心霊図書館」 》「 心霊小品集」 》「創作編

心霊小品集

龍宮行き

 それッきり火遠理命ほおりのみことが龍宮にとどまりきりであったなら、一体うなったであろう?

 むろん、理想の恋は遂げられたであろう。個人としての満足は得られたであろう。――が、天地の神々はそうすることを、火遠理命ほおりのみことに許されなかった。イヤ許されなかったと考えるより外に、解釈の途がないのであった。

 三とせの終りに近づいたある朝まだき、火遠理命ほおりのみことが、そのきさき豊玉姫とよたまひめと、鴛鴦おしどりのふすまをならべて、打ち伏された時のことだった。不図ふと一つの大いなる歎きが、その胸に根づよく宿った。外でもない、それはわが故郷ふるさとおもい出したことであった。

『今まで俺は、うッかりして居たが、近頃俺の故郷は、一たいうなっているであろう? わしは兄から釣鉤つりばりを借りたのだった。俺はその釣鉤をさがし当てたい一心で、郷里の海辺を彷徨さまよったのだった。それに俺は……俺は……。ああ何たる無責任な仕業であろう。これで天神のみすえとしての面目が立つであろうか? 借りたものをそのまま打ち棄ておくは、下郎の仕業である。蛮族のすることである……。』

 一念ここに想い到った時に、みこと慚愧ざんきのあまり、総身の血汐が頭部あたまにむらがりのぼるのを覚えた。

『いよいよはりが見つからない時は、割腹して罪を謝すべきだ。おめおめとんなところで、甘い恋にふけっては居ってよいものか! これからすぐにも帰途に就こう……。』

 みことはそうおもうと共に、我破がばとばかり寝牀の上にはね起きた。と同時に寝牀の中には、わッと泣き入る豊玉姫の声がきこえた。

『わがの君には……。とうとう今日の悲しい仕儀……。しばらく待っていただきまする……。』

 瀧とあふるる紅涙を払いもあえず、つつと命の胸にとびついて、愁によりて一しお美しさをましたそのおもてを、命の逞ましい首筋に押し当てて、よよとばかり泣き入るのであった。

『ああもう覚られたか……。そうだ! 何事ありとも、この人のみは棄てるわけには行かない。……よしよし一緒に連れ立って故郷ふるさとに帰るとしよう。』

 命がそう思った瞬間に豊玉姫は、一だん声を高めてわッと泣きくずれた。――

『おこころざしは、幾千代かけて、難有ありがたく存じまするが、わがの君、龍宮と現世うつしよと、そのおきてちがいまする。……たまたまとのかたらいは、自由自在でござりますれど、肉と肉とのかたらいは、今日をかぎり、……こればかりは天地の神々が怨めしうござりまする。わがの君、これから現世うつしよにお帰りになられますると、日向の国の海辺の村長むらおさが子に、今年ことし十七になる一人ひとり少女おとめがござりまする。それがわらわ魂代みたましろ現代うつしよに於ける、わらわのたッた一人の生れかわりにござりまする。わがの君は、現世にて、その少女おとめ夫婦めおとかたらいをなさるるのでござりまする。少女の姿は、今のわらわ生写いきうつし、それは妾のたまが、そッくりその少女に写されているからでござりまする。』

 皆まできかず、みことはひしと豊玉姫をかき抱いて、首を左右に振った。――

『ならぬならぬ! 生写しであろうが、あるまいが、わしそなたより外に、二世を契る少女おとめはない。これから連れ立ちて故郷ふるさとにかえるのじゃ!』

『それが協へば結構なのでござりまするが』と、豊玉姫は身も世もあられぬ悲しい声をふり絞って、『現世うつしよと龍宮との間には、たまより外に交通の途は杜絶とだえて居ります。わらわのま事の姿は――まことの姿は、八尋やひろにあまる龍。……お愕き遊ばしますな。これからき、わらわからだは常に龍宮の海に沈んで居りましても、妾の魂は常におそばに馳せて、千代に八千代に、御国の守護に当りまする。四季折々の変化はもとより、一切の自然界の働きは皆龍宮こちらの受持、まさかの折には、きッとお手伝をいたしまする。それでこそ日出ずる国の行末は、世界のつづくかぎり、ゆるがぬのでござりまする。かかる約束さだめも、皆天地の神々の御経綸おしくみ、これが若しお止め申してよいものなら、御体にからみついても、決して離れはいたしませぬが、どうしても、そんな無理のかなわぬが天地の掟、くれぐれもお故郷ふるさとにお帰りなされました暁は、日向の国の、妾の魂のうつされた十七の少女をば、わらわのおつもりで、末永くいたわっていただきまする。過ぐる三歳のありがたき御情思おんなさけで、永世とこしえの堅い契が、すッかりむすばれたのでござりまする。縦令たとえからだは陸と海とにお分れしても、このちぎりばかりは破れませぬ。』

 火遠理命ほおりのみことは、何やら姫の言葉がよく腑に落ちかねるところもあったが、おのずと姫の情熱に引き入れられ、いつしか泪ぐましい気分になって、力かぎり姫の体を横さまにかきいだいて、熱い熱い接吻を施したのであった。


龍宮行き(5)

目  次

龍宮行き(7)


心霊図書館: 連絡先