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冬籠
読者の為に(前篇「出廬」のあらましの事ども)
霊を見、霊を信ずるに到る迄の彼の生活には、少青年、中年時代を通じて、何等の疑惑も煩悶も伴うことがなかった。小学生が中学生となり、大学生となり、一人前の人間となって世に出で、夫となり父となり、其間幾冊かの書籍の著者ともなり、偖ては海軍機関学校の教官となって十有七年というものを、申さば無為にして暮して来たと云うに過ぎない。不図した因縁が結ばれて、彼が大本の教を聴き、神の綱を懸けられて、御筆先の研究者となり、綾部行となる迄の、彼の心的変化の如何に奇しく惨ましく、且つまた如何に潔かったか。物質文明の真唯中に、夢の如き生活に慣らされた彼が、兀然として霊に目覚めて、現世の外の無辺の世界を更に見出した時、彼の霊は一度は戦き一度は怖れもしたであろう。そして振返ってまじまじと自己を瞶めて、歴々と泛び来る彼の過去、現在の生活の無意義に想到っては、掻挘りたき歯がゆさと口惜しさとは、犇々と彼の心に迫って、我と呪わしさを感ぜずにはいられなかった。次の瞬間には彼は驀然として生活更新の叫を挙げた。彼は物質の世界を脱却して、精神の世界へと志した。彼が心の岩戸開きが出来て、綾部の冬籠を了える迄の幾ヶ月間、彼は脇目も振らず、ひたすら神の道へと突き進んだ。修業が積むにつれて、日一日と新しい彼の世界は開けて来た。霞を隔てて遥かに眺められた神霊の世界に来て、今は親しく天地大神の教に接し、御姿を目のあたりにすることも出来たのである。彼の歓喜! 彼の湧躍! そして『奈落の底に向って沈みつつある世界の人類を救済すべく微力の限りを尽くさん』との彼が不退転の意気、犠牲的決心は斯くして贏ち得られたのであった。
大正四年の春から秋にかけては、彼が大本入信の予備的経験の時代ともいうべきで、其年の冬から翌五年の春にかけては、科学万能で固められた彼の学問の根柢に、大分ぐらつきを生じた懐疑の時代である。彼の遭遇した家庭の一少些事に対してさえ、聊か其蘊蓄を誇った彼の知識も学問も、何等の権威を発揮し得なかったことは、彼に取りては少からぬ皮肉であり、矛盾であり、不安でもあった。彼の飽くなき知識慾は、どうして此侭で済まされようか、現代の科学、心理、哲学――其他凡ゆる現代文明に対する信仰を裏切られ侮辱されたような彼の意識は、到底波立たずにはいられなかった、彼は現象を去って其本体を極むることなしに、霊妙不思議とのみ感歎することは出来なかった。『縞の羽織に小倉の袴、肩にはズック製の学生鞄』をかけた異様の風采をした一旧知に逢って、丹波綾部の名を彼が初めて耳にしたのは、丁度この時分である。
凡ては神のなさることである。因縁の身魂を引寄せらるる神の綱に懸っていようとは、其頃どうして彼の想像だもなし得る所であったろう。
丹波の綾部! 大本教! 明治二十五年! 出口直子! 御筆先! 彼に取りては事一つとして、驚心駭目に値しないものはなかった。彼の興味と研究心とは、極度に緊張し、極度に引つけられた。彼は久しからずして霊を見、霊を感じ、霊を信ずるの外なきこととなった。即ち大正五年の春、夏、秋にかけて、彼はあらん限りの精根を傾けて御神諭を読み耽り、修業を続け、霊的経験を重ねて、漸く其心眼を開き、身魂を洗い、豁然として天地惟神の大道を濶歩することが出来るようになったのである。其年十二月十日! ああ然り、愈々彼が横須賀の旧廬を出でて、綾部の神域に一家を挙げて出立したのは、実に大正五年も暮に迫った十二月十日のことであった。
其日は雲低く垂れ、初冬の冷たい空気に町も港も蔽われて、旅立つ人にも見送る者にも、感傷的気分を与えるに十分であった。名残を惜んで見送る女達の眼には、折柄降り出した雨に濡れてか、露が宿った。世捨人にでもなる為めの丹波行とのみ思詰めている彼女達の心根は、やさしく憫れにもあり、可笑しくもあった。これからこそ、意義ある真剣の働きをするつもりでいる彼に取りては、別離の情はさることながら、なかなか気欝く心を曇らする等の気はしなかった。朝早く彼は産土神へのお別れと御礼を言上したそれを以て、最早横須賀には凡ての別離を叙したつもりでいた。
けれども彼も人である。神業に従事するだけ、彼の情感は饒かである。流石に汽車が動き出した時に『口には言えぬ又筆にも書きつくせぬ千万無量の感慨』は彼の胸臆を圧して、私知らず車窓に頭を廻らして、雨に霞める四辺の風光を飽かず振返り見るのであった……。
本書の前篇「出廬」は彼が大本入信に到る径路を如実に描いた赤裸々の告白録で、つまり彼が綾部生活の序幕の物語である。本書は直に其後を受けて、大本人の真実味ある生活の発表といって可い。「彼」とは申すまでもなく淺野憑虚氏のことである。
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