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心霊小品集

 それからまた何里重い足を引摺ひきずったのやら、喜太郎にはさっぱり見当が取れませんでした。総身へとへとに疲れ切って、眼はくらみ、気息いきは切れ、何遍なんべん地面にのめったか知れません。脊中せなかの死人が、ときどき脚でギューッと彼の尻をめつけでもしなかったら、彼は恐らく何所どこかへ倒れッきりに、へたばったに相違ありません。

 が、ようやくのことで、脊中せなかの屍骸が手をさしのべて、

其所そこへ埋めてくれ。』と言いました。

『いよいよこれが最後の墓場やナ。』と、喜太郎は考えました。『四個所の墓地のれかに埋めるのじゃと、あの老人が言うたからには、今度はよもや間違はあるまい。こうことわられてばッかり居てたまるもんやない……。』

 折しも、モウ夜明が近づいたものと見えまして、東の地平線には光輪があらわれ、空の断雲は茜色に染められて居ります。しかし月が沈んだ後の林間の暗さと云ったら、お話にならぬ位、ここで喜太郎は、又も二三度向脛をきずつけました。

『急いだ急いだ!』

 脊中せなかのお客様からき立てられ、喜太郎は死物狂いで、だらだら坂を駆けのぼりましたが、今度は別に自分の進路を遮る山門もなければ、また威嚇的の態度を執る幽霊もなく、ひッそり閑として、いかにも墓場らしい落付を見せました。

『フムこれならず大事あるまい……。わしも死んだら、んなところへうめられたいもんや……。』彼は幾分安心して、あちこち適当な埋葬地点を捜しますと、意外なことには、其所そこに一の新らしい墓穴が掘り下げられてあることを発見しました。試みにその穴の縁へ片足をかけて下をのぞけば、底の方には、一個の白い棺桶が置いてあって、しかも内部なかはまだ空ッぽです。

『ハテ妙なことがあるもンやなァ。中身なかみしの棺桶ッ て、わしただの一遍も見たことありャヘん……。』

 彼がソウ思った瞬間に、それまで八時間以上、かれの脊中せなかにしがみ附いていた屍骸が、突然首玉にまきつけていた両腕を弛め、同時に両脚がブランと離れて、独り手にズルズルと、その空棺の内にすべり落ちました。

 喜太郎はこの時ばかりは、真に歓喜の念に充ち充ち、墓辺にひざまずいて神仏に感謝したといいますが、成るほどそれはさもあるべき筈であります。いうまでもなく、それから彼はただちにとび起きて、棺桶の蓋をするやら、両手で土を掻き寄せるやら、立派に屍骸の埋葬を終り、誰が見ても一点非難の打ちどころのないほどの、見事な新墓を築き上げたのでした。

 すッかり仕事が終ったときには、夜はほのぼのと明け離れ、遠近おちこちの人里から、威勢のよい鶏の声がしきりに伝わりました。

 喜太郎が墓場からめぐりめぐって、ようやく森を出離れた個所は、思いもかけず清瀧のほとりでした。彼は不取敢とりあえず其所そこのとある旅館に入り、一浴して寝に就きましたが、眼が覚めた時には、モウ日が暮れていました。軽く食事をしたため、再び寝床にもぐり込んで、翌朝まで前後不覚に眠ったといいますが、それを見ても、いかにあの一と夜の墓めぐりが、骨身にこたえたかは、想像するに難くありません。が、それからの物語は、きわめて平凡であります。三日目の夕暮に、ひょっくり村に帰った時に、心配して居た村の人々は、彼の家出の理由をしきりに訊ねましたが、もちろん彼は固く沈黙を守り、何事もしらせませんでした。一切の秘密をきかされたのは、彼の父親ただ一人でした。

 しかし其時そのときを境界として、彼がすっかり別人の如く生れかわったのには、村人一同眼をそばだてぬ訳には行きませんでした。彼はモウ酒も飲まず、義太夫も語らず、花牌はなも引かず、無論また夜遊びもせず、ただ一心に家業に精を出し、の点から見ても、村の立派な模範青年となりすましたのでした。

 彼が双方の親と親とのゆるしを得て、かねて情交の深かった菊枝女と、芽出度めでたく婚礼の式を挙げたのは、それから丁度ちょうど一ヶ月目のことでした。今では夫婦の間に可愛らしい一人の女の児があります。


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