心霊図書館 心霊小品集綾部を去る

心霊小品集

綾部を去る

 ああ綾部生活の十年――私の胸には、その生活の間に、経験したよい事とわるい事、長所と短所とが、今更いまさらのように、はッきり映じて来ます。それ等は当然、人事と自然との二つに分類されます。

 綾部の人間の中で、何と云っても私に深い深い印象を与えたのは、大本教祖の出口直子です。短所を拾ったら、この人にも無論沢山の短所もあります。学問、芸術、その他一切の文化的方面の理解力に乏しかったこと、自家の児女に対する愛着心が、いささか盲目的に強きに過ぎて、宗教家的人類愛の分量が、いささか足りな過ぎたことなどは、けだし何人も弁護し難き弱点でありましょう。が、それ等の弱点は弱点として、充分にこれを償うだけの長所が、彼女に見出されました。至誠一貫、いかなる困苦迫害にも耐え、いかなる名利安逸をも斥けて、道のめにあくまで終始せんとする金鉄の覚悟、たとえ彼女のいわゆる道が、何所どこかに歪んだ個所、もしくは足りない個所があるにしても、すくなくもその態度は、たしかに見上げたもので、一度面接したものに、甚深なる感銘を与えずには置きませんでした。私が最初安心して綾部に引込む気分になったのも、主として直子一人が綾部に居っためであります。

『こんな立派なお婆さんを、さっぱり世に埋もらせて置くのは気の毒なものだ。一つ世間に紹介してやろうかな……。』

 私の大本教紹介の動機は、そんな情的分子が大部分を占め、余り冷静なる理性の指示から出発したのではありませんでした。それが私の思慮のはなはだ足りない点で、直子の平生を知らない一般世間の方々は、なかなか私の言葉を素直には受取ってくれませんでした。

『浅野という男は案外に策士だ。無学文盲の狂い婆や、馬鹿正直の信者連をダシに使って、丹波の山の中で、何か大したことをもくろんでいる……。』

 私の平生を知っているものは、そうも買いかぶってくれませんが、事物の裏へ裏へと、慧敏けいびんな眼をくばる新聞記者先生達が、んなことをはやし立てて、一の群衆心理を作り、とうとう世間の大問題にしてしまいました。お蔭さまで、私は一躍して三面記事の大立物となり、又皆さんの御存じない、監獄の中までのぞかせて戴きましたが、しかし元の元をただせば、すべてが出口直子の妙に人を動かす、一の強力なる引着力、感化力から出発して居ります。あのお婆さんが、大正七年の秋に歿くなったから、あれ位で済みましたが、モウ十年も生き延びていたなら、天理教のおみきさんどころでなく、多数の崇拝者を、その身辺に引き寄せたかも知れません。直子の歿くなった時、私などは、ああ惜しいものだと、残念至極に感じましたが、今日翻って冷静に考えますと、直子の筆端からは、ずいぶん首をひねらせるような、面白くない文句も出ますから、日本国のめには、却ってあの時死んだ方が、幸福であったかとも感ぜられます。

 直子にいで、私が敬意を表したいのは、明治二十何年という時分から、直子をたすけて、側目わきめもふらず信心一方で暮している四方平蔵さん、四方與平さんなどという人達です。向上進歩もないかわりに、いささかの野心も不平もなく、ただ神様ばかりを相手に、三十年間一日の如く、平静安穏な信仰生活の実物教授をしてござる。思い切って、一と花ウント咲かせたい、――そればっかりが生命である御大の王仁氏が、此等これらの忠実な人達を冷遇することは、ほとんど想像以上で、他人ならば、とうに癇癪玉の三つや四つ発裂させる筈のところを、この二老人のみは、ごうも意に介する色だに見せず、黙々として神務に服して、決して動きません。あやまって、私等が一時、大本の代表者でもあるかの如く喧伝けんでんされましたが、出口直子の開いた、何事も神様任せの大本教の神髄は、実は此等これらの老人達によりて、もっともよく代表されて居るのです。かの出口王仁三郎だの、福島久子だのという連中は、むしろ直子をダシに使って、自家中心の似而えせ信教を樹立せんとあせる野心家であり、又二代だの、三代だのという人達は、血脈の上には、直子の後継者に相違ないが、はたして教の後継者たり得る徳と、力とをそなえて居るかは、全然疑問に属します。私は大本信者をはじめ、世間の方々が、モちと眼のけどころを転換されることを切望して止みませぬ。忌憚きたんなく云えば、今日の所謂いわゆる大本信者なるものの多くは、大分脱線したもので、無形の神を信じるかわりに、長いものにはまかれろ式のオベッカ信仰、肉体崇拝に堕し切って居るものと見受けられます。直子在世中、あれほどまで純真味、真剣味のあったものが、その器にあらざる王仁氏が、大本の采配さいはいを振ったばかりに、うも迅速にダラけてしまうものかと、私は今更いまさらながら今昔の感に堪えませぬ。

 


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