心霊学より日本神道を観る

浅野和三郎 著


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底本:「心霊学より日本神道を観る」 心霊科学研究会

1938(昭和13)年06月05日初版発行

1967(昭和42)年11月03日三版発行


※ 青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準じて、底本の旧字表記をあらためました。

※ 底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※ また、HTML化に際して、底本中の傍点表記を、下線表記に置き換えました。

※ 従来の新字・旧仮名遣い版はこちらにあります。


 本篇おさむる所あわせて十五篇。いずれも雑誌『心霊と人生』誌上に発表されたものである。従来日本神道を説くもの少なからずといえども、未だ心霊学的にこれを説いたものを見ない。しかしてこれに収められたる各篇、必ずしも、真正面から神道を説いたもののみとは限らないが、各篇相互連絡を保ちつつ、神道並に神に関連する事項に対し、各角度から観察を下し、もって綜合的理解に達せしめんことを期せるものである。

 日本の神の道は、元来超然として各宗教の上にくらいし、しかもの真理は、各宗教の原理を包含して、綽々しゃくしゃくとして余裕がある。れ日本が、従来如何いかなる宗教をも包容し得たる所以ゆえんである。しかして心霊科学は、ひとり各宗教の原理とするもののみに限らず、動もすれば宗教の排撃を受けんとする、あらゆる科学をも、の懐裡に抱くことを辞せざるものなるが故に、神道の真を説かんとせば、心霊科学をもってするにあらざれば、ほとんど不可能に属すとうも、あえて過言ではあるまい。

 およそ真理を攫得かくとくせんがためには、ず先人的な、一切のとらわれから脱却し、同時に自己の小主観をもって、概念的に他の排斥などを試むべきではない。真の神の道が闡明せんめいされずに、私達は余り久しきを過ごして来た。本書素よりその全般を尽したものとはいえぬが、日本神道の真髄丈は説き得たものと思う。読者幸いに虚心きょしん坦懐たんかいもっこれを読破さるるならば、始めて日本神道の玄奥げんおう髣髴ほうふつし得るであろうことを疑わない。

 昭和十三年五月

浅野正恭識


 

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