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〔一〕 綾部の冬籠

(十一)


 自分じぶん綾部あやべ感想かんそうは、ただ忙殺ぼうさつの一きてしまってる。今日こんにちから当時とうじ回想かいそうしてて、そのほかにはべつ何物なにもののこってない。道草みちくさいが、むちてられるので、テクテクけりうしうま態度たいどそのまま、自分じぶんあとからあとから、矢継やつぎばやせまりくる仕事しごといかけられて、なに大概たいがいわすれてはしってったにぎぬ。

 が、忙殺ぼうさつ自分じぶんだけかというに、けっしてそうではない。程度ていどちがおもむきちがうが、大本おおもと内部ないぶひとは、大抵たいていみなかみさんからこの使つかわれてるのだ。なんとはなしにいてならぬ。ただじっとはしてられないというのが、すべてのひと共通きょうつう気分きぶんであるようだ。自分じぶんなどはわずかに数年来すうねんらいのことだが、十ねんも二十ねん以前いぜんからここひとも、最初さいしょからそうかんじてたらしい。かみさんの人間にんげん使用法しょうほうまたたくみなりとうべしだ。

時節じせつがだんだんせまってますでな』

 斯麼こんなことわれながら、教祖きょうそさんは八十の老躯ろうくひっさげられて、積雪せきせつじゃく丹波たんばふゆことともせず、神命しんめいすれば、れい御神前ごしんぜん小机こづくえむかって、しきりふではこばれた。自分じぶんもちょいちょいそのおへやしゅつにゅうしたが、なにがさて寒気かんきにはおどろいた。さなきだに身体からだ引締ひきしまるような神様かみさま御前ごぜんであるうえに、座右ざゆうにはひとつだにない、ものの十分間ぷんかんすわってうちには、総身そうしん底冷そこびえがしてる。しかるに教祖きょうそさんは、五時間じかんとおしに仕事しごとつづけられる。御神徳ごしんとく容易よういわからぬ自分じぶんたちにも、このさむさだけはよくわかった。

矢張やつぱ教祖きょうそさんにはかなわない』

 と衷心ちゅうしんからおそらざるをなかった。

 出口でぐち先生せんせい出口でぐち先生せんせいで、その神変しんぺん不可思議ふかしぎ縦横じゅうおう無尽むじん活動かつどうをされてた。熟睡じゅくすいされてるのかとおもうと、何時いつにやら神歌しんかの百しゅぐらいを、寝床ねどこなかつくられてる。だれかをつかまえて、れい古事記こじき講釈こうしゃくなどをされてたかとおもってると、とうのむかしにおいけって、少年隊しょうねんたい子供こども相手あいてに、キャッキャッって、二三ずんもある厚氷あつごおり鉄槌てっついくだいてられる。イヤ大正たいしょうねんの二がつごろのおいけ厚氷あつごおりったら前後ぜんごれいかった。ズンズンそのうえあるいてもミシリともせぬ。今日きょうくだいていても、その翌朝よくちょうまたりつめてる。二箇月かげつわたりて、ふねなどは全然ぜんぜん使用しようなかった。

 その時分じぶんふゆになると大本おおもと役員やくいんかずがずっとるのをつねとした。これは土工どこう出来できず、またはた仕事しごと駄目だめという厳冬げんとう季節きせつ利用りようして、それぞれ布教ふきょう出懸でかけるからであった。大正たいしょうねんからは本部ほんぶ修行者しゅぎょうしゃかず激増げきぞうし、これにじゅんじて仕事しごとえたので、ふゆだからとて、役員やくいん布教ふきょうるということも出来できないことになったが、大正たいしょうねんまでは、冬季とうき布教ふきょうは一の年中ねんじゅう行事ぎょうじのようなものであった。無論むろん当時とうじ布教ふきょうは、蓑笠みのかさ草鞋わらじで一もんしで出懸でかけるのであるから、その区域くいきおも丹波たんば丹後たんご但馬たじまとう近国きんごくかぎられ、最近さいきん布教ふきょう宣伝せんでんのように、日本にほん全土ぜんどまたがるというわけにはかなかったが、もとのヂミな布教ふきょうに、かえって一しゅいうべからざる妙味みょうみがあった。出口でぐち先生せんせいでも、ながあいだその苦労くろう散々さんざんめられてたので、自分じぶんなどはわずかに、前期ぜんき後期こうきとのさか実状じつじょうを一べつたにぎぬ。むかし役員やくいんは、徒歩とほ京都きょうとまで出掛でかけるという場合ばあいに、教祖きょうそさんから五せん小遣こづかいいただいたものだそうな。この一大概たいがいそのころ布教ふきょう苦労くろうさっせられるとおもう。

 んなふうで、大本おおもとひと一人ひとりとして忙殺ぼうさつされてらぬはなかったが、自分じぶんとしてとくこころ銘記めいきしてるのは、当時とうじ印刷部いんさつぶいそがしさであった。活字かつじ不完全ふかんぜん機械きかい粗末そまつ場所ばしょ薄暗うすぐら屋根裏やねうらの一しつ、そしてたッた三にんばかりの素人しろうと少年しょうねんで、かくも、月刊げっかん雑誌ざっし印刷いんさつしようというのだから、その苦労くろうはたるのもなみだたねであった。四方よも平蔵へいぞうさんの総領そうりょくまさんが、そのころ十七八で、工場長こうばちょうというかくほたるのような炭火すみびあたためながら、古毛布ふるもうふなどをこしきつけて、屡次しばしば夜半よなかまで夜業やぎょうをつづける。これたすけるのが湯浅ゆあさ秋岡あきおかりょう役員やくいん子供こどもさんで、ともに十五六にしかなってぬ。活字かつじひろう、む、る、かえす。それがむと製本せいほんまでもそのでやる。大正たいしょうねんころの「神霊界しんれいかい」は、実にかかる少年しょうねん献身的けんしんてき苦労くろう出来できあがったのだ。事情じじょうれば、印刷いんさつまずいの、体裁ていさいうのとわれた義理ぎりではない。じつほねけずり、らしてのとうと仕事しごとであったのだ。

ぜんみちひらけるのは苦労くろうながいぞよ』

御神諭ごしんゆにおしめしになってあるが、大本おおもと神諭しんゆ天下てんかひろめられた裏面りめんには、うしたながなが苦労くろうともなうてるのだった。

 現在げんざい大本おおもと印刷部いんさつぶは、そのころくらぶれば全然ぜんぜん面目めんもくを一しんするところまですすんだが、ただ残念ざんねんことには、印刷部いんさつぶ創立そうりつ時代じだい模範もはん少年しょうねんたるくまさんは、今年ことし初夏しょか国替くにがえしてしまった。これにつきまとえる身魂しんこん因縁いんねんがあるらしいが、自分じぶんたちにしても、くまさんをわずらわしたことがおおだけそれだけ痛惜つうせきえられない。なににしても、大本おおもと苦労くろうかたまりで、からうじてうめはな仕組しくみであるらしい。八時間じかん労働ろうどうだの、賃金ちんぎん増額ぞうがくだの、怠業たいぎょうだの、罷業ひぎょうだのとさわいで現代げんだいに、全然ぜんぜんその反対はんたい大本おおもと遣口やりくちたいしては、世間せけんひともそろそろさましてよかりそうだ。


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