心霊図書館 > 「心霊研究とその帰趨(神霊主義)」

心霊研究とその帰趨

三、霊媒の種類並に精神統一の理論と方法

 心霊現象の講述に入るに先立ち、私はここでモー 一章だけ割いて、心霊現象の作製と不離の関係に在る霊媒、又霊媒の養成と不離の関係に在る精神統一法にきて簡単なる説明を試みて置きたいと思う。実をいうと此等これらの諸問題は、前二章において述べた所と同じく、主として心霊実験の結果から帰納されたものであり、従って読者がる程度心霊事実に親んだ上でなければあるいこれを理解し得ないであろうかとあやうまれるが、又ひるがえって思えば最初に此等これらの問題につきて大体の概念を造って置いて、その後で実際の心霊現象に移って行く方が有利な点も多いので、百方考慮の上で兎も角も一応説明を試みることにした。読者はしばらく疑問は疑問として置いて私の所説に一応眼を通して貰いたい。それ等の疑問はこれから章をいて、次第に心霊事実に親しむに連れ、必らず一つ一つ氷解して行くに相違ないと信ずる。

 霊媒の種類――さて霊媒というのは英語の所謂いわゆるミイディアムで、読んで字の如く物質的人間世界と内在的エーテル世界(幽界、霊界、神界)との交通連絡を講ずる媒介者の意味であるが、その種類性質は多種多様にわかれ、同時にこれを使用する目的も決して同一でない。私は大体これぎの四種類に分類し得ると思う。即ち(一)没我式の巫女型霊媒、(二)原料供給の物理的霊媒、(三)第六感式の敏感者、(四)天才型。

 没我式の巫女型霊媒――これは、本人自身の人間意識を断滅だんめつし、言わば脱殻同然になれる体躯を外来の霊魂に貸与し、一の活きた機械の役目をするのである。従ってその間霊媒は全然別人格を発揮し、その濃度が深ければ深いほど心霊現象としては目的を達した訳である。東洋にも西洋にもこの種の霊媒がけだし最も多い。英国のレナルド夫人、日本の中西、小林、両霊媒等が現在として好箇こうこの代表であろう。

 原料供給の物理的霊媒――これは、自身の肉体組織の中から物理的諸心霊現象(物質化、卓子浮揚、直接談話等)を作製するに必要なる材料――所謂いわゆるエクトプラズム又はテレプラズムを供給する霊媒で、その際彼等の体躯は主として一の原料品の倉庫のような役目をつとめる。現在この種の霊媒として有名なのはポーランドのクルスキー、英国のルーイス、北米のクランドン夫人、其他そのほかである。日本では龜井霊媒が唯一の代表である。

 第六感式の敏感者――これには霊媒という用語があるいは当てはまらない場合もある。何となれば自身に備わる鋭敏なる感受性がこの種の人達の何よりの生命であり、必ずしも他界の居住者の交通機関、通信機関としてのみ働く訳ではないからである。その発揮する能力は霊視、霊聴、霊言、自動書記その他に分れ、普通自己の通常意識を失わず、ただ受身バッシィブの状態に自分自身を置くにとどまる。現代においてこの種の能力者中で最も代表的なのは英のワアド氏、トラヴァース・スミス夫人、スコット夫人、カムミンス嬢、北米のカアラン夫人、ポーランドのオッソウィーキ氏、日本の北村栄延氏等であろう。

 天才型――これは前掲の敏感者と多くの類似点を有しているが、ただ少しく相違しているのは、本人自身が自己本来の天分を信じて他を顧みない点である。彼等は通例強い強い自力宗の信者で、自身に来格する所の感じを単に悟りであるとし、又インスピレーションであるとし、通例それが内面の世界から放送さるる霊波の所産であるとは考えない。が、これはもちろん本人が無自覚であるという丈で本質的には一の立派な霊媒現象なのである。ワアド氏の霊界通信の一節『沙翁シェークスピアの脚本の真の作者は、一部の文芸批評家のいうようにべーコンでもなく、さりとて又沙翁シェークスピア自身でもない。あれは一群の霊達からインスピレーションを受けて沙翁シェークスピア が書いたものなのである。彼の作物中の劣悪なる個所のみが本人の自作である……』同通信の他の一節にはんなことも言っている。『すべてのインスピレーションの本源はことごとく霊界に在る。文学、美術、音楽等に限らず、機械類の発明なども、大部分は霊界から伝わって来る。人間の手で受持つのはホンの一部分で、言わば霊界の偉大なる思想を地上生活にうまく応用する丈の工夫に過ぎない……。』兎に角く解釈した時にのみ沙翁シェークスピアのような天才詩人、エディソンのような天才発明家の功績が初めて合理化すると思う。

 以上列挙した様に霊媒はいろいろの種類に分れるが、しからば彼等は如何にしてかくの如き霊媒能力を獲得するに至ったかというに、第一は天分、第二は修養で、その点他の学問技芸にけると全然同一である。天分にきてはここに多く語るの必要を認めない。霊媒能力の有無強弱が最初から天賦てんぷ的にきまってる以上、何人もこれにはおとなしく服従すべきである。現在知名の霊媒につきて観ても、レナルド夫人は七八歳の頃からる程度の霊視能力を発揮し、北村氏の透視能力は十三歳の時に現われ、オッソウィーキ氏の能力は十七八歳の在学中既に教師や同輩を驚かすに充分であった。そうした天分のない者がいかにやせ我慢がまんで努力したとてその到達する所は知るべきのみである。ただる程度の霊媒的天分の所有者の数は一般世人の思考する所よりも遥かに多数であることを忘れてはならない。此等これらは是非充分に大成に導きたいものである。近代の日本国はこの点の用意にはなはだしく欠けてり、どれ丈精神文化の発達の上に損失を招いたかも知れぬと思う。今後は夢にも再びこの過ちを繰りかえさせたくないものである。

 霊媒能力の修養法としては、必らずしも一概には言われないが、私は自分自身の十余年来の経験を骨子とし、かたわら古今東西の先覚者の意見を斟酌しんしゃくして、これなら万が一にも遺算はないと信ぜらるる精神統一法を述べることにする。ただし霊媒養成は血の出るような真剣勝負であるから、筆で伝え得るのはホンの大体の綱領に過ぎないことを承知してもらいたい。

 精神統一の目標――ず第一に私は精神統一の目標を何所に置くべきかを述べたい。仏家はよく無念無想を強調するが、これでは何もできない。精神統一には、精神を統一すべきある一つの目標が必要で、その境地はむしろ無想一念とでも言ったらほぼ当れるに近いだろう。私の考うる所によれば統一修行の目標はぎの数種に尽きるかと思う。

(一)純真な愛情の上に立つ者

 つまり自分が心から愛する他界の人達と通信したいと言った性質の目標である。勿論むろんこれは人生最高の目的ではないかも知れぬが、しかし純真なる人情の発露として大にこれを奨励すべきである。欧米人士はここに力点を置いて精進努力した結果、非常に優れた多くの霊界通信に接し、俗悪なる現代社会に一服の清涼剤を供給しつつある。日本でもすべからく大にこの方面を開拓すべきであろう。

(二)着実な研究心の上に立つ者

 従来世界の人類は宗教家と称する特殊階級の人士に超現象界の研究を一任して顧みなかったが、これは無責任極まる話で、丁度金庫の鍵を盗人に預け放しにしてある様な仕打しうちである。超現象界の事物を調査探窮たんきゅうするのは当然学術畑の仕事であらねばならぬ。近代心霊科学はくの如くにして起った。これがめに従来不可解とせられた事象がどれ丈解決せられ、又迷信思想や不合理なドグマがどれ丈排除されることになったか知れぬ。欧米には研究資料の供給を目的として努力する霊媒が多いがこれは誠に結構なことで、世人はその犠牲に対して当然大にむくゆる方法を構ずべきである。

(三)高邁なるインスピレーションに接したいと思う者

 従来とても、思想家、文芸家、発明家、科学者中の優れたる人達は不知不識の間に入神の域に達してたものもあったが、成るべくならばただ漠然と無自覚的にこれを求むるよりも、はっきりした目標を置いて、自覚的にこれを求めた方がどれ丈合理的であり、又どれ丈効果的であるか知れない。かの北米近代の発明王エディソン翁が父祖三代の神霊主義者であったのを見ても思い半ばにすぎるであろう。

(四)衆生済度の念願にもえる者

 この種の代表者は奉仕的、犠牲的精神に富める、善良な信者型の人士の中に多く見出される。これは病苦災厄に悩む者の多き現世生活において極めて必要な、神聖なる仕事であるが、ただこの美名に隠れて営利売名を事とするのは極度に指弾すべきである。

(五)心身の浄化修養を期図する者

 人間には病気もあり、邪念もあり、又煩悶はんもんもあり、一たび自己を反省した時に自己の醜さに何人も愛想がつきるのである。これを排除するには積極的と消極的の二つの方法がある。積極的方法というのは、つまる一つの立派な目的に全身全霊を打ち込むことで、それが心身浄化の常道である事は言うまでもない。で、私が列挙した前掲の諸目標はたしかに心身浄化向上の最も有効なる手段でもあるのだが、悲しいかな人間はいつもそう積極的にのみ進み得ない。時ありては消極的に自己心身の塵垢じんくを一掃する目的をもって静座内観を修する必要もある。従ってその時の心持ちは飽くまで謙虚であって、自分が神と一致するというよりか、むしろ神明の御前にひれ伏すと言った気分であらねばならぬ。さもないといたずらに誇大妄想式の自己陶酔に陥る患がある。

 精神統一の目標として是認すべきは大体右の数種類と考えられる。念のめにぎに感服出来ぬ目標を教えて見ると(一)何等かの不正、不合理な慾望よくぼう又は野心に駆らるる者、(二)好奇心に駆らるる者、(三)これを職業化せんとする者、(四)目標のない者、等であるかと考えられる。第一に挙げた中には、表面はいかにも殊勝らしく見えて実は大々的の野心慾望よくぼうを包蔵しているのがあるから油断がならない。例えば一切の現世的慾望よくぼう、執着等から解脱するのを目標とする事は、肉体を棄てた帰幽者に取りては必要な目標であろうが、現世の人間がこれを最高の目標とする事は、畢竟ひっきょう途中の進化的道程を踏まずに、一躍して理想の境涯、所謂いわゆる神になり、仏になろうとする事で、その弊害は実に大きい。印度思想にかぶれた者、例えばかの霊智学徒の一部、又本邦にも随所に見出さるるかの野狐禅者流の如きはこの妄想に陥ったものであろう。彼等は内に宿る神性又は仏性の開顕かいけんを目標として統一を行うのであるなどと勿体ぶるが、しからば自己の肉体、幽体、霊体等は最初から無用の長物であるというのか? うした考を抱く者は正に自然の反逆児と称してよい。勿論むろん私がかくのべるのは一切の現世的慾望よくぼう又は執着にふけれというのでもなければ、又自己に内在する神性を無視せよというのでもない。ただ地上の人間は地上の人間らしく、自己の天分に応じて過不及かふきゅうのない目標を建て、穏健に着実に一歩一歩向上進歩の途を辿ることを忘れてはならないというのである。さもなければ人生は滅びる。印度が何よりの良い生証文である。

 ぎに精神統一の用意方法につきて一言する。これにはあきらかに形而下けいじか的と形而上けいじじょう的との二方面がある。

 形而下的用意――形而下けいじか的用意で必要なるは第一が左右の均斉を保つことである。日本流に静座する場合でも、又西洋流に椅子を用いる場合でもこれに変りはない。体格に故障のある者は成るべく前以まえもってその故障を除くがよい。第二は屈折角度を直角に保つことである。即ち胴体と脚部との屈折を九十度に保つのである。椅子の場合には膝の関節が九十度を保つようにしたい。従って椅子は成るべく各自適当の高さのものを作るがよい。第三は各部の連鎖を完全にすることである。一人で坐る場合には合掌が望ましい。又物理現象を起すべく数人で円座を組織する場合には各自の手を繋ぎ、生気の交流作用をさかんならしめることが望ましい。又椅子を用ゆる場合には是非両脚を揃えて床に着け、決して脚と脚とを交叉するようなことがあってはならない。賛美歌や祝詞の斉唱なども畢竟ひっきょう各自の気分の整調和諧わかいを助くる意味である。第四は自然の呼吸を行い、眼は軽くつぶり、口は軽くとざすこと。る一部の人達は不自然な深呼吸を強行するが、これは結果から観て余り面白くない。何事も天然自然の姿に従うことが常道である。又或る人々は半眼を主張するが、これも不自然で面白くない。その他微細の点にわたりていえば際限もないが、大体健全な常識で判断を下せばそれでよい。

 形而上的用意――形而上けいじじょう的用意としては、第一が自我意識を全然受身に置くことが大切で、これが精神統一の最大眼目である。一部の人達は統一の実修に際して全く無意識状態に陥るものもあるが、その数は比較的に少ない。多くの人達にありては自我意識が奥の方に残存するのが普通であるが、これはごうも統一の妨害にはならない。ただここで肝要なことは、その残存せる意識をして積極的に働かせぬことで、つまりくして自我意識と自己の肉体との縁を断ち切るのである。この修行ができるとここに初めて、平生は埋没している自己の潜在意識が活動を開始し、又ここに初めて自己以外のる者(普通自己の守護霊司配霊しはいれい等)がその体躯を使用して所謂いわゆる交霊現象を起しもするのである。第二に必要なるは自己の選定せる目標以外の雑念妄想をできる丈払うことである。雑念撃退の工夫は人によりて異なり、どれが一番良いという事はできない。普通行わるる所を二三列挙して見ると、る単調な音声(瀧の音、時計のきざむ音等)に溶け込むように努めること、眼底の色彩の変化に注意を集める事、経文又は数字等を心で繰りかえすこと、心眼にる目的物を描き出そうとつとめること、水晶球の如きものを凝視すること、等、等である。第三に必要なることは静座中一切の現象に対して冷静沈着を保つことである。静座中には通例何等かの異常現象が起り勝ちであるが、初心者の最も警戒を要するのは実にその際で、中には極度の恐怖心に襲われたり、莫迦ばかに歓び過ぎたり、有頂天になりて大霊覚者を気取ったり、又非常なる煩悶はんもん疑惑に襲われたりするが、いずれも宜しくない。われわれはあくまで冷静に、われわれの体躯を通じて起りつつある心霊現象の意義、性質、内容、価値等を学問的に攻究こうきゆうし、批判し、しそれが自己の思案にあまればこれを知識経験ある先輩に質すなりして、万が一にも遺算いさんなきを期せねばならぬ。最初にこの必要なる用意を欠いたがめに、生涯取り返しのつかぬ誇大妄想家になったり、半キチの精神病者になったりするものが世間にはどれほど多いことであろう。

 精神統一の理論――最後に私は精神統一の基本的理論を略説してこの章をおわろうと思う。われわれはすでに人間が自我表現の機関として肉体、幽体、霊体、本体の四媒体をっていることを知った。同時に又われわれは、人間の置かれてる環境が、物質界、幽界、霊界、神界の四大領域に分れている事をも知った。小宇宙である人間と、これをとり捲く大宇宙とが、かく同一組織でできてる以上しわれわれが適当なる方法を講じさえすれば、相互の間にそれぞれ交通感応も出来るというもので、精神統一の狙い所も畢竟ひっきょうその点に存するのである。即ち人間が慾望に司配しはいさるる場合は、その肉体をもって物質界に通じ、感情に司配しはいされる場合は、その幽体をもって幽界に通じ、理性に司配しはいされる場合は、その霊体をもって霊界に通じ、叡智に司配しはいされる場合はその本体をもって神界に通ずるので、丁度ちようど無線電信電話の場合と同じく、大体バイブレエションの原理に基くものであろうと信ぜられる。

 これに関して物理学界の泰斗たいとクルックス卿はすでに今をへだたること三十余年の昔(明治三十年)におい喝破かっぱしている。――

『余の思考する所によれば、光の原理の中に思想伝達現象の秘密が存在し、更にこれを推しすすめることによりて、従来不可解なりし心霊現象の秘密の多くを解決すべき有力な鍵が見出さるると思う。非常に高き振動律を有するものと推定せらるる思念の波は、恐らく霊媒の頭脳に進入してその神経中枢に働きかけるのであろう。神経中枢がこれ等の光波を使用するのは恐らく声帯がいろいろの音波を使用するのと同一に相違ない。……霊媒というのは要するに異常に発達した発信用又は受信用の神経中枢機関の所有者で、これは天分もあるであろうが、同時に不断の練習の結果高律の振動に感じ易くなったものであろうと思う。兎も角もこの仮説をもってすれば、心霊現象なるものは物理学の法則とごうも抵触する所がなく、何等超自然的、不可思議的要素をやとい来りて心霊現象を説明すべき必要が根絶する……。』

 すでにのべた通り以上は精神統一の根本原則に過ぎない。実際問題となればまだ幾多の予備的知識を要するのであるが、それ等につきては読者が一と通り心霊事実にしたしんでから改めて講述することとする。


(参考書)

 Researches in the Phenomena of Spiritualism. By Sir. Wm. Crookes.

 心霊科学研究者に取りては必読の名著

 The Psychic Faculties and Their Development. By H. Macgregor an M. Vd. Underhill.

 一と通り霊媒能力養成法をのべてある。

 My Life in Two Worlds. By G. O. Leonard.

 同書の中には霊媒希望者に対する懇切なる指導が見出される、けだし類書中の白眉か。



心霊図書館 管理人