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〔五〕 並松雑話

(二)


組飲くみのみ」しき気楽きらくはなしはこのへんりあげて、そろそろ真面目まじめ記事きじりかからねばならぬ。

 がいしてえば自分じぶん並松なみまつける生活せいかつは、自分じぶん生活せいかつ生活せいかつしたのではない。九以上いじょう大本おおもとめの生活せいかつ修行者しゅぎょうしゃめの生活せいかつであって、自分じぶん自身じしんまた家族かぞくうえにつきては、ほとん何等なんら考慮こうりょをもついやさず、無我むが夢中むちゅうくらしてたというてよろしい。が、五ねんあいだ全然ぜんぜんしるすべきこといではなかった。かずすくないが、ひろしてけば、多少たしょう参考さんこうにはなる。

 自分じぶん夫婦ふうふ信仰しんこうみちびかるる動機どうきだい三郎さぶ病気びょうきからおこった次第しだいすでべたが、いよいよ信仰しんこうはいって綾部あやべ引越ひきこしてからも、一さいならず三郎さぶ肉体にくたいもっ実物じつぶつ教授きょうじゅほどこされた。肉体にくたいからえば我子わがこであるが、信仰しんこうからえばむしわが恩師おんしいたいくらいだ。信仰しんこうがかりは、何所どこかくしてかるるかれたものでない。われわれ凡人ぼんじんは、兎角とかくたいれいず、ひと相手あいてにして、かみ相手あいてにせぬから失敗しっぱいかさねる。いまなかに『丹波たんば田舎いなかもの』だの『紙屑かみくずかひのおなおばあさん』だのという罰当ばちあたりの文句もんくえないのもここる。

 横須賀よこすかける病気びょうき以後いご三郎さぶ肉体からだはすっかり健康けんこうたいふくし、元気げんきよく綾部あやべ小学校しょうがっこうかよってたが、突然とつぜんみぎ大故障だいこしょうおこしたのは、大正たいしょうねんがつ下旬げじゅん自分じぶん夫婦ふうふ吉野よしのおくおもむいた不在中るすちゅう出来事できごとであった。かえってると大騒おおさわぎの最中さいちゅうればみぎ充血じゅうけつしてたかあがり、そして白眼しらめ瞳子ひとみとの境目さかいめところに、直径ちょくけいやくばかりのほしが、気味きみわる隆起りゅうきしてた。

 大本おおもとからはすで役員やくいん鎮魂ちんこんしたり、またつちひやしたり、あらゆる手段しゅだんこうじてれたので、疼痛いたみほとんってた。ただその視力しりょくはなは覚束おぼつかないもので、一二けんきは判然はっきりとはえなかった。

 十ばかりではれ疼痛いたみのこらずり、一けんすれば普通ふつうのようになったが、ただそのほしのみは依然いぜんとしてらず、またその視力しりょくも十ぶん回復かいふく出来できずにる。

神様かみさま信心しんじんして病気びょうきかかるようではつまらない』と大概たいがいひとはそうおもうに相違そういない。所謂いわゆる御利益ごりやく信心しんじんくせが、すう百千ねんわたりて骨髄こつずいまでまされてるので、このかんがえを打破だはすることはじつ至難中しなんちゅう至難しなんだ。病気びょうきになってもかみ感謝かんしゃし、仮令たとえんでもすこしもうらまぬというところまでの、真信仰しんしんこうきずげるのはじつほねれる。大本おおもと信仰しんこう当世とうせいきがせぬのは、一つはこのてんぞんするとおもう。

 大本おおもとおしえうちもっと肝要かんようことの一つは、因縁いんねん因果いんが関係かんけいあきらかなてんである。ぜん大宇宙だいうちゅう活機かっき臨々りんりんたる一だい精霊体せいれいたいであって、これが万有ばんゆうさいぜんだい祖神そしんである。かるがゆえに、宇宙うちゅう内部ないぶかみひとも、日月じつげつ星辰せいしんも、禽獣きんじゅう草木そうもくも、ひろ意味いみおいことごと親類しんるい同志どうしで、ことごとってもれぬ因果律いんがりつつながれてり、相互あいたがい連帯れんたい責任せきにんゆうしてるというのだ。こんな次第しだいであるから、どう霊統れいとうぞくするかみひととの関係かんけいきわめてふかく、功罪こうざいともにそのせめにんぜねばならぬ。神諭しんゆなかにも、

もとたね吟味ぎんみいたすは今度こんどことぞよ。たねがよければ、んなことでも出来できるぞよ』

などととおり、現世げんせける人間にんげんはたらきは、ことごと自己じこ祖先そせんはたらきの連続れんぞくであり、延長えんちょうであるのだ。

 悠遠ゆうえんむかしから現在げんざいいたあいだには、いずれの霊統れいとうにも多少たしょう失敗しっぱい過誤かごがないわけにはかぬ。神諭しんゆ所謂いわゆる罪穢めぐり」がそれだ。すで罪穢めぐりがある以上いじょう是非ぜひともそれを子孫しそんおいつぐなわずにはまされぬ。人間にんげんはその罪穢めぐり償却しょうきゃくするめに現世げんせうまれたのであるともる。個人主義こじんしゅぎなどというものは、この宇宙うちゅうだい因果律いんがりつ無視むしした悪魔あくま芸語たわごとで、ごうるにりない。げん自己じこ一人ひとり孤立こりつしては、人間にんげんは一びょう時間じかん生存せいぞん出来できぬではないか。いかにくちぜいがかからぬとうて、白昼はくちう公然こうぜん斯麼こんなことがえた義理ぎりではあるまいではないか。

 おやとのあいだ無論むろんこの厳密げんみつ因果律いんがりつ司配しはいける。父母ふぼ恩義おんぎにはいくらでもあずかるが、父母ふぼ罪穢めぐり引受ひきうけるのは真平まっぴらだというのは、無智むち禽獣きんじゅう間柄あいだがらでいうべきことで、いやしくも人類じんるいくちにすべきことでない。大本おおもと神界しんかい規律きりつはこのてんおいて一仮借かしゃくしない。大本おおもと信仰しんこうはいるやいなや、何人なんびと真先まっさきにめいぜらるるのは罪穢めぐり償却しょうきゃくだ。その償却しょうきゃくほう病気びょうきという形式けいしきたり、破産はさんという形式けいしきたり、なかにはまたという形式けいしきたり。千しゅ万様ばんよう窮極きゅうきょくするところがない。大本おおもと信者しんじゃ世間せけんから、迷信者めいしんしゃだの、パラノイアの、誇大こだい妄想狂もうそうきょうだの、山師やましだの、ときにはまた逆賊ぎゃくぞくだのとののしられるのも、矢張やは罪穢めぐりってもらってるのだ。

 かんがえてれば、自分じぶんなどもその前半生ぜんはんせいおいて、随分ずいぶん罪穢めぐりんでた。かみさまや先祖せんぞ恩義おんぎおもわず、日本人にほんじんとしての使命しめい天職てんしょくらず、不知しらず不識しらず個人主義こじんしゅぎ利己主義りこしゅぎ悪空気あくくうきなかに、無意義むいぎ蠢動しゅんどうし、太平楽たいへいらくをきめんでた。自分じぶん一人ひとりでは到底とうていこの罪穢めぐりつぐなれない。そこで一総懸そうがかりで、その償却しょうきゃくあたらせられたのだが、自分じぶん家族かぞくうちで、もっと多量たりょうこれ引受ひきうけてれたのは、什麼どう三郎さぶであったらしい。そのおかげのものが信仰しんこうり、またそのおかげのものが神様かみさま御用ごようつとまる。これについてものものは三郎さぶぶんまではたらかねばならぬとおもう。それにしてもあれだけ罪穢めぐりを、故障こしょうぐらいにとどめてくだすったのは、神様かみさまほう余程よほど恩典おんてんであったに相違そういない。


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