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心霊小品集

 しばし小松は黙って、先方むこうの顔をつめて居たが、こんな場合に彼がいつもするように、できる丈感情のまじらない、平静な句調でおもむろに質問をはじめた。

『あなたさまは何誰どなたですか? 嘘をついてもお互につまりませんから、どうかりのままにお名前をッしゃってください……。』

 すると病人の唇辺しんぺんには、強い痙攣けいれんの起るのが見えた。やがて口が開いた。

『俺の名前か……。名前をきいて全体うしようてんだい? 大きなお世話じゃねえか、何の縁故もねえくせに……。』

 まるきり江戸ッ児のまき舌で、十七歳の島の素朴な青年の口の何所を押したら、んな言葉がるのかと思わるるばかり、音声態度まですっかり別人格になり切って居た。

 が、小松は先方から剣突けんつくわされても、格別怒った風も、当惑した様子も見せなかった。彼は憑依霊が、案外早く尻尾しっぽを出しかけたのを、むしろ歓んでいるらしく、前より一層砕けた調子になった。

『君、何にもそう吾輩を毛嫌いしたものじゃあるまい。吾輩はモウ今では、君とまんざら見ず知らずの仲じゃない。今日五回もお目にかかるじゃないか? すべで物はお互に話し合って見ないことには事情が判らない。君がこの青年のからだ憑依とりついて、こんな素性の知れない病気を起させているについては、恐らくしかるべき理由わけがあるだろう。ただ気まぐれに、人間を玩具おもちゃにして歓んでいる訳でもあるまい……。』

 憑依霊は案外手取り早く、小松の言葉につり込まれて行った。

『じょ……じょうだんじゃねぇ、誰が気まぐれに、こんな罪な仕事をしている莫迦ばかがあるものか。奥田一家の奴等は、ドウしても俺が取りころしてやらなけりゃァ、はらの虫が収まらねぇ立派なわけがあるからやっているんだ。う見えても、水道の水でうぶ湯をつかった、江戸ッ児のちゃきちゃきだよ。田舎の田五作見たいな、筋道の立たねぇ真似まねはしねえ。見損みそこなってくれるない!』

 啖呵たんかを切って、片腕をまくりあげる所は、余程よほど芝居じみて居て、敬三のやつれ切った肉体との対照がはなはだ奇妙であった。

 小松はすかさず質問をつづけた。

『イヤ御尤ごもっとも千万、実は吾輩も、大ていそんなことだろうとお察し申していたのだ。――ところで、君の名は何と行うのでしたね? たしか勘左衛門……。』

 無論これは小松の懸引かけひきで、わざと出鱈目でたらめの名前を呼んで、気を引いたまでであった。

箆棒べらぼうめ! そんなケチな名の男じゃねえやい。』

 と、憑依霊は大不平で『俺の名前は源次郎てんだい。これでも元は神田の明神下で、ちつっとは名の売れた理髪とこや職人だい。一たい、江戸中何所どこをドウ捜したって、勘左衛門なんて、変チキリンな名前の理髪師とこやがあってたまるもんかい!』

 源次郎という名前をきいた時に、あたかも電気にでも打たれたように、はッとびッくりしたのは、八丈島から来た老婢ろうひであった。彼女はワナワナふるえながら、小松をさしいて、憑依霊に向って話しかけた。

『アノお前さんは、理髪師とこやの源次郎さんというのかね? そうすると、昔八丈島へ流されて来て居た、あの源次郎さんで……。』

『知れたことよ!』と、先方はただちに答えた。『あの時のうらみで、俺は今この小僧に憑依とりついているんだ。誰がんと言おうが、奥田一家の奴等やつらは、そのままにして置きはしねぇ。この源次郎には骨がある。何代生れかわり死に代ったところで、奥田一家の背後うしろには、俺がいつまでも手ぐすね引いて待ち構えている……。』

『そうすると、米盗人は矢張りおめぇさんではなかったのだね?』

『当り前よ。源次郎はいくら島流しになった身分でも、ケチ臭い米泥棒をするような野郎じゃねえ! 一時あんなに人を信用していたくせに、泥棒と疑ぐりやがるとは、何というふざけたことだ。んまり口惜くやしいから、俺は死ぬと間もなく、先代せんだいやつをとり殺してやったんだ……。』

『まァ! 恐ろしい人だ! そうするとおめぇさんは、四五十年も前から、あだをしていたのだね、御主人の家に……。』

 何か心に思い当るところがあると見えて、老婢ろうひは総身の毛孔を粟立あわだたせて、顔を紫色にしておののいた。お彼女が引きつづいて、何か言おうとするのを、小松は目くばせして制した。

『まァしばらくおばァさん黙って居てください。あなた方二人で、勝手にしゃべってもらっても、何が何やらさっぱり判らん。――源次郎さんとやら、是非ぜひ君の口から、一伍一什いちぶしじゅうの物語をきかせてもらいましょう。幸いここに奥田さん夫婦も居られるから、先祖にかかわる話をしてもらうには丁度ちょうど好都合だ。君が奥田一家を呪いはじめた事の起りは、そもそもんです? ざッくばらんに打ちあけてください。』

 小松が熱心に説き立てると、憑霊は案外素直にこれに応じた。

『よし俺も江戸ッ児だ。何もものこらずぶちまけてきかせてやらァ。ここに居る婆ァが、俺の物語の生証文だ。コレばばァ! 今でこそ皺くちゃの梅干面うめぼしずらをしていやがるが、あの時分はやっと十九か二十の色気ざかり、ちょいちょいこの源次郎に、秋波いろめをつかったことがあるじゃねえか? 耳の垢でもほじって、よッく俺の話をきいて置け!』


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