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〔一〕 綾部の冬籠

(九)


 飯森いいもりさんのことをいた以上いじょうは、什麼どうしても宮飼みやがいけいろうくんこといてかねばならぬ破目はめになってた。

 このひと大阪おおさか新聞しんぶん記者きしゃ生活せいかつをやって青年せいねんだが、大正たいしょうねんはる飯森いいもりさんの紹介しょうかい大本おおもとはいり、当時とうじ機関きかん雑誌ざっし敷島しきしま新報しんぽう」の編輯へんしう従事じゅうじした。自分じぶんなつ参籠さんろうさいに、はじめてこのひとった。

随分ずいぶんみょうおとこ大本おおもとる』

 とおもったくらいかわりものだ。大変たいへんどもりで、半分はんぶん以上いじょうその談話だんわきとれない。そのくせ間断かんだんなくくちなかでブツブツ独語ひとりごとってる。どんな閲歴えつれきくわしいことらぬが、数年すうねん以前いぜんなに精神せいしんじょう煩悶はんもんめに、二までモルヒネをんでそこねたことは、「敷島しきしま新報しんぽう誌上しじょうに「せい執著しゅうちゃく」とだいして宮飼みやがいくん自身じしんいておるから間違まちがいはあるまい。

 一けんしただい印象いんしょうでは、宮飼みやがいくんあま快感かいかんあたえる人柄ひとがらとはわれない。だれても、このひとにはなに憑依物つきものがあるなとおもわれる風釆ふうさいである。つねにニコニコしてるが、何処どこともれず、人間にんげんらしからぬ一しゅ妖氛ようぶん放散ほうさんする。

 が、だんだんしたしんでると、あいすべきてん発見はっけんする、上面うわべにはイヤなくせかびとが附著ふちゃくしてるが、そこほう案外あんがい正直しょうじきむし馬鹿ばか正直しょうじきおもわれる個所かしょがある。しそれ、その文筆ぶんぴついたりては、却々なかなかえたうでってて、立派りっぱ素人しろうとばなれがしてた。こんなひとが、什麼どうしてこんなうまいものをくだろうとおもわれるほどであった。

 年末ねんまつ引越ひっこしてると、宮飼みやがいくん依然いぜんとして尾羽おは打枯うちからして大本おおもとくすぶってた。自分じぶんはそのまま「神霊界しんれいかい」の編輯へんしう主任しゅにん宮飼みやがいくんたのんだ。くちおそいがふではやい。校正こうせい発送はっそうかみ買入かいいれ、工場こうじょう監督かんとくとう一人ひとり却々なかなかよくはたらいてくれた。文章ぶんしょういて雑誌ざっしせたのも余程よほどある。「神霊界しんれいかい創立そうりつ時代じだいはたらとして、わすれてはならぬ人物じんぶつである。

 始終しじゅう自分じぶん並松なみまつきょにも出入しゅつにゅうした。見懸みかけによらず、あれで却々なかなかめかしで、大阪おおさかへでも出掛でかけるだんになると、よく自分じぶん洋服ようふくなどをった。このひとが一にち何回なんかいとなく衣服いふくかえるのは大本おおもと部内ぶない有名ゆうめいなものだった。大阪おおさか食道楽しょくどうらく京都きょうと著道楽きどうらくなどというが、宮飼みやがいくん大阪おおさかじんくせ道楽どうらくだけ京都きょうとしきであったらしい。

 大本おおもと内部ないぶ起臥きがしてたくせに、信仰しんこうしんはさッぱりかった。最初さいしょあいだ多少たしょうもとめるはあったようだが、ドウも大本おおもと信仰しんこうはいるには、あまりに生命せいめいたいして棄鉢すてばちで、そしてあさ小理窟こりくつぎてた、自己じこ生命せいめい大切たいせつおもえぬくらいひとだから、根本こんぽんおい信仰しんこうがかりがない。宮飼みやがいくん人生観じんせいかんというのはうだった。

ひとうえ各人かくじんみなちがうが、平均へいきんして快楽かいらくりょう苦痛くつうりょうよりおおひとと、反対はんたいに、苦痛くつうりょう快楽かいらくりょうよりおおひととに大別たいべつる。前者ぜんしゃぞくするものは、きてことをするも結構けっこうだが、後者こうしゃぞくするものは、んだほう合理的ごうりてきだ。自分じぶんなどは公平こうへいかんがえて後者こうしゃぞくする』

 と。んなひとたいしては国祖こくそ御神諭ごしんゆとうと教訓きょうくんも、さッぱりのある道理どうりがない。他人たにん御神諭ごしんゆみて改心かいしんし、安寧あんねい幸福こうふく享有きょうゆうするもよかろうが、自分じぶんなどは到底とうてい駄目だめだと最初さいしょから棄権きけんして、がんとして腹帯はらおびめてるのだから、如何いかんともようがない。

大本おおもと神諭しんゆなどはつまらん』

 と宮飼みやがいくんはよくったが、それは棄鉢すてばち自分じぶん自身じしんたいしてつまらんということで、一ぱん人士じんしたいしての言説げんせつではないらしかった。

 不思議ふしぎなことには、宮飼みやがいくんは、よく自分じぶん鎮魂ちんこんをしてくれとせまった。やってると、ただ一かい鎮魂ちんこんさかんに発動はつどうした。そしてさかんに言葉ことばる。ガタガタ大震動だいしんどうをやる。最後さいごには、たたみうえにゴロリとッくりかえる。その憑依物つきものなんであるかは、しばらくおあずかりとして、神懸かみがかりでうたつくったり、予言よげんをやったり、また飯森いいもりさんの行動こうどうについて、警告けいこくめいたることをべたりした。そのくせ宮飼みやがいくん無神むしん無霊魂むれいこん主張しゅちょうする。宮飼みやがいくんわせると、神懸かみがか現象げんしょうことごと生理的せいりてきだそうな。天下てんか無神むしん論者ろんじゃ無霊魂むれいこん論者ろんじゃ沢山たくさんあるが、宮飼みやがいくんのように簡単かんたん明瞭めいりょうやッつけて平然へいぜんたる論者ろんじゃも、けだすくなかろう。自分じぶんなどの微力びりょくでは、到底とうていかかるごうものまえには、あたまをさげるよりほかなんともいたかたがない。

 宮飼みやがいくんは、たしか、大正たいしょうねんあきまで大本おおもとたが、元来がんらいみずあぶらとをぜたようなもので、やがて分離ぶんりするのは当然とうぜんである。ある事情じじょう――それだけうまい――で、宮飼みやがいくん綾部あやべからとおざかった。その東京とうきょうって、『スコブル』という雑誌ざっしふでり、近頃ちかごろまた大阪おおさかの○○○○新聞しんぶん社員しゃいんになってる。さすがにふで文士ぶんしだけあって、足掛あしかけねん綾部あやべ生活せいかつ無駄むだにはせず、ちょいちょい大本おおもとことについて宮飼みやがいりゅう観察かんさつくだし、新聞しんぶんにもす、雑誌ざっしにもせる、ことによると書物しょもつにでもする権幕けんまくらしい。それもよかろう。みずあぶら永久えいきゅうまじらない、はさまざまで、正神せいしんもあれば邪神じゃしんもあり、眼明めあきもあれど盲目めくらもある。うせ百夜行やこう過渡かど時代じだいだ。足元あしもとあかるいうちに、せいぜい発動はつどうすることだ。

 世人せじんはややもすれば、現在げんざい綾部あやべを一の理想郷りそうきょうぐらいかんがえる。おおきな取違とりちがいだ。神諭しんゆにもあるとお大本おおもと世界せかいかがみで、世界せかいこと大本おおもとうつり、大本おおもとことはまた世界せかいうつる。ぜんかがみあくかがみも、なになりととおそろえてあるのが、大本おおもとのデパートメント、ストーアであるとおもえば大過たいくわはなかろう。宮飼みやがいくんについてはこのくらいふでをとどめてく。


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