心霊図書館」 ≫ 「 心霊小品集」 ≫ 「小説編

心霊小品集

 小松が二階の書斎で原稿を書いているところへ、女中のきみが階段をのぼって来て、一枚の名刺を差し出しました。――

『只今この方がお見えになりまして、是非お目にかかりたいと申して居ります。四五日前にお手紙を差上げてあるそうでございます。……』

 小松は前額にふりかかる長髪をるさそうに払いながら、右手に万年筆を持ったまま横を向いて、金縁の眼鏡越しに、ジロリとその名刺に眼をおとしました。

『フム高等女学校長K――あれか。あの方なら、すぐにお目にかかるから、下の六畳に待たして置け。』

『かしこまりました。』

 女中はすぐ階下へ降りて行きました。

 小松の頭の中には、一昨日の朝配達されたKの手紙の内容が、も一度急速度で繰り返されました。近頃かれの所へは、毎日なかなか多数の手紙が来る。その内容は不治の病気に就いての悩み、思案にあまる一身上の難問題、信仰上の煩悶、その他いろいろで、時には肉親の間にさえ漏らさぬような秘密を打ち開けて、彼の忠言をもとむるのもあるのでした。彼は此等これらの手紙の回答には、つくづく弱り切っていました。

『俺が少しばかり心霊上の実地研究をやっていると思って、すぐんな面倒臭い問題をもちかけて来る。ソウ人の事を易者あつかいにするなら、いつそのこと、一回の鑑定料金五拾円もまきあげてやるかナ。ヘタな職業をやるより収入がありそうだ……。』

 家人に向って、ときどきんな世迷言よまいごとやら、冗談やらを言いたくなるほど、沢山の手紙が舞い込んで来るのでした。

 が、それ等の数ある手紙の中で、先日到着した、右の女学校長のK氏からの手紙は、んな問題にあまり深い興味をたぬ彼の頭脳にも、相当の衝撃を与えずには置かない性質のもので、なり痛切に、世相の裏と表との乖離かいりを物語っていました。

 手紙の内容は大体うでした。――K氏は早くから女子教育に従事したもので、今から六年ばかり前には、畿内のある市の高等女学校の首席教諭を勤めていました。その頃自分の受持てる第四学年生に、吉田延代と呼ぶ一人の生徒が居ましたが、成績も至極よろしく、性質も少々内気過ぎる位おとなしく、ことに級中第一の美貌の所有者なので、K氏も日頃からこの少女に特に眼をつけていたのでした。

『教育界の人々は、師弟の間に、しばしば成立する温情に対して、恋愛などという文字を使用することを極度に避けます。』そうK氏は手紙の中で素直に書いてあります。『成る程、それは単なる恋愛とのみは言われないかも知れません。しかし恋愛は、たしかにその中に含まれていると思います。地位、境遇、世間体、義理、責任――そんな一切の束縛を切り離してしまえれば、教師と女生徒との間には、驚くほど多数の恋愛関係が続発するに相違ないと思います。事によったら、女学校が一の結婚媒介所に化するかも知れません……。』

 ところで、不図ふとした運命のイタズラは、K氏と延代とを急激に接近せしむるに至りました。延代は早く両親を失い、一人の妹と共に、某地方裁判所の判事を奉職している叔父さんの手元に引取られ、女学校へもその住居から通学していたのですが、今回その叔父さんが、急に他の地方に転任を命ぜられることになりました。』

『卒業期が間近いのに、この際転学も面白くない。』

 そんな理由で、延代は、かねて叔父の親友であったKさんの家庭に託せられることになったのでした。そのKさんは、表面には大分迷惑らしい顔をして、ヤレ家内が気がきかないだの、ヤレ子供が多勢おおぜいだのと、いろいろ文句を並べましたが、しかし内心では、『闇夜に灯を得、冬日に太陽を仰いだほどの歓び』を感じ、急に世の中が明るくなったように思ったといいます。

 当時K氏は三十五の分別盛り、夫婦の間には二人の子供もあり、頗る円満な、そして頗る月並な教育者らしい家庭を作っていました。彼は自分の生活に対して、格別の興味をたぬかわりに、又格別の不満も、不快も有ってはいませんでした。

 ところが日頃眼をつけていた、美しい延代の同居は、彼の心の何所かに潜んでいた所謂『恋愛の卵』を急速に孵化ふかせしめて行きました。その辺の状況は、手紙の中にう自白してあります。――

『お恥かしい次第ですが、二児の父であり、又女子教育の先覚者(!?)である、三十五歳の男は、やっと十八の自分の受持の生徒を、熱烈に愛しかけたのであります。ドウいうものか、先方でも十七も年齢の多い老いたる先生を、心から愛してくれました。何の点から考えても、それが正しくない恋であることは、男も女も共によく承知して、心は間断なく苦痛と悔恨とに責められていました。それにも係らず、二人はだんだん深入りして行って、遂に禁断の果実を味わうに至ったのは、ドウ考えても、性慾の衝動とか、んとかいう簡単な事では、とても説明がきかねると考えます。ドウあっても、奥の方でわれわれをあやつる、不可抗ふかこうの一種の魔力とったようなものが働いていたのではないかと考えられてなりませぬ。○○教では、よく憑霊作用とやらを高唱するそうですが、はたしてそんなことが実際存在するものでしょうか……。』

 それはそうと、二人の関係が単に人知れずに行われた、苦しい、しかし一場の悪夢で終始していたなら、問題ははなはだ簡単であったでしょう。思うに社会の裏面には、闇から闇へと消えて行く、この種の情的関係が、沢山ひそんでいることと存じますが、K氏の場合には、万事がソウ単純にはまいりませんでした。延代は幾ばくもなく、秘密の恋の結晶をお腹に宿してしまったのでした。

 いうまでもなく二人は、この種の難局に陥った、他の多くの男女と同じく、かたならず途方に暮れました。心中、逃亡、謝罪告白……。ありとあらゆる手段を攻究した挙句のはてに、延代が最後に執るべく決心したのは、すこぶる現代離れのした自己犠牲の方法でした。

『私のめに先生のお名をきずつけ、同時に先生の御家庭をきずつけては、余りに損害が大き過ぎます。』彼女はある夜、泣いてK氏に衷情を訴えました。『それにはドウしても、私一人が犠牲にならねばなりません。私は最初から、父母とも早く死別れた不幸な身の上でございます。このままコウして居たところで、ドウせこの世で御一緒に暮らせる望はないのですから、すべての責は私一人が引受けます。先生何卒どうぞ私の躯を、胎内の子供ぐるみ、誰かに縁附えんづけていただきます。私は死んだ気で、眼をつぶって、んな男子にでも身をまかせます。使いのこりの遺産が私の分として、まだ二千円余り銀行に預けてあります。そのお金を、私の汚れた躯と、胎内の子供とにつけて、事情を打ち明けて頼んだなら、貰ってくれる男がないではございますまい。――お願いでございます。先生、うぞ私に是非ぜひそうさせて戴きます……。』

 K氏はた月ばかり煩悶はんもんした後で、とうとう女のこいを容れることになりました。選に入りたる相手の男は、女学校に勤めている年若き筆生でしたが、無論謹厳なる叔父、叔母、その他親威一同の承認を受けるべき性質の問題でありませんから、延代は一生涯何人とも音信不通の覚悟で、世間体のはなはるい自由結婚の形式を執り、住んでいる市から、直ちに姿を消してしまったのでした。

 K氏の手紙には、その後の状況についてう書いてあります。――

『この延代の犠牲的行動のお蔭で、私の罪悪は、まるきり世間の視聴にのぼらず、今お籍を教育界に続けて、現に女学校の校長などを勤めています。一面から見れば、これははなはだ大成功のように見えますが、しかしその後の私の精神的苦痛と云ったら、ドウでありましょう。私はその後、ほとんどただの一夜の安眠とては恵まれません。彼女は今何所にドウして暮らしているか?――ただ義理一つで躯をまかせた男との同棲の模様は、はたしてドウか?――生れ落ちた子供は男子か女子か?――六年以前、プイと姿を消したきり、後は何の手がかりも、目印もないのですから、いくら考えたところで、判る道理はないのですが、それでて考えずにはられない。半夜自分の妻子の寝姿を見るにつけても、私の考えは、それからそれへと乱麻らんまごとせめぐりて、自ずと気が変になったことが何回あったか知れません。

『先生、私はモウこのまま黙って済まされなくなりました。最後に私はドウしても、先生におすがりするより外に途はないと考えるに至りました。先生は不可思議の神法を修めて、霊界の居住者とも自由自在に交通し、又百里千里のとおきをも察し、堕落せる人類の救済を以て任ぜらるるそうであります。先生何卒どうぞ私のうな罪深き偽善漢ぎぜんかんをお見棄みすてなく、御面倒でも、彼女の現在を探って戴けませんでしょうか? 私はその上で、私としての最善を講じたいと存じます。いずれ数日内に参上の上にて、委細を申上げますが、口頭では却って申上げにくき点もあるかと存じ、大要をこの手紙で申述べた次第であります。御多忙のところはなはだ恐縮ですが、御一読を煩わす次第でございます。……』


本書編纂について

目  次

再会(2)


心霊図書館: 連絡先