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〔一〕 綾部の冬籠

(十五)


 段々だんだんただしてると、一伍いちぶ一什しじゅう事情じじょうあきらかになってた。そして王子おうじ稲荷いなり眷族けんぞくところにも、一おう無理むりからぬ条理じょうりがあり、また谷本たにもとさんの行動こうどうにも、のこらずいところばかりもなく、自分じぶん審神者さにわとしてその裁判さいばんあたり、近頃ちかごろにない興味きょうみある経験けいけんた。その顛末てんまつぶれば、ざッとごときものであった。

 谷本たにもとさんは、天然社てんねんしゃはい以前いぜん、一熱心ねっしんなる王子おうじ稲荷いなり信仰しんこうしゃであった。かくてしば邸内ていないに、わざわざほこら建立こんりゅうし、それへ王子おうじ稲荷いなり勧請かんじょうしたが、そのときえらばれてたのが、すなわ谷本たにもとさんの肉体にくたい現在げんざいいて白狐びゃくこであった。その白狐びゃくこ自白じはくするところによれば、王子おうじ稲荷いなり眷族けんぞくかずは、八万三千五百にのぼるとのことであった。

 谷本たにもとさんの信仰しんこう堅固けんこあいだは、白狐びゃくこは一しん不乱ふらん谷本たにもとさんおよその家族かぞく守護しゅごし、幾多いくた御利益ごりゃくさずけたそうだ。白狐びゃくこった。

明治めいじ四十三ねんしば火災かさいがあったときなどは、このほうはたらひとつで谷本たにもと類焼るいしょうまぬがれた。板塀いたべい一つへだてたすぐとなりまでさかんえてたのに、谷本たにもとところでバッタリそのまり、しかも何等なんら損害そんがいなく、すえごときは、スヤスヤねむったままでますにもいたらなかった。しかるにこの大恩だいおんわすれて、谷本たにもと信仰しんこう次第しだいうすらぎ、到頭とうとう無断むだんで、ほこら返納へんのうしてしまことになった。ただ信仰しんこううすらいだというだけなら、まだ大目おおめるとしても、不届ふとどき至極しごくにも……』

 と語気ごきようやあらく、憤怒ふんぬ形相ぎょうそうものすごく、

不届ふとどき至極しごくにも、王子おうじとは、ツイはなあいだなる、池袋いけぶくろ天然社てんねんしゃなどともう流行神はやりがみりかえ、自身じしん采配さいはいりて世間せけんさわがすようの振舞ふるまいて、勿体もったいなくも、王子おうじ稲荷いなり関東かんとうだい一の稲荷いなりにして、羽田はねだ稲荷いなりなどのとおおよぶところでない。昨今さくこんしの天然社てんねんしゃごときもののめに、かおどろられるようなことがあっては、そのままわけにはかぬ。そこでこのほう谷本たにもと肉体にくたいき、また眷族けんぞく谷本たにもと家内かない子供こどもとにつかせ、次第しだい次第しだい懲罰みせしめあたえてやった。一盛大せいだいきわめた天然社てんねんしゃが、またたひまくだけてしまったのも、ことごと王子おうじ稲荷いなり神罰しんばつ結果けっかであるのだ。ひきつづいて谷本たにもと生命いのちまでもろうとして、みみはなからいためてるのだが、完全かんぜんその目的もくてきたつするのには、ほどまだ時日じゞつようする……』

 自分じぶんはこの物語ものがたりをいたときには、おぼえずはだあわしょうずるのをきんずることが出来できなかった。谷本たにもとさんが信仰しんこうてて、天然社てんねんしゃりかえたのは、めたことではないとしても、すでにそのにくったうえに、そのほねまでもしゃぶろうというのは、なんというおそろしい執念しゅうねんであろう。自分じぶんきつねむかってかたちただしうして、その不心得ふこころえめた。

稲荷いなりさんの社会しゃかいでは、そんなことをするのをことおもうかもれぬが、大神おおかみさまのまえでは、断然だんぜん容赦ようしゃ出来できぬ。窮鳥きゅうちょうふところれば猟夫りょうふこれころさぬというではないか。そのほういま関東かんとうだい一の稲荷いなりなどと威張いばってったが、そんなちいさい量見りょうけんるから、心得こころえちがいをいたすのだ。人間にんげんかいで、博徒ばくと親分おやぶん縄張なわばりをきめてあらそってると同様どうよう態度たいどで、なんというさもしい、きたな心懸こころがけであろう。うしとらの大金神だいこんじん国常立尊くにとこたちのみことさまは、このみだれたる神界しんかいから真先まっさき立替たてかえをなさるのだ。信仰しんこうすれば悪人あくにんでもたすけ、そむけば善人ぜんにんでもなやますというのが、それが汝等なんじら態度たいどじゃ。大本おおもと審神者さにわにとまった以上いじょうは、このままに看過かんかすることは出来できない。今日こんにちからただち改心かいしんして、谷本たにもとみみなり、はななり、なりをなおすことにすればそれでよし、し、このまま態度たいどあらためざるにおいては、大神おおかみさまにおねがいして、神罰しんばつあたえてくれる。什麼どうじゃ改心かいしんするか』

 白狐びゃくこ案外あんがい素直すなおた。

おそりました。おおせのとおり、早速さっそく谷本たにもと病気びょうきなおすことにいたします。しかし谷本たにもと仕打しうちけっしていとはおもわれません。大恩だいおんけながら、無断むだんほこらかえすというほうはない。是非ぜひ王子おうじ稲荷いなり参詣さんけいして、その罪過つみのおわびをするよう、貴下あなたさまから当人とうにん御申おもうしつけをおねがいします』

『むむ、それはもっともなぶんじゃ。拙者せっしゃから谷本たにもとめいじて、それだけの手続てつづきをかならませてやる……』

 この問答もんどうをきいて谷本たにもとさんは、今度こんど人間にんげんとして白狐びゃくこむかってその挨拶あいさつした。

無断むだんほこらかえしたのは、自分じぶんながら手落ておちでありました。いずれ東京とうきょうかえりましたら、ちかって早速さっそく王子おうじ稲荷いなり参拝さんぱいしておわび申上もうしあげます。何分なにぶんにも御容赦ごようしゃねがいます』

『それで差支さしつかえない』

はらなかから白狐びゃくここたえた、

 たった一くちを、白狐びゃくこ谷本たにもとさんと使つかけるのであるから、なんにもらぬひとかられば、滑稽こっけい自問じもん自答じとうとしかえない。しかしこれで十ぶん用事ようじりるのだから仕方しかたがない。

 自分じぶんひきつづいて、この白狐びゃくこむかって幾多いくた質問しつもんかさね、おかげ関東かんとう方面ほうめん幽界ゆうかい事情じじょうが、余程よほど明瞭めいりょうになったのはうれしかった。王子おうじの八まん三千五百の眷族けんぞくちゅう人間にんげんいて守護しゅごしてるのはやく八千ばかり、あそんでるなどとってたのを、いま記憶きおくしてる。

 谷本たにもとさんの病気びょうきは十ぎても、二十ぎてもなおらず、二十五六にちった時分じぶんみみからの分泌物ぶんぴつぶつなどはかえっ最初さいしょ数倍すうばいのぼってたので、自分じぶん随分ずいぶん心配しんぱいしたものであったが、それがいよいよ約束やくそくの二十八にちとなると、おどろくべし、みみはなとが三箇所かしょ同時どうじ平癒へいゆし、あとにはただ疲労ひろうのこってるばかりであった。

 谷本たにもとさんはこのときから大本おおもと熱心ねっしんなる信者しんじゃになったようだ。


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