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心霊小品集

 重い重い脊中せなかの荷物を仕負ったまま、空しく山門を逆戻りする喜太郎の足は、牛の歩みよりも遅い位でした。とうとう彼は崩れるように、石段の途中に腰を卸して思案に暮れましたが、失望と、恐怖と、疲労と、悔恨とが、ごッちゃになって、彼の心身を圧えつけ、熱い涙が、止めどなくその頬を伝わりました。

『俺はモウとても駄目や。……こんな重い死人にしがみつかれて居て、たまるもんやない……。』

 彼は其所そこでも亦、死人の手をもぎ離そうと試みたのですが、そうすればするほど、死人は固く彼の首玉をめつけて、気息いきがとまりそうになるのでした。

『飽かんなァ……。』

 絶望の長太息といきをもらしつつ、再び腰を卸そうとした時に、死人の唇が又もや開いて、『建仁寺へ行け!』と、例の嗄声しわがれごえを出すのです。そう言われて喜太郎は、最初あの老人から言われたことを想い出しました。――

『そうそう智恩院でうまく行かんければ建仁寺へ行け。建仁寺でうまく行かんければ東本願寺へ行け。東本願寺でもうまく行かんければ鳥部山の墓地へ行け……。何やらそないなことらしかった。厭じゃ厭じゃ。俺は建仁寺が西やら、鳥部山が東やら、方角さえも知っとりャせん……。』

 ブッブッそんなことをつぶやきますと、今迄いままで彼の首玉に搦みついていた死人の左手が、たちまちスーッと延びて、ある方向をゆびさすのです。

『そッちへ行けというのやろ、かなわんな……。』

 喜太郎は不精無精に、痛い腰を延ばして、ゆびさされた方向にるき出しました。

 死人の指示する方角は、元来もときた道とはまるでちがった、でこぼこの裏道ばかり、右に、左に、くねくねと、何回折れ曲ったか知れませんが、喜太郎が行き詰まる度毎に、骨ッぽい死人の痩腕が、ツーッと延びて行手ゆくてし示します。

 とうとうまた何時間かをあるかされて、ドウやら墓場らしい、陰惨な密林の中に達しますと、死人の両脚が、キューッと彼の臀部を緊めつけて、一歩もあるかせません。そして今ではモウ耳についた嗄声しわがれごえで、『此所ここだ! 此所ここだ!』といいつけるのです。

『ここならここでい……。』

 いささか焼気味で、彼は真暗な樹下路このしたみちを二三十歩進んで、不図ふと向うを見ますと、闇の中にくッきりと、白く浮き出でた無数の幽霊の群――男もあれば女もあり、又子供もあるのですが、そいつ等は、めいめい勝手な姿勢を執り、ある者は建仁寺垣の上に腰をかけて、脚をぶらつかせ、ある者は垣根の対側むこうからヌーッと首丈つき出し、又ある者はあちこちうろつき廻り、などしているのです。しかしいずれも、喜太郎の来たことには気がついているらしく、互に目ひき袖ひき、しきりに何事か喋べっている様子ですが、喜太郎には、ただ彼等の口がいたり、閉じたりするのが見える丈で、ただの一語も耳にははいらないのが不思議であると同時に、またすこぶる無気味でもありました。

 喜太郎が呆れて歩みをとどめると、その瞬間にすべての幽霊が、又ピタリと動かなくなってしまう。一歩でも前へ進めば、又動き出す。先方むこう比方こちらとが、まるで操人形あやつりにんぎょう仕掛にでもなっているような塩梅です。

 最後に喜太郎が思い切って、ヅカヅカ前進ぜんしんしようとすると、全部の幽霊が、バラバラと彼のすぐ行手に立ち塞がり、一ッの人垣……むしろ幽霊垣を造ってしまいました。

『ここへはほかの屍骸を埋めることがならんというのやろ。どもならんナ……。』

 彼はがッかりして、トボトボと元来もときた道を引きかえしましたが、それからき、ドウしてよいのか判らないので、大きな溜息を一つついて、歩みをとどめますと、たちまち耳元で、

『東本願寺の境内……。』

 と、例の死人の号令、そして痩せた左手が、スーッと延びて方角を示すのでした。

 この声と、この手には、喜太郎もほとほとうんざりしました。躯は疲れ切ったし、街中まちなかであるのに途は暗いし、すり剥けた膝はヒリヒリ痛むし、一歩一歩が地獄の針の山を登るように感ぜられました。おけにドウした訳か、東本願寺が莫迦ばかに遠く、行っても行っても、なかなか其所そこないのです。

 それでもとうとうあの見覚えのある、巍々ぎぎたる山門のほとりに辿り着きました。ここなら停車場も近いし、まかり間違ったら警察署もあるし、ず大丈夫と、いくらか安心して、簷下のきしたに近づく途端に、過って其所そこ敷居しきいつまづきました。するとイキナリ何物かが、彼の手足を引ッつかみ、脊中せなかの屍骸ぐるみ、グルグルと宙にふりまわして、二三十間きの溝の中にほうり込んだのであります。

 五六分後に、彼はそれでもようやく正気を回復して、溝から道路へ這い上りました。しかしちたときに強く腰を打ったので、真直まっすぐには立てません。あっちへひょろひょろ、こっちへひょろひょろ、まるで六七十歳の老耄爺おいぼれじいさんの腰つきです。

『モウいよいよ飽かん。』と、彼は思いました。『そのうち巡査でもやって来たら、保護して貰おう……。』

『そんな勝手な真似まねはできないよ。』と、又も脊中せなかの屍体、『急いで鳥部山の墓地へ行って呉れ……。』

『途轍もない! そういつまでも歩かせられたら、俺は下でつぶれてしまうがナ……。』

 が、そうは言っても、喜太郎は、結局最後の勇気を出して、幽霊の指示する方向に、ヨチヨチるき出したのでした。


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