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〔三〕 東のぼり

(三)


 自分じぶんはいってくのをて、秋山あきやまさんのおくさんは、ひざをかきあわせて蒲団ふとんうえあがった。初対面しょたいめんではあるが、海軍かいぐん士官しかん妻君さいくん気質かたぎは、けっしてひとらすようなことはしない。自分じぶん最初さいしょから心置こころおきなくはなしまじえることが出来できた。秋山あきやまさんよりはずッとわかく、病中びょうちゅうではあるがさして面憔おもやつれもえず、しろい、うるわしい血色けっしょくをしてられた。

 暫時しばらく大本おおもとはなしなどをして、それから鎮魂ちんこん著手ちゃくしゅしたが、五ふんとたたぬに自分じぶんはその発動はつどう状態じょうたいて、いささかおどろきもし、またどくにもかんじた。これまでのあやまれる信仰しんこう余毒よどくは、露骨ろこつ夫人ふじん鎮魂ちんこん状態じょうたいあらわれてたではないか。あきらかにあるしゅ悪魔あくま憑依ひょういして、そして夫人ふじん肉体にくたいかるからぬ婦人病ふじんびょうおこさせてたではないか。

 自分じぶん出来できだけちからつくして、その悪霊あくれいしずめ、大神おおかみさまの威力いりょくによりて改心かいしんみちにつかせるべくつとめた。が、容易ようい此方こちらおもつぼはまらず、悪霊あくれいなかば恐怖きょうふなかば反抗はんこう態度たいどりて、かえってあばくる気配けはいしめした。

 みちになやめる婦人ふじんつねとして、多少たしょう神経質しんけいしつ傾向けいこうがあるものだが、秋山あきやま夫人ふじんにもそれがあった。現代げんだい医学いがくはこのしゅ疾患しっかんたいして、それぞれ巧妙こうみょう名称めいしょうしてるのははなは結構けっこうであるが、ただ、そのおくれい憑依ひょういがあることをらぬのはこまったものだとおもう。じつうと、すべての神経的しんけいてき疾患しっかんともな諸現象しょげんしょうは、ことごと霊的れいてき発動はつどう結果けっかほかならない。鎮魂ちんこん照魔鏡しょうまきょうにかけられると、憑依物つきものことごとくその正体しょうたい露出ろしゅつしてしまう。夫人ふじんいてれいもやがてその正体しょうたいをあらわし、またさかん言葉くちした。

 かかるさいに、その頭脳ずのうが十ぶん堅実けんじつであってくれれば、ごう懸念けねんするにらぬが、さもないと肉体にくたい憑依霊ひょういれいのためにきずられて、散々さんざんその玩弄物おもちゃになる。夫人ふじん不幸ふこうにして憑霊ひょうれい抵抗ていこうするには、あまりにやさしくまたあまりに肉体にくたいよわってた。かくて自分じぶん努力どりょく甲斐かいもなく、次第しだい次第しだい非常識ひじょうしき濫語らんご狂態きょうたいとにむかって、深入ふかいりしてくばかりであった。

 りょううちに、自分じぶんにはドウやら秋山あきやまのろえるれいなんであるか、またその目的もくてき那辺なへんにあるかの目標もくひょうあきらかについてた。

 秋山あきやまさんが稲荷いなりさんをむかえてたのは、たしか七八ねんまえのことであったらしい。その稲荷いなりさんは、霊分れいぶん相当そうとう守護しゅご秋山あきやまあたえてたのであったが、昨年さくねんくれ秋山あきやまさんが大本おおもとてから、稲荷いなりさんの態度たいどはガラリ一ぺんしてた。現界げんかい人間にんげんこそボンヤリしたかおをして、いまうしとら大金神だいこんじんさまの大立替おおたてかえ大立直おおたてなおしということをうたがい、有神論ゆうしんろんだの無神論むしんろんだのと、にもつかぬ議論ぎろんをしてるが、霊界れいかいほうでは縦令たとえ稲荷いなりさん程度ていどひくかみでも、おそろしい大審判だいしんぱん接近せっきんしつつあることを熟知じゅくちし、とても駄目だめりつつも、一なりと御神業ごしんぎょうのお邪魔じゃまをしようともがいてる。秋山あきやまさんが綾部あやべ参拝さんぱいしたということは、稲荷いなりさんにりては大恐慌だいきょうこう種子たねであった。うしとら金神こんじんさまは、改心かいしんしたかみひととの大守護だいしゅごしんであるが、改心かいしん出来できかみひととにりては、またなき大仇敵だいきゅうてきである。さてこそ稲荷いなりさんは自家じか防禦ぼうぎょの一さくとして、また自己じこ見棄みすてた秋山あきやまさんにたいする復讐ふくしゅう手段しゅだんとして、早速さっそく秋山あきやまさんを盲腸炎もうちょうえんかからせ、あやうそのめいうばわんとした。

 ところが、秋山あきやまさんの信念しんねん却々なかなかかたく、大神様おおかみさま御守護ごしゅごがあって、容易よういにその目的もくてきたっがたしとるや、今度こんどはその鉾先ほこさき夫人ふじんほうなおしたのであった。

 ただこれだけならまだ処置しょちやすいが、くだん稲荷いなりさんの背後うしろには、さら佞奸ねいかん邪悪じゃあくなる魔界まかい頭目とうもくひかえてて、あらゆる声援せいえんあたえてた。彼等かれら秋山あきやまさんの能力のうりょく才幹さいかんおよびその社会的しゃかいてき地位ちいを百も二百も承知しょうちしてた。このひとただしい信仰しんこうはいられては、かみみち比較的ひかくてきはや日本にほん上下しょうかわかってしまう。そうなってはじつ由々ゆゆしき大事だいじである。何事なにごとよりも秋山あきやまさんの信仰しんこうをぐらつかせて、破滅はめつさせねばならぬ。悪魔あくまにとりては死活しかつ存亡そんぼうわかるる一大事だいじであるから、その作戦さくせん巧妙こうみょう周到しゅうとうきわめたことはじつおどろくべきものがあった。日本海にほんかい々戦かいせんさいに、秋山あきやまさんはバルチック艦隊かんたいたいして、有名ゆうめいな七だんそなえのさくてたが、悪魔あくま秋山あきやまさんにたいする計画けいかくも、おさおさこれまさるともけっしておとりはしなかった。だいさくらずんばだいさくり、だいさく成功せいこうせねばだいさくだいさくと、いくらでも陥穽かんせいもうけてあった。

 盲腸炎もうちょうえんけだしそのだいさくであったが、秋山あきやまさんは首尾しゅびこれけた。夫人ふじんみちだいさくであったが、これは程度ていどまで効果こうかおさめた。立替たてかえはなしをきいて、さなきだにあせり気味ぎみになって秋山あきやまさんは、夫人ふじん発動はつどう状態じょうたいて一そうこころ安静あんせいうしなった。機略きりゃく縦横じゅうおうすすんでてき欠陥けっかんくというようなことには天下てんかぴんざいであったが、泰然たいぜん自若じじゃくとして、退しりぞいて守備しゅびかたうするというようなことには、むし不得手ふえてひとであったから、案外あんがい悪霊あくれいからはじょうぜられやすかった。

 夫人ふじん発作的ほっさてき発動はつどうして、とりとめないこと口走くちばしるのをきいて、秋山あきやまさんほどの名将めいしゃういろしっして、途方とほうれたどく状態じょうたいは、いまおありありと自分じぶんうかぶようながする。


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