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〔一〕 綾部の冬籠

(十六)


 大正たいしょうねんから六ねんにかけての、冬籠ふゆごもりちゅう出来事できごととしては、八丈島じょうしま奥山おくやま親子おやこことが、またありありと自分じぶん記憶きおくうかづる。秋山あきやまさんや谷本たにもとさんのとは、全然ぜんぜん別趣べっしゅ別様べつようのもので、しかも意義いぎふか興味きょうみおおく、霊魂れいこん問題もんだい研究けんきゅうじょう、どれだけ自分じぶんのち参考さんこうになったかれぬ。このはなしだけはるべくくわしくいてきたいとおもう。

 八丈島じょうしまひと親子おやこにんづれで、丹波たんば山奥やまおくたということだけで、すでに一の奇蹟きせきたるをうしなわぬ。袖振そでふうも他生たしょうえん随分ずいぶん奇妙きみょう径路けいろて、奇妙きみょうはなし出来できあがるものだとおもう。奥山家おくやまけは八丈島じょうしまでの旧家きゅうかで、代々だいだい名主なぬしつとめたものだそうな。現代げんだい主人あるじ表松ひょうまつ名告なのひとで、年齢としは四十五六、いかにも温厚おんこうな、長者ちょうじゃ人格じんかくそなえたひとであった、一村長そんちょうをやったこともあるが、いまはすべての公職こうしょくはなれ、家事かじながら、だブラリと悠長ゆうちょう月日つきひおくってた。表松ひょうまつ養子ようしでその細君さいくんというのが奥山家おくやまけいえづきむすめであった。年齢としは四十一二でもあろう、夫婦ふうふあいだには数人すうにん子女しじょげ、大正たいしょうねんはるまで何等なんらかわったこともなく、きわめて平和へいわな、満足まんぞく家庭かていいとなんでた。なに呑気のんきうても、斯麼こんな呑気のんきうえは、けだおおくはないに相違そういない。浮世うきよはなれたしまなかで、生活せいかつ苦労くろうらず、病気びょうき心配しんぱいもなく、村人むらびとからは尊敬そんけいはらわれて、悠々ゆうゆう自適じてき生活せいかつおくるのだから、あたか温室むろなかで、びるだけびる植物しょくぶつのようなもの、生命いのちは百までもちそうにおもわれる境遇きょうぐうであった。

 ところが、このたのしい温室むろうち不図ふとじん狂風きょうふうんだ。それは十三になる三なんが、大正たいしょうねんはるから、みょう衰弱すいじゃく兆候ちょうこうていしたことであった。おどろあわてて早速さっそくむら医者いしゃにかけたが、その病名びょうめいとんわからない。はいでもなく、心臓しんぞうでもなく、ちょうでもなく、でもない。るにしたがって、その衰弱すいじゃく益々ますますくわわるばかり。やがて学校がっこうかようことも出来できず、ブラブラしてとこしたしむようになってしまった。同時どうじに二なんの十六になるのが、おとうとほどでもないが、矢張やはどう兆候ちょうこうていしかけた。

 従来じゅうらい苦労くろうらずのうえであっただけそれだけ両親りょうしん心痛しんつう苦慮くりょたとうるにものもなかった。かかる場合ばあいのぞむと、都会とかいひとなら、やまうみかをえらんで、転地てんち療養りょうようでもこうずるのであるが、田舎いなかひとすぐれたる病院びょういん医者いしゃとをもとめて、大抵たいてい都会とかい出掛でかける。ドウも人間にんげん境遇きょうぐう次第しだいで、なんとか気休きやすめのさくを、こうじて一安心あんしんいたがるものらしい。両者りょうしゃうちじつ何方どちら感心かんしん出来できない。病気びょうき原因げんいんは十ちゅうの九まで霊的れいてき作用さようで、空気くうきや、温泉おんせんや、医薬いやくなどでは格別かくべつ効能こうのうはない。

 それはかくも、奥山おくやま夫妻ふさいは、裕福ゆうふく田舎者いなかもの紋切形もんきりがたで、二病児びょうじたずさえて、とお波路なみじえて、はるなかばに東京とうきょうへとた。そして大学だいがくへもく、順天堂じゅんてんどうへもく、そのほか東京とうきょうじゅうある病院びょういんや、名医めいいもんをくぐり、たか診察しんさつりょうおしまずはらって診療しんりょううたのであるが、二不思議ふしぎ病気びょうき原因げんいんはドウしてもわからずじまいで、おとうとほう大森おおもりの○○病院びょういんで七がつごろんでしまった。

 そのころまで、あに病気びょうきはまだ左程さほどすすんでなかったが、おとうと死後しごその病状びょうじょう急進きゅうしんし、しかもその容体ようたいは、その亡弟ぼうてい病状びょうじょうとそっくりであった。これには東京とうきょう医者いしゃさじげた。

うせ医薬いやくでは治療ちりょう方法ほうほうはない。何処どこ空気くうきところって、安気あんき養生ようじょうでもするよりほかみちがない』

というのが、幾人いくにんかの医師いしの一せる意見いけんであったそうな。

 うまでもなく、これは体裁ていさいのよい死刑しけい宣告せんこくであった。奥山おくやまさん夫婦ふうふは、一人ひとりった病児びょうじを、鎌倉かまくられてて、小町こまち裏手うらてきょぼくしてたが、無論むろん転地てんち効果こうかすこしもえず、ふゆはじめにはほねかわばかりになってしまい、モウ足腰あしこしたなくたってた。

 恰度ちょうどそのときであった。自分じぶん綾部あやべ引越ひきこそうとして、告別こくべつめに出口でぐち先生せんせいともに、ある鎌倉かまくらに行き、檜貝ひがい機関きかん大佐たいさ訪問おとづれた。それが不思議ふしぎえん手蔓てづるで、ここはじめて奥山おくやまさんと綾部あやべとの連絡れんらくがついたが、出口でぐち先生せんせいはその病人びょうにん鎮魂ちんこんされたが、不思議ふしぎにも一いちじるしく効果こうかがあらわれ、ひさしいあいだたきりであった病人びょうにんが、きゅうつえすがってある始末しまつであった。これて、奥山おくやま親子おやこおおいうごいた。皇道こうどう大本おおもと何物なにものたるかは、まだすこしもわかってはぬが、ほか何等なんら目標めあてとてかったさいとて、是非ぜひ綾部あやべってたいというになった。

 んな次第しだいで、十二がつ自分じぶんが一げて綾部あやべ引移ひきうつったとき奥山おくやまさんの親子おやこにんれも鎌倉かまくらからこれくわわって同行どうこうした。綾部あやべくと、大本おおもとでは、あえ部内ぶないの一しついて親子おやこ収容しゅうようした。自分じぶん来訪者らいほうしゃ応接おうせつやら、雑誌ざっし編輯へんしゅうやらで忙殺ぼうさつされ、したがって奥山おくやまさんのことには、あま関係かんけいするいとまがなかったが、四かたさんその役員やくいんが、かわるがわる病気びょうき祈願きがんをしてやり、同時どうじ大本おおもとかみおしえいてきかせるべく、あらゆるろうったのであった。


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