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心霊小品集

龍宮行き

 あとでしらべると、地上の時間で、たッた三日のことに過ぎなかったが、龍宮の時間で数えると、命の滞在は、足掛三とせわたる、長い長い歓楽のつづきであった。

 何にしろ青春の血汐に燃ゆる、天津日高の御子さまと、艶麗無比の龍宮の乙姫さまとの新婚の生活である。開闢かいびゃくの昔から、天地の神々の神定めに定められた、陰と陽との和合である。伊邪那岐いざなぎ伊邪那美いざなみの二柱の神が、天之御柱あめのみはしらを行きめぐり合い玉いてよりこの方、美わしき男女めおとの物語で、歴史のおもては絶えずいろどられて居るが、しかし、これほどにうるわしい、又これほどに意義の深い物語は、何所にも見出されないのであった。

 一と口に、みことの龍宮生活を、陶酔の生活と、いえば言われぬこともなかった。所は地上のうるさき束縛を離れた別天地、出るも入るも、寝るも起きるもただ心のまま、そして命の思うところは、何よりきに豊玉姫の心にひびいて、其所そこに毛ほどの意思のへだたりとてもなかった。命が音楽を求むる時に、姫の指図はすぐさまお附きの楽人に下る。命が沐浴を望む時に、姫の合図で、いつしか水晶の浴槽ゆぶねに満々たるお湯が湧きかえる。まことに痒いところに手が届くもてなしであった。

 わけても命の心を引きつけたのは、豊玉姫のすぐれて豊かなる、天禀の才藻であった。身も心も互にゆるし合った、この若き男女の間には、日毎夜毎に、幾篇の長詩短歌が口をついて唱和されたことであろう。それは実に古今に類を絶てる、うるわしき恋愛の記録であった。

 龍宮の天然風物は、又愛の殿堂を理想化すべき、一種特別のものであった。雪を求むれば、天地はたちまちに銀世界、雨を欲すれば、簷滴えんてきの音直ちに耳朶じだを打つと言った具合に、心に思うところが、そのまま外界に現われて来る。思想と事実との間に、何等の隔りとてないのであった。これでは不平も不満も、めったに起りようがない。

 それでもお命が、いささか倦怠を覚えた時には、芝居がはじまる。踊が催される。珊瑚の森、又は真珠の丘などに散策が試みられる。又蜃気楼の展覧会もあれば、大小の魚介の大行列も催される。……

 龍宮の王さまが又、粋な、親切な、真に理想的の舅御であった。『天地開闢かいびゃく以来の花婿花嫁じゃ……。』二人を並べて見ては、そう言って相恰を崩す。『これで天地の神々の御丹精になられた、世界経綸の基礎が出来たというものじゃ。こんな目出度いことがあろうか……。』こんな謎見たいなことを言って、うれし涙をこぼす時もあった。この言葉の意味は、命には最初少しも判らなかったが、兎に角悪い気持のする言葉でないだけは確かであった。

 うした、うつつともつかず、又夢ともつかぬ、たのしい、うれしい三歳みとせの歳月が、恋いし合った男女の上に荏苒じんぜんとして流れて行った。


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