心霊図書館 心霊小品集綾部を去る

心霊小品集

綾部を去る

 私が綾部を去るにのぞみ、しみじみと身にしみて感銘して居ることは、人間は少しでも無理のある仕事には、決してたずさわってはならぬということです。御承知のとおり、単に綾部の大本教に限らず、すべての教会、すべての寺院等は、道を求めて、これに集まる一切の衆生に対し、全然門戸を開放してあります。ですから、先天的に余程の包容性、余程の人類愛に燃ゆるものでなければ、とても満足にその任務を果すことはきる筈がありません。私などは性情から云っても、又修養から申しても、ほとんどその資格がない。私の手に合う仕事と云えば、ただ曲りなりにも実地の体験を骨子として、理智的、推理的に、霊魂の存在でも証明して、信仰の基礎工事を施す位のところです。とても一種の信仰生活の中にはまって、満足して居られる柄でありません。してその指導役などが、ドーして勤まりましょう。

 イヤそれにしても、綾部の大本教ほど手古摺てこずらせる、不思議の求道者が雲集した個所は、めったにありますまい。他の教会の信者達は、すくなくとも本部に参籠している間は、なかなか殊勝な心掛でおとなしくしています。無論大本信者中にも、その種の純真な信者達は、沢山まじってはいますが、例の鳴物入りの立替、立直しの宣伝が、累をなしたものか、それとも例の鎮魂帰神の実習が、誘因となったのか、実に信仰団体としては、意想外きわまる変梃へんてこな連中が、とび込んでまいりました。大体それは二種類に分けられます。一は世の中に志を得ずして、不平満々たる野心家、一は何か事あれかしと、野獣の如く社会的秩序の壊乱ばかり狙いつめているあばれ者です。かかる人達が、たとえ有名無実にせよ、信者総取締の格にある私を、目の上の瘤と邪魔物視し、先天的にイタズラ好きの王仁さんが、そいつらに油をかけて、裏面から煽動せんどうするのですから、全くやり切れません。統制も、規律も、へったくれもあったものじゃない。

 不平的野心家の親玉としては、けだし例の加藤さんなどを挙ぐべきでしょう。口癖のように松方侯だの、上村大将だの、という大官巨頭の名前を振りまわしながら、一挙に狂熱的大本信者を掌中に収めて、南洋貿易か何ぞに失敗せる会稽かいけいの恥を、丹波の山の中でそそがん魂胆、そして両三度綾部へ往来する中に、妄像的に創り出したのが、例の大本教弾劾事件……。今でこそあの方が、一種の発動性を帯びたる、変態心理所有者ということが、ようやく多くの人々にのみ込めたようですが、風采は立派であるし、弁舌は上手であるし、相当金子もってはいるし、警眼なる新聞記者先生をはじめ、要路の顕官まで、一時はこれに、ある程度まで引き摺られたのも、あながち無理ではありません。ただこんなに厄介な求道者が、大本教以外の何所に発見されましょう。加藤さんのほかにも木原さん、友清さん、石井さん、豊木さん……。いずれも一と筋縄では行かない、一騎当千の豪の者ばかりです。

 社会的秩序の打破を夢みる、無茶苦茶な乱暴者の大将としては、十目のるところ、十指の指すところ、例の聖劇団のおん大、小王仁こと深町君を推さねばなりますまい。先生なかなか血の気の多い好男児で、江戸ッ児らしい親分肌があり、特に若い男や、女を引きつける一種の魅力をそなえ、無理な金子を工面するかわりに、これを使うこともなかなかきれい、さすがに、世間で小王仁と棹名あだなした丈に、いくらか王仁さんの面影をそなえ、ただいくらか輪廓が小さく、ズル味が足りないだけです。しかし時々羽目をずして、思い切った無茶を働くととろは、年の若いせいもありましょうが、王仁さんなどの到底及ぶところでありません。この人に言わせると、惟神かんながらの大道とは、各人の気分次第、本能次第に、好きすッぽうを働くこと、神の道とは、他人のものと、自分のものとの見境なしに、無責任な取扱をすること、みろくの理想世界とは、面白おもしろ可笑おかしく、すずしい顔をして、芝居でも行っていることらしいのですからたまりません。口頭では、まさかソー露骨にも申しますまいが、その行為の上から判断すれば、はらの底では、ソー考えて居るとしか思われないのであります。こんな先生が先頭に立ち、木島そのほかの多数の猛者連を後に従え、劇場といわず、寄席と言わず、倶楽部と言わず、いよいよ困ったときには、大道の真中に突立ったりして、威勢のよい宣伝演説を試みたのですから、そのめに、大本教の名前は、燎原りょうげんの火の如く、素晴らしい勢で天下に喧伝けんでんされたかわりに、同時に、その名前の汚されたこともまた非常で、ドウも大本というやつは、表面殊勝しゅしょうらしく神の道を標榜しながら、内実はロシアの過激派と、気脈を通じて居るのではないか、などという懸念が、世人の胸の底にきざしかけたのであります。

 真正この宗教的人間愛に充ち充ちているものならば、どんな乱暴者であろうが、どんな野心家であろうが、ことごとくそれを愛の光の裡に包み、あるいはさとし、あるいおしえ、しまいには救護済度の目的を達するのでありましょうが、私等になると、碌なことは考えません。『んな乱暴な奴は、手取早く武断的に、腕力でとっちめるに限る。生優さしい事では、とても規律は保てない。』すぐにこんな念慮が、むらむらと頭脳の底の方でささやきます。

 ただ神さまを信じて居るという手前、辛うじて癇癪かんしゃくの虫を押えに押え、加藤さんからピストルを向けて、勝手な凄文句を並べられた時にも、深町さんから胸倉むなぐらを取って、啖呵たんかを切られた時にも、石井さんから、辻褄つじつまの合わない弾劾をされた時にも、の外いろいろな目に逢った時にも、私は無能な、意気地のない顔をして、何等なんらの防衛手段を講ぜずに、差控えて居りました。しかしながら、それはホンの表面だけの附焼刃で、内心には、莫迦ばか莫迦ばかしいなと思っていたのですから、さっぱり駄目な話で、もって生れた私の理性は、とても五年や十年の短かい修業で、神様又は仏様らしくなりっこはありません。とうとうある時我慢し切れずに、故外山海軍少佐の横面よこつらを、一つなぐり飛ばしたことがありましたっけ。私という人間は、どこまで行っても、ただの平凡な人間で、信仰の道にかけては、よくよくの素人です。同時に王仁氏をはじめ綾部に集まった他の多くの人達も、ソーした天分に富んでいるのは、決して多いとは思われません。その資格のあるのは、前にも申ました通り、両四方老位のところでしょう。あんな連中のみの集まっているところなら、大本教も、恐らく日本国に存在を許されないほど、始末の悪いものでもありますまい。現在のように、宗教連盟でございだの、エスペランでございだの、蒙古布教でございだの、んだのと、よたを飛ばして、世間をゴマかすことに浮身をやつして居るようなことでは、ドウも……。


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