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心霊小品集

 一時間の後に、小松の二階の書斎は、憑霊現象の実験室と化していました。

 Kさんから言えば、六年間自分を圧迫した問題の解決されるか、されぬかの大事の仕事、政尾から云えば、なつかしい姉の行方が自分の霊覚でつきとめられるか、つきとめられぬかの真剣勝負、又小松から云えば、心霊作用が人事の実際問題に適用し得るものか、得ぬものかの一の試みであって、これも学問上の重要事件。――すべての点から見て、近頃珍らしく緊張味のある実験でした。

 例によりて、小松は精神統一を促すべく石笛を吹きましたが、いつもの通り、その音はいかにも幽韻に富んでいて、よほどの愚物か豪傑でないかぎり、これをきかされると、大抵皆夢見心地になって、うっとりと気が沈みます。『これは恐れ多くも神代の祭器で……。』などと、神道家が勿体をつけて、神秘くさく取り扱うのはいささか片腹痛いが、それが他のいかなるものよりも、一層有効に、精神統一を促進することだけは事実のようです。

 ものの五分と経たぬ間に、合掌瞑目して小松の前に静坐した政尾の躯は、すでに一切の感覚を蕩尽とうじんせるかの如く、波に浮べるかもめそのまま、ゆるくなめらかな一種特有の微かな動揺を起して、覚めた現実の世界から、かけ離れた別の世界に夢遊するらしく見えました。

 時分はよしと思ったらしく、小松は石笛を唇から離し、凝乎じつと対者の顔を見つめつつ、徐ろに例の問答を始めました。

『どなたでございますか?――お名を伺います。』

 政尾の唇は何の苦もなく、ただちに動きました。

『このほうは勿体なくも天照大御神……。』

 真面目くさった顔はしているが、その言葉には、何所となく浮調子うわちょうしなところがあります。

 小松は何所を風が吹くと云った様子で、

『お名をっしゃってくださいナ正直に……。もっとも訊かなくても判ってはいますが……。』

『それだから今名告なのっているのじゃ。』

『ではあなたさまが天照大御神さまで?』

『違います。このほうは天照大御神さまの家来……。』

『なる程そうですか……。天照大御神さまの御家来さまで……。』

『イヤそう早合点して貰っては迷惑ぢゃ。天照大御神さまの家来の家来のその又家来の家来の狐で、その名は太郎……。』

 太郎は日頃から、故あって政尾の肉体に憑依していると称する、狐の名前なのであります。小松はかねてのお馴染なので、はなはくだけた調子で、

不相変あいかわらず太郎さんは茶目ですね。家来の家来の、その又家来の家来と逃げたところなどはうまいもんだ。――が、太郎さん、今日は一つ真面目な問題を解決しなければならんので、君とふざけてばかりは居られない。……』

『チャーンと判ってるよそんなことは……。ここに坐っている女学校の校長が、六年前に子供を孕ませた情婦の行方を捜してくれというんだろう。』

 図星をさされて、小松もびっくりしましたが、Kさんの驚愕と云ったら一と通りでありません。眼を皿のように見開いて、双手を膝に、いささか恐怖の色さえ浮べて、木像たいに固くなって控えました。

やがて小松が又言葉くちを切りました。

『よく太郎さん、そんなことが判りましたね。実に感心する。……』

冗談じょうだんっちゃ困りますよ。』と、太郎の口はますますなめらかです。『延代さんとKさんとの交情なかを取り持ったのは、はばかながら、かくいう太郎さんなのだから知ってる筈だ。Kさんがここへやって来ることなども、一ヶ月も前からチャーンと判っていた。……』

『エッ!』と、おぼえず頓狂とんきょうな声を張りあげたのは、Kさんでした。『ど……どうしてそんな事が……。』

『今日は逐一物語ってきかせるから、まァ落付おちついてお出でなさい。』すっかり太郎の人格(?)になり切ってしまった政尾の口はさかんに動く。『今こそ俺はきれいさっぱりと改心して、昔の怨恨うらみを水に流す気持になってるが、ツイた月前までは、吉田一家のものを、皆殺しにしてくれる覚悟でいたのだ。……』

『ナニ皆殺し……。ドウしてそんな覚悟をしたのか?』

 と、小松はきっとなって訊ねました。

『俺も悪いが、吉田の父親も悪かったのだね、つまり……。今こそ俺は肉体の亡い狐の霊だが、今から十五六年前までは、立派な躯を有って、ピンピンしていた狐さんだったネ。俺には格別これという芸もなかったが、ただ一つ真白な綿の凝塊かたまりに化けることができた。……』

『ドウしてそんな真似ができるのかね?』

『ドウしてたって訳はねえ。前肢を頭部の上にのっけて、しゃがみさえすれば、人間の眼球には、それが真白な綿のように見える。人間なんて莫迦気ばかげったものさ。……』

『面白いナドウも……。それからドウしたので?』

『で、俺は夜になると、ときどき街中へ出て、通行の人間をからかって面白がったものだ。「アラきれいな綿が落ちてるわ」なんてぬかしやがって、俺のことを拾いに来る。つかまりそうになるとプイと飛ぶ。又追いかけて来る。又飛んでやる。三度か五度同じ事を繰返した挙句のはてに、面倒くさくなると、相手の奴の頭の上を思い切って飛び越えてやると、大抵の奴はキャーッと言って逃げる。イヤその可笑おかしさったらありゃアしねえ。』

『なかなか君も悪戯いたずらの名人だね。』

『ところが、最後に大失策をやらかしたね。ある晩俺が例の通り白綿になって、ある橋のたもと寝転ねころんでいると、生憎通りかかったのが、この政尾の父親だ。イヤに肝玉が太くて、そして撃剣の名人ときているから始末がいけねえ。持っている竹刀で、イキナリ脳天をピシャリとやられたからたまるものじゃねえ。それっきり俺の躯は下の河へ落ち込んで、海へ流れて腐ってしまった。気のきかねぇにも程があらァ。――が、俺の躯は亡びても、俺の霊魂は亡びねえ。畜生覚えていやがれッ……今に仇討をしてやるから……。そう決心して俺はとうとう、政尾の父親を大火傷でやッつけ、つづいてその母親を病気でやッつけた。人間てものは莫迦なもので、ヤレ飛んだ災難でござい……。笑わせやがらァ。怪我も病気もみんな俺達が蔭へ廻ってしている仕事だ。……』

『フム――それからドウした?』

『それからが大変なのだ。俺は最初延代の奴を、矢張り病気か何かでやッつけてやろうかと思ったが、考えて見ると、只殺すばかりじゃ面白くねえ。今度は一つ色仕掛で、しくじらせてやれと思って隙を狙っていると、いい塩梅にここにいるKの野郎が、延代を自分の家に引き取ることになった。表面ではツンと取りすまして、孔子様のまごたいな顔をしているが、内々はこれでなかなか助……。』

『これこれちっと言葉を慎まんかい。』と、小松はきき兼ねてたしなめました。

『言葉の悪いのは、俺の持前だから勘忍かんにんしてくれよ。事実を述べてるのだから、Kさんだって別に怒りはしめえ。なアKさん。……』

 Kさんは泣いたような、笑ったような、何とも名状し難い表情をして、テレ切って黙っていました。

『兎に角俺は、延代をKさんの家に預けるのは、猫に鰹節を預けるのと、全く同様だと一と目で睨んだ。』太郎先生かまわず語りつづける。『其所そこへもって行って、この俺が蔭の方から彼方をつッつき、此方こちらをけしかけ、ドウしたって、一緒にくッつかなけりゃならねぇように、腕によりをかけて工夫しているのだからたまりャしねえ。イモリの黒焼くろやきたいな、マヤカシものとは訳が違わァ。はばかりながら、俺位の力量のある狐が本気に取りかかりァ、大概の男と女とは、くッつかせて見せる。Kさんと延代さんなどは、最初からくつッきたがっているのだから世話はねえさ。――たしか同居してから十日経たない中に、モウ関係が出来たと思ったつけ。そうだったねKさん。……』

『…………』

 Kさんの顔は火よりもあかかった。

 小松が見かねて、又援兵に出かけました。

『コレコレそんな話はドウでも可いとして、ソウした場合に、君達は一体何をしているのだ。手をたたいて面白がって高見の見物かね?』

『ナニそうでもねえ。そんな場合に、こちとらもただは済ませねぇのだが、そいつァ秘密だ。……』

『秘密なら聞かなくてもいい。話のつづきを聞かせて貰いたい。』

『それから先は簡単だ。延代という女は、今時珍らしい旧弊な心掛の女で、自分一人に罪を着て、つまらねえ男と一緒になったが、間もなくその男ときれいに離別わかれて、今では大阪へ出て、裁縫の教師かんかをやって、六歳になる男の児を立派に育てている。今日こんにちから考えると、あの女ばかりは可哀想なことをしたと気の毒でならねえ。……』

『政尾さんのことを病気にしたのも、君の仕業だネ?』

『むろんそうだ。こいつァ肺病にでもして、手取早く片づけようと思ったのだが、その病気が縁となって、小松さんというおっかねえ人間と懇意になって、いろいろ話をきいている中に、脆くも改心して、斯くの通りの懺悔物語。――小松さん、今度Kさんをここへ引張り寄せたのも、実をいうと、みんな俺の仕事ですぜ。早く手紙でも出して、大阪から延代さんを呼んで、Kさんにも、政尾さんにも、久しぶりでわせておやんなさいよ、可哀そうに……。六年前の一件は、当人達がやったというよりも、むしろ俺が仕組んだるい芝居だ。……』

 小松はしばらく黙って居ましたが、

『太郎さん、君の話は真実だろうね? んだか少々小説めいている。……』

『冗談じゃあねえ。』と、憑霊は躍起となって、『誰が嘘なんぞつくものか。そんなにうたぐるなら、延代の番地を教えてやろうか。彼所は大阪の北区臼屋町××番地だ。……』

『太郎さん、私は別に君を疑う訳ではないが、モ一っしっかりした証拠を見せて貰うことはきまいかね? 例えば延代さんの生霊を、政尾さんの躯に呼び寄せるというようなことは……。』

『わきャねえ――ちょっくら五分ばかりお待ちなせぇ。その手筈をしてあげるから……。』


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