胞等を含んでり、大体唾液の成分に近い。

 次に物質化現象の発生中看過すべからざる事柄は、常に単数又は複数の司配霊しはいれいが霊媒の背後に控えていることである。言わばそれ等の司配霊しはいれいがこの現象の当面の技術者で、霊媒はそれ等の技術者の使用する単なる道具に過ぎない。此等これら司配霊しはいれいはたして何者かは、あるいは学術上永久の疑問として残るかも知れないが、しかしそれが何者であろうとも、兎に角そう言ったものが霊媒の背後に控えていることは疑いの余地がない。

 で、物質化現象の内面装置は大体う推定される。即ち右の司配霊しはいれい達の指図でず霊媒の体内、時とすれば列席者達の体内からも、実験に必要とする丈のエクトプラズムを抽出する。いよいよ原料が集まった時に、今度は実験に応ずべく其所そこに出現している霊魂達を助け、右の原料を用いて、彼等の生前の姿を、適当に作り上げてやる。其所そこには勿論むろんいろいろ複雑微妙な手続きがあるらしいが、兎に角大体の筋道はんなことであろう。故に幽霊が出たからと言って、死後の世界が存在すると即座に断定することは早計である。司配霊しはいれい達はエクトプラズムさえあれば、どんな幽霊でも勝手に作れるに相違ない。現にエヴァ・シーの実験にはたった八インチ許の人形のような裸体の少女の姿が現われ、霊媒の掌上で種々雑多の運動をしたことがある。んな現象は死後個性の存続に対する、何等直接の証明とはならない。が、同時に又すべての物質化現象を単なる観念の産物視することも乱暴である。彼等の中には容貌、言語、態度、服装等のみならず、生前そっくりの人格まで極めて完全に具えているのもある。これ等にありては、死者の霊魂が、霊媒の背後に控えている司配霊しはいれい達の援助の下に、臨時に物質化して、物質の世界に出現したのである、と解釈するのがあくまで正当である。

 この物質化現象で一番困るのは、原料が間断なく崩壊しかけることで、これを支持するめには、縦令たとえ暗室内又は赤灯下においても、余程の努力、余程の念力を要することらしい。し灯火でも直射しようものなら、どんなにうまく出来た物質化像でも見る見る烟散霧消えんさんむしょうしてしまう。この悩みばかりは永久に除かれそうもない。

 ついでに敲音たくおん発生の原理につきてここに一言のべて置く必要があろう。これも他の現象に於けると同じく、その内面装置が必ずしも一様ではないらしい。霊界通信によれば、最も簡単なやり方はエクトプラズムを用いて一種の気泡状のものを作り、それを真空にして置くことらしい。故に右の気泡を破れば、丁度電球の破裂と同様に大小種々の音声を発する。しかし、時とすればエクトプラズムを用いて桿状かんじょう物を作り、その突端で床、卓子、その他の物体に衝撃を与える場合もあるらしい。


(参考書)

Clairvoyance and Materialisation. By Dr.G.Geley.

Phenomena of Materialisation. By Dr. Schrenck-Notzing.

以上二書共に物質化現象の研究に関する学界の権威で、パラフィン手型その他沢山の貴重なる挿絵がある。

Animism and Spiritism. By E. Bozzano.

他の諸現象をも取扱った書物であるが、その中の第十章『物質化現象』にはケーティ・キングやエステル・リヴァモーアの物質化の詳しい記録があり、参考とするに足りる。

Ghosts I Have Seen. By Mrs. Tweedale.

Real Ghost Stories. By. W. T. Stead.

此等これらは幽霊に関する正確な記録である。他にもこの種のものは沢山ある。『人は死せず』(上、下、心霊文庫)なども有力な物質化の実例に富む。



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