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心霊小品集

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 小松並樹は、午後三時半着の上りで、鎌倉に下車すると、すぐの足で材木座の方へ向った。彼が海浜院の附近の、小さな貸別荘に病臥する、奥田敬三という青年のもとおとずれるのは、これで五回目であった。

 彼の用件は、彼に取りては極めて真面目なものであったが、他から見れば、極度に気まぐれな道楽としか思われそうもないものであった。彼は最近約一年ほど前から、死後霊魂が存続するものではないか? また人間の躯にひとの霊魂が憑依して、所謂いわゆる憑霊現象を起すものではない? などという心霊上の疑問に捕えられ、ほとんど本業の英文学の研究を打ちすてて、の問題の解決に没頭しつつあった。かれは書物もしらべたが、しかしそれよりは、むしろ実験に重きを置き、近頃やや手に入りかけた自己流の方法で、しきりにの謎を解こうとした。今日の病青年を訪れるにしても、先方では、不治の難病を霊的になおして貰いたいというのであろうが、小松の方では、それをあくまで自己の研究資料として、しらべて見ようとするのであった。

 青年敬三の病気は、不思議といえば随分ずいぶん不思議なところがあった。彼は八丈島の産で、ことし十七歳の春まで、何事もなく島で生長した。年齢としの割には身材せいも高く、又発育も充分であった。ところがの春の初めに、彼のすぐ弟で今年十三歳になるのが、ず一のブラブラ病に襲われ、つづいて彼自身、弟とそッくりの状態に陥った。肉が落ちる、色があおざめる、食慾が衰える、腰が抜ける、脚が不自由になる。――その癖、どこといって格別苦痛を訴えるところがない。

 もちろん島で、これはと思う限りの医者の診療を受けたが、一人として、その病名を言い当てるものがなかった。肺にも、心臓にも、胃にも、腸にも、その他何所どこにも、何等の故障を認めない。従ってこれにいかなる薬を与え、いかなる手当を加えていいかが、とんと判らないのであった。

『東京の大学病院へでも行って、大家の診察をお受けなさるが宜しいでしょう……。』

 どの医者もどの医者も、最後には皆そういってさじを投げた。昔はこんな場合には、きまり切って加持祈祷、神仏の御加護というところに、最後の逃げ路を求めたものだが、近頃では八丈島にも、そんなことははやらない。最後の逃げ路は東京である。帝国大学である。

 奥田の家は、八丈島でも有数の旧家で、代々名主なぬしをつとめ、その威光が今でも伝わっていて、敬三の父の正治も、ツイ一両年前まで村長をつとめて居た。従って金銭には、何の不自由を感ぜぬところから、家事一切を長男に任せておいて、夫婦で二人の病児を携えて、海路はるばると東京に着いたのは、春もややたけて、落花らっか地に敷く四月末のことであった。

『大学病院にさえ行っててもらえば、んな病気でもわからぬことはない。病気が治ッたら、ゆっくり名所見物でもして帰るさ。』

 父親はそう言って、ほとんど眼中に病気などはないかの如くであった。四人は本郷の裏通りの、ある閑静な帝国大学御定宿におちついた。

 ところが、いよいよ帝国大学の名だたる博士達の診察を受けて見ると、二児の病気は意外にも八丈島の田舎医者に判らないと同様、まるきり判らなかった。

からだ何所どこにも異状がない……。』

一と口にいうとただそれだけの鑑定であった。

 が、それはただ医者のた鑑定で、素人の眼には立派な重症であった。ことに弟の方は東京へ来てから間もなく、めっきり衰弱して一歩も床を離れ得なくなった。

 大学以外の幾つかの私立病院をめぐった後で、最後のある所の私立病院長が多少の自信をもって、二人を引受けることになったにもかかわらず、弟の方は夏の半ばに病症不明のままで死んでしまった。

 うなった時に、東京の医者の逃げ路がただ一つある。

『こんな病には、医療よりはむしろ自然療法の方が効果がある。ずこの附近では空気のよい鎌倉へでも転地して静養するがよい……。』

 奥田夫妻が正直に東京の大医の指図どおりに、すでに足腰の全く起たなくなった残る一人の病児をかかえて、東京から鎌倉へ引移ひきうつって来たのは九月の初旬であった。空気のよい事にかけては病人の巣窟となって、俗化せる鎌倉などよりは、昔ながらの海と山とにめぐまれた自分達の郷里の八丈島の方が、どれほど静養に適しているか知れないなどという、皮肉なことは考えずに……。

 心霊上の実地研究に夢中になっている小松並樹が、不図ふとしたことで奥田夫妻と知り合いになったのは、それから間もない時のことであった。くわしく今迄いままでの経過をきかされ、病青年の実況を目撃したときに、白熱化しているかれの好奇心、研究心は、直ちに動きはじめた。『東京のあらゆる名医が、さじを投げた病気の源因げんいんを、心霊的に発見することはきぬかしら……。若しもきればしめたものだが……。』

 転地療法と東京の名医とに、いささか幻滅を感じていた奥田夫妻からの切なる依頼たのみもあるので、彼は大胆にも、とうとう病青年に対し霊的実験をこころみることになり、御苦労さまにも三日置き位に、わざわざ横須賀から汽車で鎌倉へ出かけて来るのであった。


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