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心霊小品集

 京都から一歩丹波路へ踏み入ると、うも世の中がちがうものかと、びッくりするほど、急に四辺あたりが薄暗く、ひなびてまいります。

『矢張りんな土地には、鬼でも棲みそうだ。』――大概の人には、すぐそんな連想が浮んでまいります。

 が、丹波の中でも、北桑田地方となると、一層山国気分が濃厚で、の方面へ出掛けるにも、長い長い峠の二つや三つは、必ず越さねばなりません。しかし土地のものは、『この辺は丹波の中のほんまの丹波でナ……。』そんなことを言って、生粋きっすいの丹波児をもって任じて居ります。

 ここに北桑田の周山の里に、一人の若者がありました。男振りがよくて、性質が快活で、そして資産家ものもち一人ひとり息子むすこというので界隈ではひどく通りがよい。父親がまた珍らしい子煩悩こぼんのうせがれうことなら、んなことでもく。小遣こづかいなどはいつでも蟇口がまぐちに一ぱい。――これでは大概の若い男は、道楽の味を覚えます。ちょっと考えると、んな寒い、不便な山里に、道楽の機関などは揃って居なそうに思われますが、そんなことをいうと、丹波人に笑われます。外部そとへ出て遊ぶことがきない代りに、結構内部なかで充分享楽の途が講じてあります。寒い時なら、いろりを囲んで義太夫の稽古に浮身をやつします。暑い時なら、男女混合の盆踊りがはずみます。酒が飲みたいなら、店頭に煠章魚ゆでたこでもブラ下げた小料理屋が随所にあります。端唄でもききたいなら、いつでも破三味線をかつぎ出す、白粉コテ塗りの女性が沢山あります。

 彼の顔は、そこへら中に、迅速に拡がって行きました。かれの郷里の三里四方――と云っても、その大部分は山ばかりですが、兎に角三里以内で、彼の顔の知られていないところは、ほとんどなくなりました。

『若旦那はん、近頃は、てんと自家うちの方へは、お御足みあしが向きまへんナ。十日に一ぺん位お顔を見せて戴かんと、うちのお澄ッ児が、ふさぎの虫で困りますがエ――。』

 彼方此方こちらの料理屋の内儀などから、んな挨拶を受けるようになりました。

 最初の間は、ソウ言われると、幾らかまだきまりが悪く、持前のあから顔を、一層あかくして、ポリポリ頭髪あたまいたり、んかしたものですが、近頃では、モウそんな意気地のない真似まねはしません。

『廻るところが、たんとたんとあるさかい、お前のところまでは、なかなか手がまわり兼ねるでなァ……。』

 などと、手放しで惚気のろけをいうほどになりました。

 道楽というものは、泥田へ足を突き込んだと同様、だんだん深みへはまるものだといいますが、彼にあっても、またその例に漏れませんでした。自分のうちへは、金子を貰いに行く外は、滅多に足を向けることがなく、甲の料理屋から乙の料理屋へと、グルグルめぐり歩いて、その合間あいま合間あいまには、花牌はなでもひくか、義太夫でもうなるか、兎に角、手のつけられぬ、一かどの道楽者に成りすましました。

『なんぼ資産かねがあったちゅうて、あれではきまへんナ。』

 近在の老人達は、首を振りつつささやき合いました。『まァ見て居て見なはれ。親爺おやッさんが死んで、一年経つか経たん内に、あの財産は、きれいに亡くしてしまうから……。』

 しかし彼の父親は、せがれの道楽を少しも苦にせず、言わるるままに、依然として、なんぼでも小遣こづかいを宛てがい、叱言こごと一つ言おうともしませんでした。

『喜太はんは、んて良い親爺おやッさんをっとるやろう。自分うち親爺おやじなんか、ただの一と晩不在るすしても、ガミガミ雷鳴かみなりを落しくさる……。』

 そんなことを言って、羨望せんぼうする若者もすくなくありませんでした。


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