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〔一〕 綾部の冬籠

(六)


 秋山あきやまさんがモひとってられた霊的れいてき体験たいけんは、これよりも一そう重要じゅうようなもので、しん日本にほん国民こくみんならば、何人なんびともすすんでかんとほっするところのものであった。ほかでもない、それはれい日本海にほんかい々戦かいせん当時とうじ出来事できごとであった。

皇国こうこく興廃こうはいこのせんり』と東郷とうごう大将たいしょう戦報せんほうにもあったとおり、日露にちろ戦争中せんそうちゅうなにだい事件じけんというてもこのせんほど大事だいじなるものはなかった。万々まんまん日本にほん艦隊かんたいやぶれたとすれば、それは日本にほん滅亡めつぼう意味いみする。もしこれいっして浦塩ウラジオ入港にゅうこうせしめたとしても、日本にほん最大さいだい危機きき意味いみする。よし相当そうとう勝利しょうりめても、の一浦塩ウラジオまでまれては、矢張やは勝手かってわるいことおびただしい。日本にほん艦隊かんたいとてしは什麼どうしてもこれ遭遇そうぐうし、そしてこれ撃滅げきめつせねばならぬ大任務だいにんむびてた。

 されば日本にほん艦隊かんたいこのとき用意ようい覚悟かくごとはじつ想像そうぞうほかにあった。根拠地こんきょち鎮海湾ちんかいわんいててき接近せっきんいまおそしとながらも、さてその心痛しんつう苦慮くりょ! てきはたして対馬つしま海峡かいきょうにやってるだろうか。くれれば有難ありがたいが、万々まんまん太平洋たいへいよう迂廻うかいし、津軽つがる海峡かいきょう宗谷そうや海峡かいきょう通過つうかして、浦塩ウラジオはいられては大変たいへんだ。いうまでもなく味方みかたはあらゆる手段しゅだんつくしてその情報じょうほうるにつとめてはるが、かみならぬには絶対ぜったい確報かくほうられない。前年ぜんねん浦塩ウラジオ艦隊かんたい場合ばあいおもむきあい類似るいじして、かも軽重けいちょう雲泥うんでい相違そういがあった。五がつ廿日はつかぎてからは心身しんしん緊張きんちょうが一そう極点きょくてんたっした。旗艦きかんかさには幾度いくたび全艦ぜんかん首脳部しゅのうぶあつまりて密議みつぎらされた。はやいものは、いかりげて鎮海ちんかいで、浦塩ウラジオ前面ぜんめんけようかとの意見いけん提出ていしゅつしたものもあったようだ。

 このとき秋山あきやま参謀さんぼう責任せきにんやまよりもおもかった。官職かんしょくこそ一中佐ちゅうさであれ、じつぜん連合れんごう艦隊かんたい首脳しゅのうちゅう首脳しゅのう精髄ぜいずいであった。幾日いくにちかにわたりて、のみのままゴロをするだけまこと寝食しんしょくわすれて懸命けんめい画策かくさく考慮こうりょふけってた。

わすれもせぬ五がつ二十四夜中よなかでした』

 と秋山あきやまさんは当時とうじ追懐ついかいしつつはなしをつづけた。

あまつかれたものだから、わたし士官しかんしつって、安楽あんらく椅子いす身体からだげた。ひとみなしまって士官しかんしつわたし一人ひとりだけでした。をつぶってかんがんでうちに、ツイうとうととしたかとおもうた瞬間しゅんかんに、れいなかいろかわってた。そして対馬つしま海峡かいきょう全景ぜんけい前面ぜんめん展開てんかいして、バルチック艦隊かんたいが二れつつくり、ノコノコやってるのが分明ぶんめいえるのです。めたとおもうと、はッと正気しょうきかえってしまった。浦塩ウラジオ艦隊かんたい時分じぶん霊夢れいむには多少たしょう魔誤まごつきましたが、今度こんどは二ですからただちかみ啓示けいじだとかんじました。モウこれで大丈夫だいじょうぶだ、バルチック艦隊かんたいたしかに二れつつくって対馬つしま水道すいどうにやってる。それに対抗たいこうする方策ほうさくだい一にはう、だい二にはあと、れいわたしの七だんそなえ計画けいかく出来できあがりました。それから二十七にちまで随分ずいぶんどおしくてたまらなかったですが、はらそこ確信かくしんがついてましたから、割合わりあいらくでした。いよいよ二十七にち夜明よあけとなって、御承知ごしょうちとおり、信濃丸しなのまるからの無線むせん電信でんしん敵艦てきかん接近せっきんわかり、とうとう会戦かいせんという段取だんどりになったのですが、おどろいたことにはてき艦形かんけいが三まえゆめせられたのと寸分すんぶん相違そういもありませんでした。一とそれとときには、わたしうれしいやら、不思議ふしぎやら、有難ありがたいやら、じつなんともえぬ気持きもちでしたよ……』

 日本海にほんかい々戦かいせん檜舞台ひのきぶたい花形はながた役者やくしゃからはじめての打明うちあばなしくのであるから、じつ面白おもしろかった。つくらず、かざらず、勿体もったいもつけず、海軍かいぐんりゅう淡白たんぱくな、洒落しゃらく態度たいど口調くちょうで、物語ものがたってくれるのがなによりうれしかった。

 秋山あきやまさんはそのときんなことをってた。

かくわたしには日露にちろ戦役せんえきちゅうに二かいまでんなことがありましたので、いざ戦報せんぱうこうとしてふでったときには、自然しぜん天祐てんゆう神助しんじょとによりてと、さぬわけかなかったです。実際じっさいそうしんじてたので、けっしておまけでも形容けいようでもありません』

 秋山あきやまさんはつぎのようなことった。

『ドウも東郷とうごう大将たいしょうにも、たしかに一しゅ霊覚れいかくがあったとわたししんじてます。寡黙かもくなるかたですから、御自分ごじぶんではあるともいともっしゃられたことはなかったですが、そうしんずべき理由りゆうがあったです。旅順りょじゅん封鎖ふうさしてときのことでしたよ。てき艦隊かんたい夜間やかんこっそり、その錨地びょうちおくほううつしたことがありました。前日ぜんじつまでおきからえてたのに、何処どこにもてきかげらしいものが、突然とつぜんなくなったのですからおどろきました。こりャ封鎖ふうさやぶって脱出だっしゅつしたのではあるまいかと、わたしなども大変たいへんあわてましたところ東郷とうごう大将たいしょうは、てきうちると、ただ一ごん断言だんげんされたきり、平然へいぜんとして相手あいてにされなかった。段々だんだんさがした結果けっか内港ないこうにすッんでることがきとめられましたが、彼様あんとき大将たいしょう超越ちょうえつした態度たいどは、ただで出来できるものではありません。たしか霊覚れいかくなにかがあったとしかおもわれません』

 自分じぶん多大ただい興味きょうみもっ秋山あきやまさんのはなしをきいた。

矢張やは日本にほん神国しんこくだ。豈夫まさかときにはかなら神様かみさまかげから御守護ごしゅごあたえてくださる。有難ありがたいものだ』と、いまさらしみじみとこころ丈夫じょうぶかんぜぬわけにはかなかった。

 日本海にほんかい々戦かいせんける天祐てんゆう神助しんじょは、大本おおもと信者しんじゃには一そう感興かんきょうふかい。なんとなれば大本おおもと教祖きょうそ沓島めしま出修しゅっしゅうして、十ゆうじつあいだ戦勝せんしょう祈願きがんをこめられ、その結果けっかもと活神いきがみ御出動ごしゅつどうとなられたことを知悉ちしつしてるからである。


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