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心霊小品集

龍宮行き

 うそまことか、事実か夢か。兎に角世にも不思議なのは、実に前日来火遠理命ほおりのみことの身にむらがり起った数々の出来事であった。

 みことはかねて、その兄火照命ほてりのみことから借りた、一個のつりばりを失ったのが源因もとで、この一と月あまり、飛んでもない苦労を重ねつつあった。火照命は、どうあっても貸した鉤を返せと言う。命が言葉をつくして詫び入っても、どうしてもききいれてくれない。仕方がないので、御佩みはかせる十束剣とつかのつるぎを鋳つぶして、最初は五百、いで千個のはりを作って、これで勘弁してもらいたいと言ったが、火照命はことごとくそれを突き返して、いやかぬ。元の鉤でなければ受取らないと言い張って止まないのであった。

 火遠理命ほおりのみことがこの難題にほとほと弱り抜いたのも無理はない。陸上で失ったのなら、何とか捜索の方法もあろうが、奪った相手が海の魚では、人の力でいかんともしようがない。

 別にこれというめあてもないが、命は昨日早朝からただ一人、海辺うみべに出かけて、とぼとぼと重い足を引き摺って、浪打際を彷徨さまようたのであった。

 天気はことの外晴れわたりて、縹渺ひょうびょうと眼もはるかにひろがれる海原の彼方には、四囲の山々が夢のようにかすんで見える。かもめや千鳥がキーキー声を立てながら、楽しそうに波間に浮きつ沈みつして遊んでいる。が、それ等の景色は、命の眼にはさっぱり映らなかった。事によったら、くしたはりが砂の中に落ちてはせぬか。――命はそんな、夢よりもたよりない空想を描いて、うなだれちに、いたずらに、深い足跡を砂の中に印しつつ歩を移すのであった。

 何時間そうしてるいたのか、いつしかみこと由狭岬ゆさのみさきの最突端、六尋むひろにあまる一老松のいはほを咬んでそそり立てる、すぐその根元まで近づいてしまった。

『ヤレヤレ飛んだ遠方まで来てしもうた……どりゃここで一と休みして行くか……。』

 命はそうひとりごとを言って、松の根株に半身をもたせて、両脚を砂の上に投げ出した。

 朝からのあるきづかれが、みことの若いからだにもひどくこたへて、まぶたは重く、覚えずうとうとしていると、たちまちすぐ間近まぢかで、

『もしもし。』

と呼びかけるものがあった。

 びッくりして眼をけて見ると、自分の前には、年の頃やや九十ばかりと思わるる一人の老人がひざまづいていた。身には古びた、葛布くずふを着て、一見附近の漁師か、山賤やまかづかと思われたが、しかし尺にあまる白髯を垂らした相貌には、どことなくいやしからぬ気品がそなわっていた。

『お見受け申せば、空津日高そらつひだか皇子みこさまには、お兄君からお借りなされた釣鉤つりばりを失われて、えらい御心配でございまするな。お兄君は是非元のを返せと仰せられる。しかし皇子さま、いかに海辺をお彷徨さまよいになられても、そのはりが見当るきづかいはござりませぬ。一つよい事をお教え申しましょうか。』

 ぴッたり図星をさされて、命はすくなからずびッくりしてしまった。今まで何人にも漏らしたことのない胸中の煩悶はんもんを、見も知らぬよぼよぼの老人が、ちゃんと知りぬいている。

そなたは、一たい、何所どこの何というものじゃな?』

と命は少しのり出して訊ねた。

『わたくしは塩椎しおづちおきなと申すもので……。』老人は唇辺に微笑をたたえながら、『イヤ別に住所すみかとてもきまっていない、よくよくの賤の男でござりまするが、あまり御身の上がお気の毒で、見るに見かねて、はからずも言葉をかけました。空津日高の皇子さま、そう御心配なされますな。わたくしがよい計策はかりごとをお授けいたします。はりを見出すばかりでなく、それを機縁しをに、との上もなく善い事が、後から後から湧いてまいりまする……。』

 その落つき払った言葉といい、又何所どことなく気高い人品といい、みことはいつしか心を引きつけられて、熱心に翁の言葉に耳を傾けるようになったのであった。


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