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〔五〕 並松雑話

(九)


 家族かぞくことはトムまでしていたから、これから並松なみまつ直接ちょくせつ関係かんけいある人々ひとびときて、すこしばかり記憶きおく辿たどってようとおもう。

 海軍かいぐん大尉たいい篠原しのはらくんことすで紹介しょうかいしていたが、その惨澹さんたんたるしん修行しゅぎょうは、むしろそのおこった。肉体にくたい修祓しゅばつだけでも、足掛あしかけ五ねんまたがりて連続れんぞくてきおこなわれ、そのほかあらゆるてんむかって修練しゅうれんくわえられ、よくもここまで無事ぶじ通過つうかしてたとおもわるるてんすくなくなかった。いま全世界ぜんせかい人類じんるいたいするかみ大試練だいしれん開始かいしせられ、何人なんびと過去かこ三千年来ねんらいの、罪穢めぐり借銭しゃくせん返済なしをせねばならぬ破目はめおちいってるのだか、篠原しのはらくんうえまさその絶好ぜっこう標本ひょうほんうべきものであるらしい。

 篠原しのはらくん最初さいしょ単身たんしん綾部あやべきたり、おおくは並松なみまつ自分じぶんところ寄寓きぐうしてたが、あま病気びょうき永引ながびくので、やがてその家族かぞく引移ひきうつってて、自家うち直下すぐしたの二階家かいやはいった。家族かぞく妻君さいくんのお千代ちよさんと、むすめが三にんであった。

 篠原しのはらくん生活せいかつは一ごんにしてこれつくせば、行詰ゆきづまりというよりほか適当てきとう言葉ことばがなかった。現代げんだい生活せいかつの二だい要素ようそというべきものは、金銭かね健康けんこうとの二ツであるが、篠原しのはらくんはそのいずれもが極端きょくたん欠乏けつぼうしてた。

 軍人ぐんじん金銭かねめるようでは無論むろん駄目だめだが、篠原しのはらくんのやりかたいささ極端きょくたんはしってた。俸給ほうきゅうなどは一にち綺麗きれいんでしまった。仕方しかたがないので借財しゃくざいをする。もの夫婦ふうふという俚諺りげんがあるが、これは篠原しのはらくん夫婦ふうふにはまこと誂向あつらえむきに出来できた。お千代ちよさんは極度きょくど楽天的らくてんてき出来できて、家計かけい不如意ふにょいなどは一こうにしない資質たちであった。その結果けっか大尉たいいにしては却々なかなか見上みあげた借金しゃくきんつくってた。

 借金しゃくきんくびがまわらぬときに、っていたのが篠原しのはらくん病気びょうき、しかもその病気びょうき尋常じんじょうよう平凡へいぼん病気びょうきでなく、睾丸こうがんれて、あながボツボツき、医者いしゃにも診断しんだんがつかぬという難物なんぶつ、まるで戦後せんご疲弊ひへいってうえに、噴火山ふんかざん大破裂だいはれつい、よわっている伊太利イタリーじょうなどに髣髴ほうふつたるものがあった。

 借金しゃくきん病気びょうきとの二ツからてられてところを、神様かみさまほうでは遠慮えんりょ会釈えしゃくもなく、ドンドン修練しゅうれんにかけた。篠原しのはらくんくるしまぎれに、人間にんげん智慧ちえなんとか脱出だっしゅつすべき工夫くふうをすると、たちまかみほうではれい睾丸こうがんげて、ギューギュー制裁せいさいくわえるのであった。

 とうとうあしなくされて、大正たいしょうねんあきには一ぽう破産はさん宣告せんこくけ、他方たほうおい休職きゅうしょく命令めいれいけた。あとのこってるものはただ病気びょうきばかり、しかもその病気びょうき快方かいほうむかうよりは、むし険悪けんあくくわえてった。

 篠原しのはらくんがあらゆる「」と「よく」と「くせ」とにはなれて、真剣しんけん無条件むじょうけん真信仰しんしんこうりかけたのはこの時分じぶんからのことであったようだ。しも篠原しのはらくん金銭かね健康けんこうとの二つがあったら、公平こうへい観察かんさつして到底とうていまだ信仰しんこうはいひとではなかったようだ。イヤ二ツのうちその一ぽうだけあっても、おそらく駄目だめであったとおもわれる。

 繰返くりかえしてうが、篠原しのはらくんうえは、現世げんせかい人類じんるい絶好ぜっこう見本みほんだ。一ぱん人類じんるいはこれから金銭かねうばわれ、地位ちいうばわれ、健康けんこううばわれて、最後さいごかみまえむを往生おうじょうするのであろうが、篠原しのはらくん天下てんかさきんじて、五ねんまえからつぶさこれ体験たいけんした。身魂みたま因縁いんねんというものであろうが、まこと御苦労ごくろう役目やくめであった。しかしこの御苦労ごくろう役目やくめ引受ひきうけてたればこそ、いざという場合ばあいはじめて天下てんか指導しどう救済きゅうさいして、御神業ごしんぎょう遂行すいこう立派りっぱはたらきが出来できるというものだ。


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