心霊図書館 > 「心霊研究とその帰趨(神霊主義)」

心霊研究とその帰趨

四、偶発性の諸異常現象

 

 近代心霊研究は言うまでもなく実験室内にける、極度に厳密なる科学的実験の上に基礎を置くものであるが、しかし近代心霊研究の前駆を為せる幾多の偶発的異常現象が、その数においても、又その種類においてもほとんど常人の想像以上に東西各地にさかんに出現しつつあったことを忘れてはならぬ。この数十年来物質文明の輸入にこれ日も足らなかった日本人は、それ等の問題にほとんど全く一顧を与えるのいとまなく、言わば馬車馬式に浅く、狭く物質世界の軌道を駈足で通って来たが、いつまでもそんな真似ばかりもしていられまい。私はそれ等の中でも顕著なもの丈なりと一と通り数え立てて置きたいと思う。

 霊夢――偶発的心霊事実の中で最も普通なるはけだし霊夢であろう。霊夢とはつまり立派に辻褄つじつまの合った夢、普通所謂いわゆる正夢と称するものである。近年精神分析学者をはじめとし、夢にきて研究を遂げた人達はなかなか多いが、霊魂説をヌキにしてはまだ充分夢を解決し得たとは言われぬようである。

 霊夢の中で最も普通に起るのはけだし人の死の前後に起る予兆的霊夢であろう。これは大ていの家庭においすくなくとも一二件は心当りのある事柄であると思うから、取り立ててここにその実例を挙げるにも及ぶまい。『心霊と人生』誌上に掲げつつある心霊資料の中にもこの種の正夢の記録はすでに百をもって数えることができる。故フラマリオンの『ランコンヌー』の中にも七十六ほど予兆的霊夢の実例を載せている。その他ほとんど数えるにいとまなしである。

 時として予兆的霊夢の中には国家の重大問題に関するものもある。私自身が直接当人自身の口から聴かされた話であるので、特に忘れることのできないのは、日本海海戦に際して故秋山海軍中将(眞之)の見た霊夢である。中将は当時まだ中佐で、東郷大将の幕僚の一人であったが、五月二十四日の暁、連日の軍務に疲れ切った躯を士官室の安楽椅子に横たえてうとうとしてると、突然そのぜる眼の中に、対島東水道の全景が現われ、そしてそこにはバルチック艦隊がやや不規則な二縦隊を作りて北に向って進みつつあるのであった。『ふむ、敵はあんな隊形で東水道へやってくるのだナ。よしよし味方はこの手で迎撃すればよい……。』そう考えた瞬間に夢はたちまち破れてしまった。それまでにも中将は時に霊夢の形式で戦略上の示唆に接した先例があるので、心の中で堅くこの霊夢の確実性を信じた。果せるかな、かの紀念きねんすべき五月二十七日の大海戦の当日、対島東水道においていよいよバルチック艦隊と遭遇して見ると、その地点なり、又敵の隊形なりが、三日前に霊夢で知らされた所と寸分の相違もないのであった。

 北米の心霊家ハドソン・タットルが挙げてる実例中にもはなはだ面白いのがある。某女は生来の盲人であったが、ただ夢の中では極めて明確に人物や物体を認めることができるのであった。彼女の死後その屍体を解剖に附して見たが、その視神経は全然破壊せられてたという。

 音楽者などの中には夢中に作曲した実例が相当多い。ド・リィフドという和蘭オランダ人は夢中に『ヘヴン』『ゼ・ソング・オブ・ブラインド』の二小曲を作った。サリヴァンの生涯にも同様な事が起った。すなわち、かの『ゼ・ロスト・コルド』という名曲がそれで、おしかなその一部分が彼の記憶から消えたがため、永久に未完成に残っている。仏国の有名な数学者のポアンカレにも面白い事実がある。彼はすべての方程式を解くべき一般法則を発見せんとして連日脳漿を絞ってた。る夜も右の問題を散々考えた後で寝に就いたが、翌朝眼を覚して見ると、数葉の紙に右の問題の完全な解式が書かれてあった。文学者の中にも夢中創作の実例はすくなくない。例えば英国の文豪コールリッジの名作『クリスタベル』『クブラ・カン』の二篇などは熟睡中に書かれたものだと言われる。

 幽霊及幽霊屋敷――霊夢にきてはしばらくこの辺で切上げ、今度は偶発的心霊事実中の大関ともいうべき幽霊及び幽霊屋敷にきて一言する。

 一部の人達は幽霊ときいて単なる冷笑をもって迎えるか知れないが、それは余りに軽卒けいそつであり、又浅墓あさはかでもある。英国心霊協会が組織されたのは一八八二年(明治十五年)の事であるが、同会で着手した最初の事業の一つは実に幽霊に関する調査で、無慮三万件にのぼる報告を集めて比較研究の結果、委員長のジヂウィック博士は統計的にく断定した。『ある人の死とその幽霊との間には何等かの関係が存在し、これを単なる偶然の暗合にのみ帰することはできない。吾人はこれを実証されたる事実なりと認む』これは冷静着実なる学会の報告で、一々正確な証拠資料で裏書されてるのだから、これを独断的に否定し去るべきでない。真に研究的良心のある者は、事実の否定よりは、むしろ事実に対する学術的解釈に進むことがけだし正当であろう。

 幽霊屋敷の記録もなかなか豊富で、日本にも西洋にもその実例が沢山ある。中には一向平凡な、そしてボンヤリした幽霊が単に出没する丈のもあるが、中には又騒々しく、石が降ったり、家具が飛んだりするのもある。西洋ではこの現象を『騒々しい幽霊ポルタアガィスト』などと呼んでる。近頃は次第にこの種の現象が減っては来ているが、しかし大正十三年の九月から同十一月にかけ、四十八日間、一種の怪奇現象が引きつづいて南満の南関嶺駅附近に起ったことがあった。南関嶺駅を西北にへだたる約一里半強の地点に両井屯字茶葉溝という小部落があり、其所そこに揚培蓮という農夫が住んでた。怪現象は実にその家で起った。最初五日間はただ窓を敲くような騒音が聞えるのみであったが、六日目の午後三時頃、突然拳大の石が落ちて来たのをきっかけに、一昼夜に十数回乃至ないし五六十回づつ拳大乃至ないし頭大の石が降った。時とすれば石に混って自家に貯蔵していない粟や唐黍とうきびが降ることもあった。旧十一月一日には室内に置いてあった古着の袋から突然発火し、幸いそれは消しとめたが、庭の一隅に積んであった枯草は全部自然発火式に燃えてしまった。る時は食卓が引っくりかえったり、又る時は三人の男女の幽霊が家人の眼に現われたりした。南関嶺の駐在巡査大須賀与助、大連本署の川辺警部補その他が幾度も出張して調査したが、そうした際にも大石は依然として彼等の足元に落下し、ドーしても石の出所が不明だったというのである。詳細は『南関嶺の怪現象』と題せる記事(『心霊と人生』昭和元年二月号)にある。他にもこの種の怪現象は沢山ある。かのメソヂスト派の創立者ジョン・ウェスレーが一つの幽霊屋敷に住んでたなどは有名な話である。

 その他の異常現象――偶発的心霊事実の中で、数からいえば最も多いのは所謂いわゆる憑依現象である。狐狸、天狗、亡霊、又は神様などと称する者が人体にのり移りて、所謂いわゆる別人格を発揮し、いろいろの言動に出づるものである。多くは玉石混淆、真偽不明で、学問上さしたる参考にもならないが、時として素晴らしく内容価値に富んでいるのもある。西洋種では例の二重もしくは三重人格現象が特に興味が深い。日本種では天狗にさらわれた話がなかなか多い。しそれ長南年惠女に現われた奇現象に至りては、時代も新らしく、出所も正確、断然世界の心霊史上に光っている。彼女は文字通り絶食絶飲の状態を十四年間もつづけた。彼女には大小便月経等の生理作用が全くなかった。彼女が数分間黙祷すると、数十本のびんに、一時に各種各様の霊薬が充満した。彼女は本来無学であったが入神状態において非凡の書画を作成した。彼女は詐術のかどで幾度も投獄されたが、此等これらの奇蹟は獄内においても依然として起り、現に神戸地方裁判所にける判廷において、裁判官の命により厳封せる一合びん中に一種の霊薬を引き寄せた。偶発性の心霊現象でもここまで行くとヘタな心霊実験よりは却って人を動かす威力に富んでいる。

 異常現象の解釈――際限がないから事実の叙述はこの辺で打ち切り、さてう言った諸種の異常現象に対してわれわれがんと解釈してよいか? これにきて一応ここで考えて置きたいと思う。

 現在の世の中で最も普通に言わるるのは所謂いわゆる詐術説である。『この文明の世の中にそんな莫迦ばかな話があるものか!』そう言った考から全部を否定し去るので、つまり人を見れば泥棒と思え、の流儀で最初からてんで相手にしないのである。この詐術説の発生は、詐偽師だらけの現代の世相から観れば全く無理からぬ点もある。諺にも君子危きに近寄らず、触らぬ神に崇りなしで、心霊事実の一切を詐術扱いにして敬遠してしまえば、まことに世話はないにきまっている。すくなくともかの世間に害毒を流しつつある悪辣なる祈祷者、売らんかな式の霊術家、低級愚劣なる巫婆、等の魔手から脱れる丈の効能はある。詐術説はたしかに今の世に存在の意義があると私も認める。

 他方においては又この詐術説に一層油をそそぐ職業が世の中に存在してる。外でもない、それはかの手品である。手品師は言わば詐術で飯を喰っている連中であるから、随分これが為には脳漿を絞り、練磨に練磨を重ね、工夫に工夫を加え、素人眼にはとてもそれが手品と思われないまでに立派に仕上げてある。平生これに接してる一般世人が心霊事実を一の手品と考えたがるのは全くもって無理がない。ことに手品師自身は一種の自衛心理に左右されるものか、いかなる心霊現象に対しても真先まっさきにケチをつけたがる傾向がある。北米の大手品師フージニがそれであった。日本の素人手品師阿部某が又それである。彼等は霊媒をば自分の親の仇とでも思っているらしいのである。

 が、全部の人間が泥棒でないかも知れない如く、全部の心霊現象が皆詐術であるとは限らない。そこで厳密な調査の必要が生ずるのである。詐術と真正の心霊現象との何よりの相違点は、前者が常に用具、場所、人物の配置、等に関して何等かの条件を必要とするに反し、後者には全然それがない事である。この一事のみでも両者を識別することはさして困難ではないのである。で、現在では詐術説も結構だが、それのみで心霊事実を到底解釈することはできないと言う事に決ってしまった。

 詐術説にぎて有力なるは所謂いわゆる幻錯覚説で、幽霊などというものは皆単なる主観性のもの、所謂いわゆる暗示の所産に過ぎないとするのである。この説もたしかに存在の意義はある。新聞の三面記事などに現わるる不思議談のいかに大なる部分が、当人の疑心暗鬼等にもとづける、単なる幻錯覚の産物に過ぎないことであろう。それ等はすべからくこのふるいにかけて極力淘汰すべきである。が、いかに淘汰してもドーあっても淘汰することのできない幾多の心霊事実がげんとして後に残ることもまた否定することはできない。現に長南年惠女ただ一人に起った事実に対してもこの幻錯覚説はほとんど全く無力である。で、幻錯覚説は結構だが、それのみではまだはなはだ不充分だということになってしまったのである。

 そこで、一部の学者によりて提出されたのが所謂いわゆる精神説である。精神説アニミズムというのは、心霊現象その他一切の事象がことごとく人間に具わる所の、ある不可思議能力の所産であるという説で、つまり極端な自力説である。かの神秘説ミスティシヅムだの、思想伝達説だの、潜在意識説だのというのも、そのあらわれは多少ちがうが要するに皆この流れを汲んだもので、畢竟ひっきょう人間に備わる不可思議能力の運用一点張りですべてを解釈してしまおうというのである。

 この精神説にも無論半面の真理はある。人間にはその肉体の外に幽体もあり、霊体もあり、又本体もあるので、内面に向って深くこれを堀り下ぐれば下ぐるほど微妙不思議な働きを発揮し、時として到底人間業とは思われないような真似もやり兼ねない。が、精神説の無理な点は、強いて外界に向って眼をつぶってしまおうとすることで、極端までこれを推しすすめると、結局人間と万能の神とは同格になり、宇宙間の森羅万象はことごとく人間の精神力の所産だということになってしまう。

 精神説はかの人間の努力を無視する他力一点張りの迷信を打破するめには正に誂向あつらえむきの対症薬であるが、しかし余りにこれのみに拘泥すると却って弊害が多い。従ってこの精神説のみで一切の心霊事実を解釈せんとする時に非常な無理が生ずる。この点につきては後章において、機会を見てもっと詳しく説明する。

 詐術説、幻錯覚説、精神説――此等これらいずれをもってしても到底る種類の心霊事実を正しく説明することが不可能であるとする時に、たった一つ後に残るのが交霊説である。これは死者の霊魂その他超現象世界の独立的存在物との交渉連絡を認むる一種の他力説である。現代人、就中なかんづく学者階級に属する者の多くは、この説の撲滅に向って全力を挙げつつあるが、心霊事実の厳正なる批判の結果、ドーあってもこの説を肯定せねばならないようである。これにつきても私はあらゆる機会を捕えて重ねて説明しようと思う。

 これを要するにわれわれ心霊学徒の態度はあくまで公平無私であり、断じて単なる部分的真理の主張に偏してはならない。イズムの樹立も興味がないではないが、真理の闡明せんめいは更に更に大切である。われわれは詐術説で砕けるものは詐術説で砕こう。幻錯覚説で破れるものは幻錯覚説で破ってしまおう。精神説も使えるけ使おう。それでもドーあっても間に合わない時に、交霊説を持ち出すに何の遠慮や会釈がろう。

 自由な立場の厳守、純真な心境の開拓――これが心霊学徒の真先まっさきに心掛けて進むべき途である。


(参考書)

Real Ghost Stories. By W. T. Stead.

 最も有力な参考書の一つ

Haunted Houses. By Prof. C. Flammarion.

Before Death. ―― At the Time of Death. ―― After Death. By the Same.

 フラマリオンの此等これらの諸著は貴重なる実例に富み何人も座右にそなうべきである。

The Dissociation of a Personality. By Dr. M. Prince.

  『岩間山人と三尺坊』   淺野和三郎編

  『幽魂問答』『続幽魂問答』(心霊文庫第二、三篇)      同

  『長南年惠物語』(心霊文庫第三篇)               同

 Animism and Spiritism. By E. Bozzano.

 スードル教授の提唱にかかる精神説に対して、博引はくいん旁証ぼうしょう、完膚なき迄に論述せる伊大利イタリア心霊学界の泰斗たいとボザノ教授の名著である。神霊主義研究者に取りて絶好の参考書



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