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〔四〕 秋の丹波

(八)


 あき丹波たんばしたところが、ツイ持前もちまえ道楽どうらく気分きぶんくびもたげて、うことやあそぶことばかりならてた。これでふでいては少々しょうしょう寝覚ねざめがわるいから、最後さいごあき収穫しゅうかくうちすぐれて大切たいせつであったものを紹介しょうかいして、罪滅つみほろぼしをしてこう。それはほかでもない、教祖きょうそ出口でぐち直子なおこ刀自とじ御写真おしゃしんらしてもらったことであった。大正たいしょうねんあきもっと貴重きちょう獲物えものは、かきくり松茸まつたけではなく、じつにわれ教御祖おしえみおや最後さいご御写真おしゃしんであった。

 あに海軍かいぐん部内ぶないでも有名ゆうめい写真しゃしんきょうで、その道楽どうらく江田島えだじま教官きょうかんをつとめた大尉たいい時代じだいからはじまったようだ。それからというものは、旅行りょこうも、遠足えんそくも、日常にちじょう生活せいかつも、みな写真しゃしん基調きちょうとして計画けいかく按配あんばいせらるるかとおもわれるほどで、最近さいきん二十幾年いくねんあいだに、あにから苦心譚くしんだんつきでせつけられた景色けしき写真しゃしん人物じんぶつ写真しゃしんいく百千まいのぼるかれない。往年おうねん舞鶴まいづる参謀さんぼう時代じだいには、写真しゃしんめにわざわざこの綾部あやべにもたことがあるそうで、ほど和知わち沿岸えんがん山水さんすいは、たん写真しゃしんがんからても立派りっぱなものに相違そういない。

 近頃ちかごろ年齢とし所為せいか、その写真しゃしん道楽どうらく幾分いくぶん下火したびになったようだが、大正たいしょう年頃ねんごろはまだ却々なかなか旺盛さかんなものであった。十がつ三十にち東京とうきょう出張しゅっちょう途次とじ綾部あやべ立寄たちよったときにも、一だい写真しゃしん器械きかい携帯けいたいおよんでた。教祖きょうそさんの写真しゃしん問題もんだいはこれからおこった。

什麼どうだろう、一つらしてもらえぬだろうか。教祖きょうそさんも御老体ごろうたいだから一まいのこしてほうがよいとおもう……』

『さァ明日あしたって先生せんせい相談そうだんしてましょう』

 あに自分じぶんとのあいだには晩餐ばんめしさい斯麼こんなはなした。自分じぶん教祖きょうそさんが写真しゃしんたいして、極度きょくど慎重しんちょう態度たいどってられることを熟知じゅくちしてるから、はたして承認しょうにんあたえられるやいなやにつきて、すくなからぬ懸念けねんってた。これまでに教祖きょうそさん御単独おひとりでおりになったのは、たッた一まいしかない。それも余程よほど以前いぜんのものだ。ほか家族かぞくおよ役員やくいんと一しょうつされたのが二まいばかりもあろう。何時いつかも自分じぶんから写真しゃしんのことを申上もうしあげると、

わたしのようなものが!』

容易よういうけつけられる模様もようがなかった。

 この謙遜けんそんな、あくまでひか態度たいどこそ、じつ教祖きょうそさんの有難ありがたいところであった。いやしくも一だい指導しどうし、一せい師表しひょうたるべきひと平生へいぜい心懸こころがけには、何処どこかにちがった箇所ところがある。たまきずたとえごとく、兎角とかく何人なにびとにも一つや二つのくせがあるものだ。ところが教祖きょうそさんにはそれがなかった。ゆえにそのくせおもねってむべき余地よちがなかった。

 たとえば写真しゃしんにしてもそうだ。写真しゃしんるのがきだとあれば、写真しゃしんたね使つかものその周囲しゅうい雲霞うんかごとあつまる。写真しゃしんこのむということは、けっして悪事あくじというほどではないが、それでも程度ていどぐれば矢張やはり百へいみなもととなる。小人しょうじん邪人じゃじんなどというものは、つね斯麼こんな急所きゅうしょばかりねらうものだ。

 三十一にち午前ごぜん大本おおもとて、出口でぐち先生せんせいってこのはなしをした。すると先生せんせいたいそう賛成さんせいせられ、早速さっそく教祖きょうそさんにおねがいしてましょうとって、その居間いまおもむかれた。

 教祖きょうそさんはそのれいによりてお筆先ふでさきいてられた。出口でぐち先生せんせい言葉ことばつくして教祖きょうそさんに撮影さつえいすすめられた。

商売人しょうばいにん写真屋しゃしんやではなく、浅野あさのはんのにいさんがられるのやさかい、是非ぜひまいってかれるのがよろしいとおもいます』

 教祖きょうそさんは筆先ふでさきとどめて、

『さァわたしのようなものが……。しかし折角せっかくやからかみさんにうかがってますワ』

 一まい写真しゃしんるにも、いやしくもせられず、神様かみさま御指図おさしずあおいでからにする! 嗚呼ああなんといううるわしい、神々こうごうしいおこころばえであろう。この一のみをても、その御性行ごせいこうの一ぱん大概たいがい髣髴ほうふつるではないか。

 それにしても神勅しんちょくなんとあるかと、自分達じぶんたち兄弟きょうだいはいささかむねとどろかしてってると、やが教祖きょうそさんは、

かみさんがっていてもらえとおっしゃられますから、ってもらいますワ』

 これをきいたあにいさってその準備したくりかかった。場所ばしょ金龍殿きんりゅうでんめ、ふすまひらいて神檀しんだん背景はいけいとすることにした。

 教祖きょうそさんは木綿もめん紋附もんつきをつけて、いとつつましやかにめられた。あにはゴムだまにぎってった。自分じぶんわきほう見物けんぶつしてたが、当時とうじ光景こうけい自分じぶんうちにアリアリといまのこってる。おそらくこれは永久えいきゅうのこるのではないかとおもう。

 大本おおもと教祖きょうそ最後さいご写真しゃしん神勅しんちょく写真しゃしんは、かくして立派りっぱ出来できあがった。その複写ふくしゃは「神霊界しんれいかい」にも掲載けいさいされたことがあるから、一ひとってるであろう。しかしその種板たねいた大本おおもと奉納ほうのうされ、いま御神体ごしんたいとともに岩戸いわと奥深おくふか秘蔵ひぞうされてる。


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