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〔三〕 東のぼり

(七)


 東京とうきょう滞在中たいざいちゅうにも、篠原しのはらくんは一にち何回なんかいとなく神懸かみがか状態じょうたいになって、種々いろいろことしゃべった。多弁たべんれいであっただけ、そのところ玉石ぎょくせき混淆こんこうかならずしも信頼しんらい出来できなかった。あとうそであること発見はっけんして詰問きつもんしてやると、『かみさんがうそえとおっしゃるからったのです。わたしなにりません』などとって、洒蛙しゃあ洒蛙しゃあしたものだった。

貴下あなたちかうちに、モウ一ぺんひがし出直でなおしてなければなりません』

 ある自分じぶんむかって斯麼こんなことをった。

何時いつです?』

なつあつ最中さいちゅうでしょう』

用事ようじは?』

わたしにはわかりません』

 いくらかがかりなので、お二三問答もんどうをしてたが、結局けっきょくそれ以上いじょう要領ようりょうられなかった。うそであるのか、それとも真実ほんとうなのかさえ判明はっきりしなかった。

 其後そのごやく一箇げつ日子にっし経過けいかした。こんな問答もんどうをしたことさえほとんおもさなくなった自分じぶんに、突如とつじょとして国元くにもとちちからの書状しょじょうとどいた。何心なにごころなくひらいてると、おどろくべしはは危篤きとくほう……。

 ははは七十三さいなりの高齢こうれいではあったが、従来じゅうらいほとん病気びょうきというものをらぬ健体けんたいで、故障こしょうといえば老眼鏡ろうがんきょうをかけるくらいのもの、みみもよくきこえ、あし達者たっしゃ頭脳ずのう健全けんぜんほとん老衰ろうすいちょうせなかった。こと記憶力きおくりょくつよいのは天禀てんびんで、子供こども時分じぶんならった四しょ唐詩選とうしせんなどの全部ぜんぶを、いまお一すえにいたるまで暗記あんきしてた。一ねんに一ぐらい横須賀よこすかへもて、よく自分じぶん箱根はこねだの、しまだのと案内あんないしたものだ。最後さいごたのは、大正たいしょうねんあきなかばで、そのとき観音崎かんのんざき走水はしりみず神社じんじゃ参拝さんぱいした。いずれそのうち綾部あやべにも一むかえようとしてたところに、突如とつじょとし今回こんかい危篤きとくらせには、さながら晴天せいてん霹靂へきれきかんがした。

 手紙てがみによると、ツイ二週間しゅうかんほどまえに、梯子はしごからちたのが原因げんいんらしい。わずかに三四しゃくたかさからちたのであったが、達者たっしゃなようでも年齢としあらそわれず、内臓ないぞう器官きかん故障こしょうおこして、急転きゅうてん直下的ちょくかてき重態じゅうたいおちいってしまった。

 るものもりあえず、自分じぶん大本おおもとんでって、四かたさんにたのんで、病気びょうき平癒へいゆ祈祷きとうをなし、また御神籤おみくじいてもらった。御神籤おみくじわるくはなかった。

 さら出口でぐち先生せんせい手紙てがみしめして、しかるべくおたのみすると、先生せんせい早速さっそく御神前ごしんぜんって御祈願ごきがんをしてくだすった。

大方おおかたなおりますじゃろ。綺麗きれいな、透明とうめいたまが三ッばかりあがるのがえました。病気びょうきうすらぐしらせかとおもいます』

 御神籤おみくじといい、また出口でぐち先生せんせい御神示ごしんじといい、表面ひょうめん至極しごく良好りょうこうえたが、うやら不安ふあんな、くらかげしてるようにおもえて仕方しかたがなかった。そうするうちもなく電報でんぽうとどいた。それはははしらせたものであった。

篠原しのはら守護神しゅごしんが、あんなことってたが、矢張やはり幽界ゆうかいではモウきまってことなのかしら……』

 真先まっさきに自分じぶんむねうかんだのは、斯麼こんなかんがえであった。

 ああ何処どこまでも生死せいしかぎかみにぎられ、こればかりは人間にんげんかしあたえられるということいようだ。その数年すうねんあいだに、自分じぶん屡次しばしばかかる場合ばあい遭遇そうぐうしたが、一かいごと益々ますますこのかんふかうする。

 御神籤おみくじといい、霊示れいじ霊覚れいかくといい、神人しんじん両界りょうかい交通こうつう機関きかんには相違そういないが、これでなにも、人間にんげん幽界ゆうかい秘事ひじるとおもうと、んだ心得こころえちがいだ。何処どこまでもかみしゅにして人間にんげんじゅうだ。らせてよいことと、またらせてわることとの審査しんさ判別はんべつ権能けんのうかみ把持はじする。人間にんげんから強制きょうせいされたから、ツイ幽界ゆうかい秘事ひじをもらすというのは、邪神じゃしんのすることで、正神せいしんだんじてせざるところである。ことにこのてんについて厳正げんせい無比むひなのが、今回こんかい国祖こくそによりて組織そしきされたる大本おおもと神界しんかいである。

 出来できだけ未来みらいことりたいというのが、人情にんじょうまぬががたてんであろう。こと疾病やまいにでもかかったときは、なおるか、なおらぬかをだれしも神様かみさまうかがってたくもなるが、なお場合ばあいにはよろこんでおしへてくださるとしても、なおらぬ場合ばあいにはかみさまもおこまりに相違そういない。やく三十年間ねんかん御神前ごしんぜん奉仕ほうしをしてる四かたさんまでが『お神籤みくじはよく反対うらことがあります』とってる。実際じっさいそれに相違そういなかろう。神様かみさまけっして機械きかいではない。必要ひつようおうじてつね臨機りんき処置しょちをとらるる。問題もんだいなどは、最後さいごまで人間にんげんにはわからぬものと覚悟かくごせねばならぬようだ。

 霊示れいじ霊覚れいかくにしても矢張やはかみ手加減てかげんくわわる。はは死去しきょ電報でんぽうせると出口でぐち先生せんせい悵然ちようぜんとして、

矢張やはりそうでしたか。最初さいしょ病気びょうきかるくなるのかとおもいましたが、あれはみたまになって昇天しょうてんすることのおげでした……』

 自分じぶん倉皇そうこうとして行李こうりととのえて、ふたたひがしそら旅立たびだったが、おもいもかけずみのははわかれた気分きぶんは、いかに神界しんかい全生命ぜんせいめいささげたにもすこしはこたえた。一とくらい生前せいぜんわしてれてもよかりそうなもの、かみさまもあんまりだというかんじが、一むねそこいでもなかった。


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