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〔一〕 綾部の冬籠

(八)


 綾部あやべ引越ひっこ早々そうそう秋山あきやまさんの来訪らいほうから海軍かいぐん士官しかん大挙たいきょ参綾さんりょうとなり、そのドサクサまぎれに、方面ほうめん人々ひとびと少々しょうしょうかげうすかたちになってしまったが、じつ綾部あやべ生活せいかつ初期しょきおい自分じぶんとして書落かきおとしてはならぬ人々ひとびとすこしはある。わすれぬさき一寸ちょっといてかねばなるまい。

 自分じぶん綾部あやべとの連絡者れんらくしゃとして、わすれてならぬのは飯森いいもり機関きかん中佐ちゅうさである。自分じぶんはこのひとつうじてはじめて大本おおもとり、そして最初さいしょやくはん年間ねんかんは、このひととして幾多いくた疑団ぎだんくことが出来できた。何所どこまでも、飯森いいもりさんは自分じぶんにとりてみち恩人おんじんであり、おしえ先輩せんぱいである。このひとなかりせば自分じぶんなどは今頃いまごろになって海軍かいぐんぞくみ、そして下拙へた謡曲うたいでもうなったり、横好よこずきの小説しょうせつでもいたりして、無意義むいぎ月日つきひおくってたかもれぬ。

 けれども、みちしるべの恩義おんぎ恩義おんぎで、信仰しんこうたいする態度たいどいたりては、全然ぜんぜん別問題べつもんだいとして取扱とりあつかわねばならぬ。あくまでもあくまでもけっして二しゃ混淆こんこうすることはゆるさるべきではない。

 露骨ろこつうと、自分じぶん飯森いいもりさんの信仰しんこうりなくおもしたのは、大正たいしょうねんの六がつ同君どうくん横須賀よこすか再訪さいほう時分じぶんからで、そのかん同年どうねんがつ綾部あやべ参籠さんろうちゅうに一そう濃厚のうこうとなり、十二がつ綾部あやべ引越ひっこしてから、さらに一そう濃厚のうこうとなった。私情しじょう私交しこううえからは、これほど心苦こころぐるしいことはないが、おもってけのことはここってしまって、一ぽう飯森いいもりさんのおしえをうと同時どうじに、他方たほうおいては天下てんか信仰しんこう人々ひとびと参考さんこうにもきょうしたいとおもう。

 自分じぶんからると、飯森いいもりさんの大本おおもと信仰しんこう態度たいどには幾多いくた矛盾むじゅんがある。飯森いいもりさんはくちには大本おおもと神諭しんゆ尊重そんちようする。また実際じっさいその部分ぶぶん部分ぶぶん信仰しんこうすることはたしかである。しかし、平然へいぜんとしてそのうち何箇所なんかしょかを無視むししてかえりみない。神諭しんゆなかには、あきらかに教祖きょうそ霊格れいかく指示しじしてあると同時どうじに二だい澄子すみこ刀自とじ教主輔きょうしゅほ出口でぐち先生せんせい霊格れいかくをも指示しじしてある。しかし、飯森いいもりさんはドウも出口でぐち先生せんせいその二三のひとしんぜぬらしい。神諭しんゆなかには、人間にんげんまた動物どうぶつ霊魂れいこんについて屡次しばしば言及げんきゅうされ、かつそれ霊魂れいこんげんとして個性こせいそなえたる客観的きゃっかんてき実在じつざいであることを明記めいきしてある。しかし飯森いいもりさんはそうはかんがえてらぬらしい。神諭しんゆなかには、霊学れいがく天授てんじゅ神法しんぽうであり、大本おおもとおしえひらくには祖諭そゆ霊学れいがくにせよとおしえてある。けれども飯森いいもりさんは霊学れいがく排斥はいせきして、催眠術さいみんじゅつの一しゅであるなどといたがる。神諭しんゆなかには、あきらかに立替たてかえ立直たてなおしが幽界ゆうかいとも現界げんかいにもおよところの一だい事実じじつであるとおしえてあり、実際じっさいまた神諭しんゆ警告けいこくされてとおりのことが、明治めいじ二十五ねん以来いらい着々ちゃくちゃくとして現世界げんせかい表面ひょうめん出現しゅつげんしつつある。しかし飯森いいもりさんは、神諭しんゆ立替たてかえ立直たてなおしはたん精神界せいしんかいだけことで、現界げんかいとはぼつ交渉こうしょうだなどといいたがる。かぞつればまだまだ沢山たくさんある。自分じぶん什麼どうしても、飯森いいもりさんを条件じょうけんつき大本おおもと信者しんじゃとしかおもえなくなった。大本おおもと神諭しんゆ絶対ぜったい排斥はいせき論者ろんじゃくらぶれば、五も十すすんでることはたしかだが、ようするに、其様そんことなら大本教おおもときょう信者しんじゃたることをやめて、自身じしん飯森いいもりきょう教祖きょうそになるよりほかみちはないではあるまいか。で、自分じぶん幾度いくたび飯森いいもりさんにむかって苦言くげんていしたのであるが、不幸ふこうにして自分じぶん主張しゅちょう誤謬ごびょうがあるのか、それとも、自分じぶん同君どうくんみちびだけ誠意せいい力量りきりょうとがなかったか、飯森いいもりさんは次第しだい次第しだい自分じぶんとおざかり、また大本おおもととおざかった。

 自分じぶん綾部あやべ引越ひっこしたころ飯森いいもりさんはきょを「新建しんたち」にかまえてた。で、雑誌ざっし神霊界しんれいかい」を刊行かんこうするにつけては、自分じぶん内心ないしんおおい飯森いいもりさんの援助えんじょ期待きたいしてたところが、ドウも飯森いいもりさんは引籠ひきこもちで、いかにすすめても一ふでらなかった。海軍かいぐん士官しかん雲集うんしゅうするにあたりても、飯森いいもりさんはおおくはわれ不関かんせずえん態度たいどり、一こう教理きょうり説明せつめい紹介しょうかいとうにはほねってくれなかった。またなんおもったか一がつなかばゆきの三じゃくつもって最中さいちゅう同君どうくん大本おおもと本宮ほんぐう山頂さんちょう破屋あばらや引移ひきうつり、極端きょくたん超然ちょうぜん主義しゅぎ発揮はっきしようとした。が、その期間きかんみじかく、まもなく郷里きょうりのおかあさんがくなると同時どうじに、そのまま能登のとかえり、大本おおもとにはふたた姿すがたせなかった。飯森いいもりさんのその動静どうせいは、あまくわしいことらぬが、一二ねんのち能登のとから東京とうきょうで、東京とうきょうから地方ちほうにもうつり、近頃ちかごろ京都きょうとへんきょかまえてられるらしい。一二綾部あやべにもかおされたが、自分じぶん落著おちついてはなしをしてひまがなかったので、最近さいきん信仰しんこうもととおりか、それともすこしはちがってたか、さッぱりわからない。しかしあま綾部あやべりつかぬところると、依然いぜんとして大本おおもと神諭しんゆ部分的ぶぶんてき信仰しんこうしゃ唯我ゆいが独尊どくそん飯森いいもりきょう創立者そうりつしゃではなかろうかとおもわれる。自分じぶんとしては、このひとにして什麼どうしてかくまよえるかと、衷心ちゅうしんからどくであり、また残念ざんねんであるが、飯森いいもりさんから自分じぶんると、大本おおもと神諭しんゆ盲従者もうじゅうしゃ向不見むこうみず猛進家もうしんか精神的せいしんてき王国おうこく建設けんせつ満足まんぞくすることをらずして、現界げんかい改造かいぞうなどにむかってくだらぬ努力どりょくはら没曉漢わからずやんでもないもの大本おおもと紹介しょうかいしたものだと、今頃いまごろ後悔こうかいしてるかもれぬ。飯森いいもりさんのことは、一ぱん読者どくしゃにはいささかえんうすい、興味きょうみなきはなしかもれぬが、大本おおもと沿革えんかくおよ自分じぶん閲歴えつれきうえには、肝要かんようことであるから、ふでついでに一かいぶんだけ余白よはくをかりていてく。


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