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〔一〕 綾部の冬籠

(二)


 いまでも雑誌ざっし神霊界しんれいかい」は皇道こうどう大本おおもとじゅん機関きかん雑誌ざっしとして続刊ぞくかんされてる。そして今後こんごもまだまだ続刊ぞくかんさるることしんずるが、その創立そうりつ次第しだいは、ざっとうえぶるがごときものであった。

 大正たいしょうねんから今年ことしいたるまでまさに四箇年かねん、このあいだ世界せかい大勢たいせいちがってるが、皇道こうどう大本おおもと内部ないぶちがってる。「神霊界しんれいかい」だけがもととおりでかわらぬというわけにはかぬ。自分じぶんほとん独力どくりょくでその経営けいえいあたったというのは最初さいしょやくねんらずであった。そののちやく半歳はんとしぐらい内容ないよう体裁ていさい編輯者へんしゅうしゃ変遷へんせん今日こんにちおよんでる。

神霊界しんれいかい発行はっこう眼目がんもくは、いかにして世人せじんをして大本おおもと神諭しんゆしたしますべきかにあった。日本にほんじんとしての最大さいだい急務きゅうむなによりも神諭しんゆ熟読じゅくどくすることであると自分じぶん最初さいしょから確信かくしんした。神諭しんゆさえ熟読じゅくどくすれば、その結果けっか日本にほんおよ日本にほんじん使命しめいわかり、過去かこ現在げんざい未来みらいわたりての世界せかい大勢たいせいわかり、かみひととの関係かんけいわかり、人生じんせい意義いぎわかる。最後さいごうしても在来ざいらい邪念じゃねん妄想もうそう打棄うちすてて、一専念せんねん君国くんこくめ、また正義せいぎ人道じんどうめに献身けんしん犠牲ぎせい真生涯しんしょうがい突入とつにゅうすることとなる。

 いかにせん、大本おおもと神諭しんゆ現代げんだいじんとのあいだには多大ただい距離きょりがありぎた。だい一に現代げんだい人士じんし浅薄せんぱくなる物質ぶっしつ論者ろんじゃ言説げんせつにかぶれて霊魂れいこん存在そんざい否定ひていし、ましてもと活神かつじん存在そんざいいたりてはわけわからず一しょうしたがる。すで無神むしん論者ろんじゃ霊魂れいこん論者ろんじゃである以上いじょうは、あたまから大本おおもと神諭しんゆ莫迦ばかにしてりかかるのは当然とうぜんである。無学むがくなる出口でぐち直子なおこ刀自とじげん肉体にくたいみとむるのみにて、これ憑依ひょういせる国祖こくそ神霊しんれいみとない。んだうえわからぬというのならまだいが、まずにわからんのだから始末しまつにいけない。つぎ現代げんだい人士じんしは、一ぽうおい非常ひじょう高慢こうまん不遜ふそん態度たいどると同時どうじに、他方たほうおい極端きょくたん卑屈ひくつ盲従もうじゅう習癖しゅうへきおちいってる。大本おおもと神諭しんゆ文字もじ用語ようご通俗つうぞくにして野趣やしゅ満々まんまんたるは、識者しきしゃよろこてんであるのだが、少許すこし学問がくもんはなにつく連中れんちゅうかえってこれ軽蔑けいべつする。そのくせ横文字よこもじいてでもあると、西洋せいよう人達ひとたちとなえる異端いたん邪説じゃせつをも三ぱいぱいして鵜呑うのみにする。その心理しんり状態じょうたいはとても想像そうぞうおよかぎりでない。つぎ現代げんだい人士じんしあまりに物慾ぶつよくにかぶれ、目前もくぜん小利しょうり小害しょうがいとらわれぎて、そのぐらしがきである。したがって一明白めいはく霊主れいしゅ体従たいじゅう目標もくひょう指示しじするところの大本おおもと神諭しんゆあまりにたかく、あまりにきよくて、とても実行じっこう出来できない相談そうだんぐらいかんがえる。つぎ現代げんだい人士じんし神経しんけいあまりに複雑ふくざつなる事業じぎょうと、強烈きょうれつなる刺激しげきとに銷磨しょうまつくされ、したがって紆余曲折うよきょくせつきわめ、一けんくもつかむがごとなぞ沢山たくさん神諭しんゆ心静こころしずかに翫味がんみしてるだけの余裕よゆうがない。

 んな次第しだいであるから、大本おおもと神諭しんゆ原文げんぶんとおり、仮名かなのままで世間せけん提出ていしゅつしてたところが、到底とうてい天下てんか視聴しちょううごかすことは出来できない。什麼どうかしてこれませる方法ほうほうはあるまいかというのが出口でぐち先生せんせい多年たねん苦心くしん焦慮しょうりょたねであり、また自分じぶんとても同様どうようこころなやめた。鎮魂ちんこん帰神きじん神法しんぽう公開こうかいして神霊しんれい実在じつざい体験たいけんせしむべくつとめたのもこれめ、また言霊げんれい活用かつようもっ本邦ほんぽう古典こてん真意義しんいぎ解明かいめいすべくつとめたのもこれめ、雑誌ざっし神霊界しんれいかい」の刊行かんこうまたこれめにほかならなかった。自分じぶんもとよりかろうじて霊学れいがくの一たんかじっただけ今日こんにちとてもけっして大家たいか気取きどり、ったかぶりをするのでもんでもない。いわんや大正たいしょうねんねんころ自分じぶんは、今日こんにちよりもはるか実験じっけんとぼしく、材料ざいりょうすくなく、説明せつめい下拙へたであったが、二千ねんわたりて顕幽けんゆう交通こうつうみち杜絶とだえた結果けっかは、当時とうじ自分じぶんだけ知識ちしきったものすら哲学てつがくかいにも宗教しゅうきょうかいにも、何所どこにもただの一人ひとり見当みあたらなかった。理窟りくつうまならべる、受売うけうりは巧妙こうみょうだ。書物しょもつうえ知識ちしきにかけて、到底とうてい自分じぶんなどが脚下あしもとにもおよばぬひと沢山たくさんあった。ただきたるかみそのもの、個性こせいそなえたる霊魂れいこんそのものとの直接ちょくせつ交渉こうしょう開始かいししてるものがかった。その必然ひっぜん結果けっかとして、ところくところが兎角とかく主観的しゅかんてき抽象的ちゅうしょうてき茫漠ぼうばくたるをまぬがれない。就中なかんずくその実行じっこうりょくがさっぱりい。くちこころおこないとがまるきり一しない。くち神力しんりょく偉大いだいきながら、感冒かぜ一ついてもモウ医者いしゃくすりとを神仏しんぶつ以上いじょうしんずるという陋態ろうたいえんずる。不敏ふびんながら自分じぶんにはそれだけはなくなってた。てき不適ふてきにかかわらず自分じぶんでもしょうあたるよりほかに、ひとがあるまいではないか。

 誌上しじょうには神諭しんゆ原文げんぶん掲載けいさいされた。やすいように仮名かな漢字かんじ当篏あてはめたのと、重複じゅうふく箇所かしょはぶかれたのとよりほかに、一修正しゅうせいほどこされてないことは、真筆しんぴつみくらべたものの熟知じゅくちするところである。世間せけんには神諭しんゆ偽作ぎさくなどと途方とほうもないこと吹聴ふいちょうするものもあるようだが、めにするところある悪霊あくれい囈語たわごとで、何等なんらるにはりない。そんなものは社会しゃかい人生じんせいのバチルスと心得こころえ警戒けいかいして感染かんせんせぬことだ。神諭しんゆ以外いがいしゅとして自分じぶんいた。神界しんかい組織そしき神人しんじん関係かんけいその霊学れいがくかんすること記述きじゅつしたのであるが、まるきり門外漢もんがいかんなのでなんいていかつねこまった。が一しん不乱ふらん鎮魂ちんこんして、それからふでると奇妙きみょうにスラスラとおろすことが出来できた。自分じぶん自分じぶんいたものをんでて、はじめて成程なるほど発明はつめいする場合ばあいすくなくなかった。実際じっさいところ白状はくじょうすると、自分じぶん大本おおもと入信にゅうしん以来いらい神諭しんゆ以外いがい書物しょもつほとんど一さつまない。間違まちがってようがまいが、自分じぶん言説げんせつ全部ぜんぶ自分じぶん自身じしん内部ないぶからいたものだ。


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