心霊図書館」 > 「冬籠」  >

〔五〕 並松雑話

(五)


 三郎さぶ命拾いのちひろいのはなしをした以上いじょうは、順序じゅんじょとして、美智子みちこ誕生たんじょうはなしをせんければならぬ。美智子みちこ大正たいしょうねんの七がつ二十五にち並松なみまつうまれた。自分等じぶんら夫婦ふうふあいだのたった一人ひとりおんなだ。

 思想しそう唯物的ゆいぶつてきながれた現代げんだい人士じんしは、何事なにごとたいしても物質ぶっしつうえからのみ解釈かいしゃくこころみたがる。妊娠にんしん説明せつめいなども矢張やはりそのせんれない。無論むろんそれがけっして全部ぜんぶ誤謬あやまりというのではない。立派りっぱ半面はんめん真理しんりではあるが、しかし、のより重大じゅうだいなる半面はんめん真理しんり閑却かんきゃくしてる。ほかでもない、妊娠にんしんかぎ神様かみさまにぎられてるのを無視むししてことだ。人間にんげん夫婦ふうふちからのみでるとおもうと、それはんでもない間違まちがいである。夫婦ふうふむしかみ傀儡かいらいとして盲目的もうもくてき行動こうどうるだけで、神様かみさま素知そしらぬかおをして、かげから人間にんげん夫婦ふうふ自由じゆう自在じざいあやつって御座ござる。性慾せいよくおそらく人間にんげん属性ぞくせいであろうが、きよ愛情あいじょう出発点しゅっぱつてんたしかかみる。この二しゃはしばしば合同ごうどうしてもはたらくが、またはなれてもはたらる。前者ぜんしゃ衝動的しょうどうてき後者こうしゃ持続的じぞくてき、そのあいだおのずか截然せつぜんたる区別くべつがあるとおもう。

 子供こども人間にんげんちからのみでぬことは、事実じじつ立派りっぱ証明しょうめいしてるから、抗議こうぎ余地よちはないとおもう。人生じんせいままならぬことおおなかに、うまれる子供こどももその一つだ。モウ沢山たくさんって夫婦ふうふあいだに、いやうえにも子供こどもうまれたり、あわせておがほどねがところに、最後さいごまで一人ひとりうまれなかったり、おとこもとむるところおんなうまれ、おんなしがるところおとこうまれ、一ぽうあつらきのたまのような子宝こだからよろこ家庭かていがあるかとれば、他方たほうには二たられぬどもをんで、うれかなしむ夫婦ふうふもある。これが人間業にんげんわざでないことのきたる証拠しょうこでなくてなんであろう。自分じぶん註文ちゅうもんどおり、工夫くふうどおりの出来できあかつきに、唯物ゆいぶつ論者ろんしゃ威張いばってもおそくはない。それが出来できあいだは、だまってちいさくなって、引込ひきこんでるより仕方しかたがあるまい。

 議論ぎろんめきたことはヌキにして事実じじつかたろう。自分じぶん夫婦ふうふあいだには最初さいしょにんまでは非常ひじょう規則きそくただしくおとこのみまれ、いずれも年齢としが三つちがいであった。ところがそのあとはパッタリ杜絶とだえて、十ねん星霜せいそうかさねてしまった。

是非ぜひじょうさまがお一人ひとりおありにならなければ……』

 などと、出入でいりのものなどがよくったものだ。つま自分じぶんもそれをしいとおもわぬではないが、こればかりは人間にんげん智慧ちえでも学問がくもんでもおよばぬことであるから、子供こどもおとこにんきりりと観念かんねんして、全然ぜんぜん断念あきらめてくらしてた。

 すると大正たいしょうねんはるかられい鎮魂ちんこん修行しゅぎょう出来できた二三の神憑者かんがかりくちからは自分じぶん夫婦ふうふあいだひさしからず子供こどもうまれることがらされた。

神界しんかいではモウ立派りっぱきまってる、その所思つもりれ』などとよくわれたものだ。自分じぶん人間にんげん生死せいし問題もんだいかんして、いささ霊的れいてき研究けんきゅうすすしたのはその時分じぶんからのことで、幾多いくた実証じっしょう実例じつれいきて考究こうきゅうした結果けっか、ドウも神界しんかい役場やくばともいうべき産土神うぶすなのかみには、人間にんげんせい余程よほどまえからわかってるとしんずべき幾多いくた理由りゆうがある。ただ生死せいし問題もんだい幽界ゆうかい秘事ひじで、大体だいたいおい人間にんげんにはけっしてもらしてくれない。ことということ極秘ごくひちゅう極秘ごくひのようだ。百へいあって一なきがめであろう。人間にんげんはこのてんかんして全然ぜんぜん盲目もうもくであり、明日あすぬまでも、その間際まぎわまで一しんはたらかねばならぬ運命うんめいってる。

 それはかく自分達じぶんたち綾部あやべ移住いじゅうしてやくねん子供こどもうまれることなどは全然ぜんぜんわすれてしまった時分じぶんになって、はからずもつま奇妙きみょう霊感れいかんがあった。

 まさはなれるにちか午前ごぜんころ突如とつじょとしてつま枕頭ちんとうあらわたもうたのは素盞嗚命すさのおのみことさまの御神姿ごしんしであった。御顔おかお微笑びしょううかべさせ、お言葉ことばもいとやさしく、

そなた肚裡おなかには数多かずおおくのたまがあるはず、一それしてせよ』

 意外いがいあふせつまかつおどろき、かつあやしみ、おそおそこたえた。

わたくしには其麼そんなものはございませぬ』

『イヤたしかにあるのじゃ、はよいたせ』

 はずがないとおもいつつも、神命しんめいもだしがたく、かる咳払せきばらいをしてると、意外いがいにも一れんたまがゾロゾロとのどからた。

 あかむらさき水晶すいしょうあおみどりなどとりどりのいろびて、のくらむほどうるわしく、そしてたまかずは三十ばかりとかぞえられた。神様かみさま点頭うなづきたまいて、

『むむそれでよしよし、もととおりに肚裏はらおさめよ』

 とのおおせ。つま内心ないしんでは、斯麼こんなものをとてもむことは出来できまいとおもながらも、むことをくちあてると、不思議ふしぎにもなんもなく、スルスルと咽喉のどはいってしまったのであった。


前へ

目  次

次へ


心霊図書館: 連絡先