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〔三〕 東のぼり
(八)
両親ともに健在というのが、久しい間自分の誇りであり、又他から羨まれる点でもあったが、とうとうその一方が欠けてしまった。『斯ンな事と知ったら、生前に彼様して置けばよかった、斯様もしたかった。せめて世の中に、大本の教えがモウ些し解るまで生きて居てくれたなら……』
ツイ愚痴やら追懐やらが起り勝ちで困った。
それでも、幸に大本の信仰に入ったお蔭で、人の霊魂が生前そのままの個性を帯びて、永久に存在する事実を知って居るから、従来のような、死に対して寂寞無常の感に打たれることなしに済んだ。顕幽に隔りこそあれ、矢張り母はいつまでも幽界に残るのだ。そして必要があれば、お互に交通も出来るのだと思えば、悲しいと言っても従来の悲しみとは、全然内容を異にして居た。例えば遠い所に離れて住んで居るような心持で、心の底には、一種の希望の光明が射して居るのであった。
従来友人などが、その親の死に遭うのを見る毎に、自分はよく考えたものだ。
『何れ自分にも母と別れ、父を亡うことが循って来るに相違ないが、そうした場合に何と考えて、この人生の悲事を凌げばよいのであろう。死とは何か? 死後は如何? ただ仕方がないから仕方がないでは、人生は余りに無意義でそして残酷だ。この謎の解けぬ間は、成るべくそンな事の起らぬようにして貰いたいものだ……』
神様はこの謎の解けるのを待って、母の死に遭わしてくだすった。さもなければ自分の後半生はいかに惨な、暗黒なものであったろう。
『矢張り愚痴などはこぼさぬ事だ。年齢も七十三、人間としてまァまァ仕方のない年輩だ。そしてそれが大正四年に起らず、又五年にも起らず、いよいよ自分の信仰の腰の据った大正六年に起ったというのは、難有い話だ……』
丹波から常陸まで約二十時間の汽車の旅の中に、自分の精神は殆ど平静の状態に復帰したのであった。
が、いよいよ生家に著いて、老いたる父の顔を見、又死したる母の面影に接した時は、覚えず涙が澪れた。
『あれ鼻血が……』
亡母の面上にかけてあった白布を、除けた瞬間に父はかく叫んだ。気が附いて見ると、成る程亡母の鼻から黒ずんだ血が流れ出して居た。
肉身のものが著いた時は、死骸から必ず鼻血が出るものだとは、昔からの伝説であるが、自分達は今目のあたり其証拠を見せられたのであった。ツイ五分間ほど前に見た時には、鼻血などは出て居なかったそうな。
『矢張り仏さんは可愛い人の著くのを待って居たのでしょうよ』
誰やらが感傷的な文句を吐いたので、一としきり一座には涕をすする音が聞えた。
葬儀はその翌る日を以て仏式で行われた。自分は二十年前母の手織の袴、羽織、帯などをつけて之に臨んだ。これ等の品は、自分の生きて居る間は、いかに古びても大切に保存し、死ぬ時にはそれを著せて貰おうと、今から心に決めて居る。
一身の私事に亙ることを、自分は少々書き過ぎたかと思う。ただ最後に母の霊魂のことにつきて一筆書き添えて置きたい。
母の埋葬は仏式で行ったが、其霊魂は無論大本の祖霊社で祠り替て貰った。肉体としては、母は一度も綾部へ来ずにしまったが、然し其霊魂は屡次綾部へやって来る。妻は幾度その姿を見たか知れぬ。起居風丰、生きて居た時と全然同一で、衣服までも見覚えのあるのを著て居る。そして生前接し得ざりし大本の教に、霊魂として熱心に接すべくつとめて居るようだ。
龍ヶ崎の修斎会支部長の飯田りん子は自分の従姉に当り、亡母からは実子のように世話をされたものだが、母の霊魂は前後数回、飯田の肉体に懸って来て、其口を使っていろいろの事を述べたそうだ。其麼時には言語、動作とも、そっくり亡母その侭になって了い、常に座右の人を驚かせる。一々その問答を茲に記述する訳にも行かぬが、ただ一つ筆先きに対して述べた事だけ紹介して置こう。
母の霊魂はしきりにお筆先の難有さを説いたそうだ。お筆先を肚に入れなかったばかりに、神様の道が判らず、幽界へ入ってから、霊分相当の位置より、二段ばかり下げられたということであった。
『あンな残念なことはない。階級が一段違っても大変な違いで、それを幽界で取り戻すのは容易な事ではない。しかし自分の今行っている所は大変楽な所で、上を見れば限りはないが、下を見ても亦限りがない。まァ皆に安心して貰います……』
尚お母の霊は、神恩神徳の洪大無辺なこと、すべての人が早く信仰に入らねばならぬこと、幽界の事情の発表は神則に禁ぜられて居るので矢鱈に口外は出来ぬこと、綾部には屡次行くので、その様子はよく判って居る事などをきれぎれに物語ったそうである。
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