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心霊小品集

龍宮行き

 父の龍宮王には、火遠理命ほおりのみことの身に、今日の悲しい日の来るのが、初めから判って居たらしかった。従って沈んだ面持の裡にも、堅い決心が浮んで居た。

 王は火遠理命ほおりのみことが年来心を苦しめた、例の釣鉤を懐中から取り出して手渡てわたした。命がびッくりして王の顔を仰ぎ見ると、王は事もなげに言った。――

『これは天神の計らいで、龍宮の眷属、赤海鰤魚たいに命じてらせてあったのでござります。――んなものは、何にももう役に立つものではござりませぬ。この鉤はお おち、すずち、まぢぢ、うるち、と申して、お兄さまに返しておやり遊ばしませ。碌な魚がかかりッこはござりません。』

 それから王は大きな、紅白の美事な二つの珠を取り出してみことの前にならべた。――

『これなる紅色の珠は塩盈珠、又これなる白珠は塩乾珠と申して、龍宮の無二の宝でござりまするが、天神の命によりて、これを三国一の尊き婿ぎみに進上いたしまする。世界中の事は、この二つの珠のつかい方一つで、おもいのままに運びまする。ただし誓って疑いの念を挿んではなりませぬ。この珠の威力を疑ったが最後、さッぱりその威力は現われてはまいりませぬ。』

 火遠理命ほおりのみことはいよいよ烟にまかれ気味で、二つの珠を手に取りあげて、左から右からすかしながめたが、ただきれいな珠という丈で、いかなる威力の籠ったものかは、無論わかろう筈もなかった。

 最後に彼は眼を泣きはらした豊玉姫をかえり見て、その手を取って、火遠理命ほおりのみことの手と固く握り合わせた。――

『この握手が、つまり現世うつしよの日の本と、龍宮の世界との永遠の固い握手でござる。二世や三世で、この契りが断れてしまうものと思われると違いまするぞ。精一ぱいに握って置いてもらいますぞ。』

 悲しいやら、うれしいやら、又はずかしいやら、「何とも形容のできない、雑複こみいった感情で、火遠理命と豊玉姫とが、父王の見て居る前で、固い固い握手を交換したのであった。

『これにて万事滞りなく済んだ。万歳!』

 龍宮王の発声につれて、これに和する万歳の声が、遠近にひびきわたり、同時に嚠喨りゅうりょうたる楽声が、怒濤の如くに龍宮全土に漲った。

 龍宮王、豊玉姫をはじめ、その他無数の眷属に送られて、火遠理命ほおりのみことが、一ひろ和邇わにに送られて、あかぬわかれを龍宮に告げたのは、それから間もなき事であった。

 火遠理命ほおりのみことは、海路つつがもなく、瞬く間に由狭岬の最突端、かの六尋にあまる一老松の根元に戻りついたのであるが、それは前にも述べたとおり、地上ではたッた三日の後のことであった。


龍宮行き(6)

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