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〔二〕 春から夏にかけて

(一)


 自分じぶん綾部あやべ引越ひきこしてから、毎日まいにち毎日まいにちそらくもりがちであった。たま日光にっこうがさすので、今日きょうれかと油断ゆだんしてると、うみほうからきつけるつめたいしろきりが、須知すち山脈さんみゃくきあたったとおも瞬間しゅんかんに、うチラチラとゆきってる。土地とち人間にんげん悠長ゆうちょうなのにはんして、山陰さんいんゆきじつはやい。お手軽てがるにあッさりとして、そのくせ、どうかすると、一に一しゃくつもる。ってはみ、んではり、それが大抵たいてい毎日まいにちのことであるから、人間にんげんほうでも根気こんきけがしてあまけない。ふゆさむいもの、ゆきるもの、そらくもるものとあきらめてしまい、十二がつごろから炬燵こたつ用意よういでもして、呑気のんき持久じきゅうさくこうずる。

 だんめには人間にんげん種々いろいろ工夫くふうしてる。煖炉ストーブには煖炉ストーブ特長とくちょうがあり、スチーム、ヒーターには、スチーム、ヒーターの便利べんりがある。しかし山陰さんいん田舎いなかでは矢張やは炬燵こたつかぎるようだ。ノンキで簡易かんいで、おだやかでい。一寸ちょっと二三十ぷんはいるつもりですわったのが、ツイ三時間じかんぐらいびる。火鉢ひばちさきあたためながらゆきるのでは、少々しょうしょうさむぎて調和ちょうわれぬが、炬燵こたつゆきると、雪片ゆきわれ綿わた花片はなびらのようにあたたかくゆる。自分じぶん郷里きょうりにも炬燵こたつがあったが、十四のとき郷里きょうりはなれると同時どうじ炬燵こたつともはなれて大正たいしょうねんおよんだ。かぞえてれば、全然まるで二十八年間ねんかん炬燵こたつ御無沙汰ごぶさたをしたわけだが、ようや今度こんど綾部あやべ引越ひきこして炬燵こたつ旧交きゅうこうあたためること出来できた。ゆき自宅じたく来訪らいほう修行者しゅぎょうしゃがあると、自分じぶんこれ炬燵こたつまねきいれ、自分じぶん同様どうようはいって、大本おおもとはなしをしたことも、二や三ではなかった。炬燵こたつ説法せっぽう成績せいせきがいして良好りょうこうであったように記憶きおくする。

 五十にち、七十にち丹波たんばふゆ何時いつつべしともえなかった。それでも三がつはいると、一たい風物ふうぶつ何処どこともれずかわってた。ゆきつもりょうよりはけるりょうおおく、下駄げたおとまでちがってた。矢張やはここにもはる近寄ちかよりつつあるなとおもう。いかに内観的ないかんてきになってしまって、周囲しゅういたいして神経しんけいちかうえでも、ヤレヤレといささこうれしい気分きぶんがせんでもなかった。

 自然しぜん邸前ていぜんながるる和知川わちがわりてにもなり、急流きゅうりゅうなのでこおりりはせぬが、しかし、こころみに川水かわみずにひたしてると、れるようにつめたい、やまやまとのあわいから、みずつたっていてかぜこおりのようだ。奮発ふんぱつしてつないである小船こぶねともづなはなって、たけさおって中流ちゅうりゅうしてる。景色けしき素晴すばらしくいが、しかしさおつたしずくつめたさ。

『またさむい。はやくポカポカしたはるになればいい。和知川わちがわべり以上いじょう是非ぜひともこのかわしたしまねばならぬ。』

 独語ひとりごちつついそいでまたきしぼる。当時とうじ自分じぶんだい一の憧憬あこがれが、大本おおもとおしえ普及ふきゅうるはいうまでもないが、これいでのせつなるのぞみは、はや川水かわみずぬるんで、おも存分ぞんぶん子供こどもたち相手あいてに、舟遊ふなあそびにでもふけることであった。

 其後そのご自分じぶん綾部あやべ冬籠ふゆごもりをかさぬること四かいきたる三がつまさだい回目かいめふゆわんとしてる。ただ近頃ちかごろ大阪おおさか方面ほうめんきょぼくし、綾部あやべかえ機会きかいはなはすくないので、今年ことしひさしぶりで、冬籠ふゆごもりをばしみじみあじわうことなしにおわるかもれぬ。うなってると、人間にんげん勝手かってなもので、過去かこ数年来すうねんらい綾部あやべ冬籠ふゆごもりが、なつかしいようにもかんじられる。

 つらつらかんがえてるに、冬籠ふゆごもりのあじわいは、冬籠ふゆごもりそのもののあじわいよりも、冬籠ふゆごもりから初春はつはるのうららかなる日光にっこう生温なまぬる空気くうきうつりかわりのあじわいであるらしい。ながなが蟄居ちっきょ辛抱しんぼうがあるから、はるなつとの有難味ありがたみわかる。ノベツまくなし、単調たんちょうきわまる無変化むへんか気候きこうであったら、人生じんせい到底とうていえられたものではないらしい。ひとうえにてもまた同様どうようであろう。

 綾部あやべ大本おおもとごときはじつ冬籠ふゆごもりながいものであった。明治めいじ二十五ねん正月しょうがつ教祖きょうそ神懸かみがかりからいまおよびて二十ゆうねん最初さいしょはまるで一ぱん世人せじん歯牙しがにもかけられず、紙屑かみくずひろいの狂人よ、時代じだいおくれの迷信家めいしんかよと、わらわれ、そしられ、あざけられていま乳臭にゅうしゅう末輩まっぱいから、うにわれぬ侮辱ぶじょくけつつある。が、いんきょくすなわようはじめ、一ひらひらほころぶるうめはなはるさきがけするとおなじく、大本おおもと真面目しんめんもく昨今さくこんようやこころある人士じんしこころうごかし、やがて万朶まんだはなきほこる一よう来復らいふく機運きうんが、何所いずこともなくみなぎりかけたようだ。『ぜんみちひらけるは苦労くろうながいぞよ』一りんとして二十九ねんわた過去かこ大本おおもとかたるが『三千世界せかいひらうめはな』の時節じせつ俄然がぜんとして展開てんかいするのも、あまとお未来みらいではないらしい。そうなったあかつきには、自分じぶんいま綾部あやべ冬籠ふゆごもりの追懐ついかいふけるがごとく、大本おおもとながなが冬籠ふゆごもりの追懐ついかいふけることもあろう。

 ふでおもわず、あらぬ方向ほうこう脱線だっせんした。んな感想かんそうじみたことをいてては、何処どこまでこのへんながつづくかれたものでない。れいによりて赤裸々せきらら事実譚じじつものがたりでも、テキパキといてこう。少々しょうしょうみみいたひとがあるかもれぬが、それは何処どこまでも神心かみごころ見直みなおなおしてもらいたい。かねばわけわからず、けばひと瑕疵あらをほじりす、こまったものだと自分じぶん自身じしんじつよわってる。


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