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〔二〕 春から夏にかけて

(十一)


 おものままふでまかせて、みぎらねたほかにも、まだ修行者しゅぎょうしゃはるからなつにかけて殺到さっとうした。座談ざだん鎮魂ちんこんほう不相変あいかわらず自分じぶん一人ひとりであれど、くる相手あいては十にんいろただの一にんとしてどう一なのがない。理窟りくつッぽいのもあれば、感激性かんげきせいのもあり、鈍感者どんかんしゃもあれば、発動性はつどうせいのもあり、病者びょうしゃあり、健体けんたいあり、わかき、おいたるおとこおんなまったもっ応接おうせついとまがなかった。横須賀よこすかで十七年間ねんかん粒揃つぶぞろい海軍かいぐん生徒せいとばかり取扱とりあつかった埋合うめあわせに、綾部あやべ取扱とりあつかうのは、あらゆる階級かいきゅう、あらゆる種類しゅるい、あらゆる性質せいしつ代表者だいひょうしゃばかり、おかげッとは人間学にんげんがく勉強べんきょう出来できたようながする。こののちはますますこの傾向けいこうくわわるばかり、あした支那人しなじん煩悶はんもんをきいてやり、ゆうべ亜米利加人あめりかじん質問しつもんおうじてやるということにもなるであろう。んでもない役割やくわりッつかまったものだと、自分じぶん内々ないない恐縮きょうしゅくしてる。

 かくるものをむかえ、ものおくってうちに、ももさくらもいつしか跡方あとかたもなくってしまい、見渡みわたかぎみな青緑せいりょくなつ景色けしきとなってた。大正たいしょうねんごろはいそがしいとうても、まだまだ昨今さくこん生活せいかつくらべると、幾分いくぶん余裕よゆうがあった。ポカポカしたあたたかい気候きこうになると同時どうじに、自分じぶんりあえず近所きんじょ古船ふるふねを一そうりて、あさゆうに、すぐ門前もんぜんながるる和知わち清流せいりゅううかび、しきりにさおあやつったものだ。

 大橋おおはし下手しもてせきもうけてあるので、さしもの急流きゅうりゅうもそのいきおいの大部分だいぶぶんがれ、門前もんぜん四五ちょうあいだは、かわわんよりはむしみずうみのようにみずたたえてる。そのあいだこころゆくまままわ気持きもちさ、ぬるんだみずやわらかなかぜさかさまにかげをひたす緑樹りょくじゆ静山せいざん間断かんだんなくきこゆる淙々そうそうみずおと……。

 自分じぶんときふね対岸たいがん横著よこづけにしてりくあがってる。このへんたいは一めん小砂利原こじゃりばらで、しろあかくろみどりむらさきなどさむるばかりうるわしい小石こいし所狭ところせましとならんでる。参綾さんりょう士女しじょはよくこのへんいし採集さいしゅうをやるが、まった綺麗きれいいしおおところだ。

鎮魂ちんこん石笛いしぶえでもありそうなもの』

 などとだれしもかんがえるが、さてさがしてると、それは滅多めったい。石笛いしぶえ審神者さにわ資格しかくあるものに、かみ直接ちょくせつさずけらるるので、人為じんいてき肉眼にくがんさがしてもおおくは見当みあたらない。

自分じぶんはモウ一さずかってる。よくふかくしても駄目だめだ』

 暫時ざんじのち断念あきらめて、またふねのぼり、今度こんど上流じょうりゅうふねすすめてる。

 一二ちょうくと一めん暗礁あんしょうだ。そのうち幾箇いくつかは頂点ちょうてん水面すいめん露出ろしゅつしてる。かめなどがよくここ甲羅こうらしてる。ボチャンとやると、あわて水中すいちゅうむが、あまりにみずんでるので、すかしてるとそのかく場所ばしょがよくわかる。

 このへんから段々だんだんながれが急激きゅうげきになる。やがて一とまがりするとモウ急湍きゅうたんがあって、いかにさおってても、独力どくりょくではのぼれない。断念あきらめてふねながれにまかせると、ふねはフワリフワリともとみちひとくだる。さおみずからげて、船舷ふなべりこしおろしてたばこでもふかながら、のんびりとした気分きぶん四辺あたり風光ふうこうまなこをくばる……。

 盛夏せいかこうすずふねときべつであるが、そのときには、自分じぶんほか滅多めったひとかげはない。たまいかだ上流じょうりゅうからくだってくらいのものだ。和知川わちがわ清流せいりゅうと、見渡みわたかぎりの風景ふうけいとは、ほとん全部ぜんぶ自分じぶんひとり占有せんゆうしたようなもの、じつに千万金まんきんにもがたきものがある。だれであったか

『このかわ一つあれば大本おおもとをヌキにしても十ぶん移住いじゅうする価値かちがある』

ったが、自分じぶんもそれには衷心ちゅうしんから賛成さんせいだ。ふね門前もんぜんまでながれてると、おおくの場合ばあいつま下女げじょかがきしってて、

『おきゃくさんが二三にんえてります。はやあがってください』

 この一はじめてハッと現実げんじつわれかえり、いそいでふねきしけるのが通例つうれいであった。

 なににしてもあま気持きもちがよいので、借物かりもの古船ふるぶねでは満足まんぞくされなくなった。少々しょうしょう道楽どうらくのようだが、これだけは神様かみさまにお見免みのがしをねがい、とうとう新規しんきふね註文ちゅうもんした。出来できあがったふねは「日之出丸ひのでまる」と命名めいめいして門前もんぜんつないだが、そのふね子供達こどもたちよろこびとほこりとはたいしたものであった。しかし内々ないない親爺おやじよろこびとほこりとは、けっしてれにおとりはしなかった。

 あたらしいふねつくって、ったながれをギチギチぎまわす愉快ゆかいは、あたらしい手車てぐるま自動車じどうしゃで、塵芥じんかいうずもれたる街頭がいとうりまわす愉快ゆかいよりもどれだけおおいかれぬ。そのくせ造船費ぞうせんひわずかに三十五えんあとは一もんらぬ。費用ひようさえかさめばいものとおも成金なりきん気分きぶんほどにも阿呆あほうらしいものはない。


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