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心霊小品集

龍宮行き

 何所どこからともなく、いみじき音楽が聞える。低く高く、ゆるせわしく、えんとしてはつづき、遠ざかるかと見れば又近づく。

 うッかり聴いていると、非常に単調なようであるが、耳をすませば、それは何とも言えぬほど複雑した音律で、名も知らぬ多くの楽器の合奏であるらしかった。ある個所は群禽ぐんきんさえずりを連想せしめる。ある個所は磯辺に砕ける潮の音そのままである。ある個所は樹間をわたる春の風のささやきをしのばせる。そうかと思うと、にわかに、千軍万馬の土砂を飛ばして、驀地まっしぐらにこなたに駆け寄るのではないかと思わるるような、さかんな、勇ましいくだりもある。

 火遠理命ほおりのみことは、もうとうに一たんを覚まされているのであるが、どうもまだはッきりした意識を回復しきれずに居た。夢と楽声とが、いつしか頭の中でごッちゃにけ合ってしまって、つい又うとうとと半恍惚の状態に引き入れられてしまうのであった。

 後世の詩人が歌った、暁を覚えぬ春眠の心地よさ。――それに百倍した快よき夢見心地が、今しもみことの総身をつつんでいた。

 美智みち皮畳かわだたみ八重を敷き、おその上に絹畳きぬたたみ八重を敷いてしつらえた、世にも鄭重ていちょうをきわめた臥牀ふしど内部なかの淡きねむりである。軽い、心地よい疲れが、その若い血汐ちしおの中に、油のように浸み込んでいるのである。

 五分、十分、三十分、みことは千金にもかえ難き、龍宮に於ける、最初の朝の残夢の心地よさを、十二分に、味わって居たのであったが、不図ふと今まで耳にひびいていた楽声が、ぱッたり中絶すると同時に、忽然こつぜんとしてはっきりした意識が回復した。

 命はその切れの長い、涼しい両眼をぱッちりと開いて、四辺あたりを見まわすと同時に、覚えず独語ひとりごちた。

『はてな! わしは妙なところに寝て居るナ……。』

 昨日来の世にも不思議な、数々の出来事が走馬燈のように、一時にぱッと頭の中に浮び出たのであった。


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