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心霊小品集

 源次郎の霊魂が、敬三の口を借りての自白は、すこぶる詳しくかつ要領を得たもので、初めて奥田一家にかかる旧怨の顛末を明らかにした。大体の筋道はざッとうであった。

 彼の言葉のはしにも現われている通り、源次郎はもと神田明神下で理髪業を営める、なり名の売れたイナセな職人であったのである。その時分の事なので、元より写真などは一枚も残っていないが、小松の霊眼に映じた姿、並に島の老婢ろうひの往年の記憶などに照らして考えると、一体にやせぎすの苦味走った好男子で、ただ眉と眉とが少し迫り過ぎて、何所どことなく殺気を帯びていたらしい。

 源次郎が八丈島へ流されて来たのは、明治のごく初年、たしか五年頃の事であった。罪状は、かかる社会に、むしろお定まりの情婦中心の刃傷沙汰で、彼自身も、その小鬢こびんなりの手傷を受けて居た。

『なァにんまり人を踏みつけたまねをしやがるので、男と女を重ねて置いて、バラしてやっちまった訳でさ。しかし考えて見ると罪なことをしたもので……。』

 その当時島人に向って、源次郎はよくこんな述懐をしていたそうである。

 八丈島に於ける罪人の生活は、ある点においてはむしうらやむべきほど自由で、安楽なところがあった。手放しにして置いても心配無用と役人が認めたものは、普通人と同様自由に一戸を構えて、何なりと身についた職業を営む事を許されたものであった。源次郎もその一人であった。そして江戸仕込みの立派な腕前の理髪職人として、無邪気な島人からむしろ一種の尊敬を払われさえもした。『島の若い女で、源次郎さんに夢中になったものが二三人ありましたッケ……。』

 これは当時を思い出しての老婢ろうひの問わず語りであった。

 が、多くの贔屓ひいきの中で、一番源次郎を贔屓ひいきにしたのは、年の若い村の名主なぬしさんであった。それがすなわち奥田家の先代の良三という人で、その頃やっと二十三四、若い妻との間に、当歳の一女児を挙げていた。役目こそ名主さんでも、何にしろ年齢とし年齢としなので。面白い話の種を沢山って、何所どことなく気のきいて居る江戸ッ児の源次郎を、誰より優れた自分の遊び相手と考えた。ひまさえあれば、彼は源次郎の店に出掛けて行き、又しばしば源次郎を自宅にも招いて、酒の相手や将棋の相手を命ずるのであった。

『名主様は源次郎でなければ夜も日も明けねえ。あんな素性の判らない人間を家の中に引張り込んで、間違まちがいでも起らなければいいが……。』

 年寄などの中には、んなことを言って、眉をひそめるものもあった。

 が、若い名主さんは、そんな事を耳にも入れず、ますます源次郎を可愛がり、次第に秘密の事柄をも、これに打明けるようになった。その頃彼は一の錠前を工夫して、それを自家の土蔵の扉にとりつけ、

『この錠前さえ掛けて置けば安心なものだ。どんな泥棒にも、この錠前だけは開けられない……。』

などと威張っていた。そして家族は元より、他の何人にも、その錠前の秘密をば打明けなかったが、ただ一人の例外は、日頃お気に入りの源次郎であった。源次郎だけは、その錠前の構造をごく内証ないしょで教えられて居た。

 すると、ある夜名主宅を襲った一人の泥棒があった。そして苦もなく右の錠前を開き、若干の米俵を盗み出した。

 嫌疑はおのずから源次郎一人の上にかかった。

『きッと彼奴あいつに相違ない。ほかにあの錠の秘密を知っているものは、島中にただの一人もない。矢張やはり人殺しをする位のやつは気が許せない……。』

 名主からのうったえによりて島役人は、直ちに源次郎を捕えて詰問した。最初は口頭くちさきで責めて居たが、源次郎があくまでも盗んだ覚えがないと主張するので、とうとう八丈島一流の残酷な拷問が開始された。背後うしろに縛った両手に、縄をかけて高い木の枝に釣りあげる……。三角に尖った石を並べたところに裸体はだかで坐らせ、そして、膝の上に何十貫という重い石をかせる……。青竹で脊中せなかをなぐりつける……。とても内地では見られぬほどの乱暴な責め方が、島役人の手で続行された。

 それでも源次郎は、決して米をったとは云わなかった。

 拷問が十日余りもつづいた時に、とうとう島役人達もさじを投げた。

『こいつァ俺達の手には負えねえ。伝馬町の牢屋へ送って、一と責め責めてもらうことにしよう。』

 とうとう源次郎は、八丈島から再び伝馬町の獄舎に逆送されてしまった。それからのことは、源次郎の霊魂の自白をそのまま記すことにする。――

『伝馬町の牢屋にブチ込まれてからの俺の生命いのちは、たッた二た月余りしかたなかった。何しろ島で附けられた生疵なまきずから毒が入って、すっかりんでしまったのだからたまりッこはねえ。グジャグジャに肉が崩れて、生れもつかぬナリン棒そッくりのみじめな姿で、牢の中でくるにをしちまった。

『しかし、死んだのはただ俺のからだだけの話だ。からだが死んだって霊魂たましいまで死ぬものじゃねえ。ノロマな野郎の霊魂たましいなら、そのまま草葉の蔭へすッ込んで、泣寝入りするかも知れねえが、はばかりながらこの源次郎は、そんな意気地のねぇことは大嫌いだ。百年とうが、千年とうが、奥田一家に対する怨みは、決して忘れはしねぇ。何所どこまで行っても、無実の罪で死んだことだけは覚えて居る……。

『死んで三日とたねぇ時に、俺はモウあの名主の馬鹿野郎のからだ憑依とりついていた。何がんだか医者にも判らねぇぶらぶら病……。とうとう明治六年の夏頃に、彼奴あいつは東京のある病院でくたばりやがった。人をのろうのはなかなか罪の深いことで、自分もそれだけくるしまなければならねぇが、ドウせこんな事は最初から覚悟の前だ。俺のようにやぶれかぶれになっちまった奴には、神も仏も手の附けようがありゃしねぇ……。

『名主の野郎がクタばった時に、俺は早速その女房のからだにとッついて、こいつも三月ばかりで片附けてしまった。ついでに二人の間に生れた君江という餓鬼ガキ……今ではんな古嬶ふるかかあになってここに居やがるが、こいつもその時一緒に取殺とりころそうと思ったのだ。昔から赤児の手をひねるようだと言ってるように、実際そんなものをやッつけることなどは、朝飯前の仕事だった。

『が、その時俺は考えた。今ここで、この赤ン坊を殺してしまえば、奥田の血統が絶えてしまって、俺の仕事が種なしになる。それよりか、こいつをしばらく生かして置いて、婿でも取って子供を造らせ、それからポツポツ仕事に掛った方が、先途さきたのしみがある……。そう思って俺はわざと見て見ぬふりをして、奥田一家の人数が殖えるのを気永きながまっていたのだ。

『そうするてぇと、あんな小便垂れの赤ン坊が、結構年頃になりやがって、ここにいる正治と夫婦になり、大小併せて五人の子供を造りやがった。モウここいらで始めてもかろうてんで、俺はこの春から四十幾年ぶりで、又仕事にかかったのだ。俺のやり方は何時いつも同じ手だ。何が何やら、さッぱり見当のとれないぶらぶら病、しばらくわずらってコロリと往生。この敬三の野郎なども、モウあと三日とはつめえ。しかし、こやつが死んでも、まだおあとに三四人も控えているから、当分品切れになる心配はねぇ……。ウフフフフフフフ。』

 


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