心霊図書館」 > 「冬籠」  >

〔二〕 春から夏にかけて

(四)


 篠原しのはらくん始終しじゅう自分じぶんところとまったが、そのうち際立きわだって変化へんかしょうじてたのは酒量しゅりょう減少げんしょうだった。斗酒としゅせずは形容けいようぎるかもれぬが、かく最初さいしょ篠原しのはらくん酒量しゅりょうけっしてあなどるべからざるものがあった。げばむ、めばぐ、晩酌ばんしゃくに五七ほん徳利とくりたおぐらい平気へいきであった。もらった月給げっきゅうを一とばんんでしまぐらいげいのあるひとだから、すくなくも二しょうぐらい手並てなみがあったとてよかろう。

 ところ大本おおもとてから、一とつきならざるにガラリ豹変ひょうへんして、二三ばい陶然とうぜんたるほど下戸げことうになってしまった。自分じぶん酒量しゅりょうは、大本おおもと入信にゅうしん以前いぜん以後いごとにおいて、格別かくべつ差違さいみとめない。依然いぜんとして一ぽんぐらいめる。ところ篠原しのはらくん酒量しゅりょうしょうからしゃくへ、二けたばしてった。

什麼どうだ。モウ一つまんか』

『イヤ沢山たくさん……』

 三ばいさかづきをそッとますようになった。はたさかづきかさねる自分じぶんは、いささどくかんずるくらいであった。

 が、睾丸こうがんほう中々なかなかそう手取てっとばやらちかなかった。いくらかなおりかけると、すぐに海軍かいぐん生活せいかつこいしくなる。立替たてか立直たてなおし、日本にほん世界せかいとう一も無論むろん結構けっこうではあるが、しかなにうにも現役げんえき青年せいねん士官しかんうえである。現在げんざい大尉たいい最古参さいこさんで、このあきにはだまってても少佐しょうさ進級しんきゅうする。つまもあれば子供こどもも三にんある。いかになんでもこのまま現職げんしょく抛擲ほうてきして、修業しゅうぎょうまい綾部あやべ生活せいかつ這入はいりたくないのは、人情にんじょう自然しぜんであろう。自分じぶん篠原しのはらくん病気びょうきが一はや全快ぜんかいして、そして実務じつむふくするはやからんことを衷心ちゅうしんからかみ訴願きがんした。いかにせん、イザ綾部あやべ発足たとうとすると、覿面てきめん睾丸こうがんあがっていたみをしてる。それでも我慢がまんして無理むり停車場ていしゃばむかおうとすると、たちま気絶きぜつする程度ていどげられる。流石さすが豪傑ごうけつおもわず悲鳴ひめいをあげて、がらずにはれなかった。

ここれというのに貴様きさま勝手かってかえろうとするからいためるのだ』

天狗てんぐさんはおなかそこから号令ごうれいをかける。上官じょうかん命令めいれいなら、まだ反抗はんこう余地よちもあるが、自分じぶん肉体にくたい占領せんりょうし、生殺せいさつ与奪よだつ全権ぜんけんにぎって天狗てんぐ命令めいれいたいしては、いかんともすること出来できない。

 自分じぶん屡次しばしば鎮魂ちんこんして、くだん天狗てんぐおさえつけようとしてたが、天狗てんぐさんは実際じっさい神界しんかい命令めいれい睾丸こうがんいためてるらしく、霊縛れいばくあまかなかった。で、賛成さんせいでも不賛成ふさんせいでも、その命令めいれいほうずるよりほか致方いたしかたがなかった。ただ当人とうにん退綾たいりょう決心けっしんひるがえすと同時どうじに、いたみはぱッたりそのむのであった。

 恁麼こんなふうで、篠原しのはらくん厭々いやいやなが荏苒じんぜんとして綾部あやべ生活せいかつつづけた。一きょどう自分じぶん意志いしではうごけないうえとなった。

 そうするうちに、篠原しのはらくん守護神しゅごじん転換てんかんおこなわれた。什麼どう様子ようすちがうから一ぺんしらべてれとの篠原しのはらくん依頼いらいによりて、自分じぶん早速さっそく鎮魂ちんこんして発動はつどうさせてた。するとはたして天狗てんぐさんの場合ばあいとは様子ようすがガラリちがってた。天狗てんぐさんがかかったときには、かッと紅潮こうちょうがさして、そして意気いき傲然ごうぜんたるものがあるのにはんし、今度こんど満面まんめん蒼味あおみびて審神者さにわたいしてあくまで恭謙きょうけん謹慎きんしん態度たいどうしなわない。

何誰どなたですか、おうかがいます』

わたくし肝川きもがわ龍神りゅうじんござります』

 と矢張やは言葉くちかた上手じょうずなものだ。

什麼どうして篠原しのはら肉体にくたいにおかかりですか』

神様かみさま御命令ごめいれいによったものであります。篠原しのはら肉体にくたいはいって御用ごようせいということですから、それでかかりました』

偶然ぐうぜんめいぜられたのですか』

『イヤ矢張やは篠原しのはらとは因縁いんねんがありますが、くわしいこと申上もうしあげられません』

 肝川きもかわにはおもなる龍神りゅうじんが八はしらあって、艮之金神うしとらのこんじん眷族けんぞくとして大活動だいかつどうをやってことは、神諭しんゆなかにも明記めいきされてる。自分じぶんくる大正たいしょうねんの十がつ肝川きもかわ参拝さんぱいして、大体だいたいその実状じつじょうることをたが、かく龍神りゅうじんさんの神懸かみがかりは、当時とうじ自分じぶんりてははなはめずらしかったので、多大ただい興味きょうみもっその鎮魂ちんこんあたった。篠原しのはらくん肉体にくたいかかってるのは、肝川きもかわたきうえ龍神りゅうじん眷族けんぞくで、まだ十ぶん修行しゅぎょうんではなかったが、それでもまえ粗野そや天狗てんぐさんのではなかった。

 自分じぶん篠原しのはらくんことなどは其方そっちけにしてしまって、矢鱈やたら質問しつもんふけったものだ。龍神りゅうじんかい消息しょうそく幾分いくぶんちたのは、まったくこの龍神りゅうじんさんのたまものであった。古事記こじき講釈こうしゃくなども請求せいきゅうしたが、程度ていどまでこれこたえた。時々ときどき難解なんかい箇所かしょがあると、淡白たんぱくに、

わたしにはわかりません。このぎまでにうかがっていてげます』

 などとった。いずれかというと、少々しょうしょう多弁たべんぎるくらいで、自分じぶんほうからたずねもせぬのに、

来年らいねんくれ大本おおもと内部ないぶ大事件だいじけんおこります、教祖きょうそが……』

などとベラベラしゃべしたことがあった。すると、このときにわかべつかみ篠原しのはらくんかかって、おおきなこえで、

だまれ! 其様そんことってはならん!』

 自分じぶんたちには、そのとき龍神りゅうじんさんが、なにおうとしたのかわからなかったが、あとになってかんがえると、ドウも大正たいしょうねん十一がつ教祖きょうそ帰幽きゆう素破すっぱこうとしたものらしかった。龍神りゅうじんさんは一かたならず恐縮きょうしゅくていで、翌日よくじつ鎮魂ちんこんさいに、

昨日さくじつかみさんから散々さんざんしかられました』

などとってた。

 審神者さにわたいして恭謹きょうきん龍神りゅうじんさんも、篠原しのはらくんたいしては、態度たいどがガラリ一ぺんして、極度きょくど強硬きょうこう辛烈しんらつ制裁せいさいくわえ、またえず叱言こごと訓戒くんかいくだしてた。そして睾丸こうがんいためることは、はるか天狗てんぐさん以上いじょうであった。


前へ

目  次

次へ


心霊図書館: 連絡先